落ちていました。1
その茶屋の、朝はさほど早くない。
魔法小路の住人は、大体において夜を好む。
だから通りのどの店も、早朝から開いていることは、ほとんどない。
住人の時間に合わせてこの店も、昼過ぎから営業を始め、深夜まで開いている、というパターンが多い。
さすがに一晩中、ということはないが、世間一般で知られている『喫茶店』や『茶屋』の営業時間からすると、かなり遅くまで開いていると言えるだろう。
店の名前は、『ただの茶屋』。
本当は、ちゃんとした名前があった。
けれど最初にこの店にやって来た、どうやら迷い込んだらしい、どこぞの騎士は、珍しげに店内を観察し、首をひねり、しげしげと店主を眺めた挙げ句、
『なんだ。ただの茶屋か』
と、言った。
魔法小路に何か、期待していたらしい。
そこで何の変哲もない店に出くわしたものだから、思わずそう言ってしまったのだろう。
店主は答えた。
『はい、うちはただの茶屋です。
お茶とお菓子がございますが、どうなさいますか』
騎士はむすりとした顔をして、ロールケーキやスコーンを睨んでいたが、無言で席につき、出されたミルクティーと共に完食し、代金を置いて帰って行った。
その後も何人か、同じような客が訪れた。
彼らは一様に、驚いたり、呆れたりした後、決まって同じ台詞を言った。
『なんだ。ただの茶屋か』
魔法小路にありながら、魔法のまの字も出て来ない、ごく当たり前の、普通の店。
落胆しつつも、その店のお茶とお菓子を堪能すると、彼らは彼らの日常に戻って行った。
繰り返されるうちに、店の名前は忘れ去られた。
店は、『ただの茶屋』という通り名で、知られるようになってゆく。
魔法小路の『ただの茶屋』。
この店に出会うのは、ハズレだと言う者もいれば、
実は、とても幸運だと言う者もいる。
☆★☆
その日、店主はいつも通り、日がそれなりに昇ってから起き出した。
顔を洗い、歯を磨いて口の中をきれいにする。それから古びたケトルに水を入れ、火にかける。
目覚めのお茶を入れるために。
湯が沸くまでに、髪を整える。
眠い。
そうこうしている内に湯が沸いた。ポットとカップに少し注ぎ、捨てる。
温まったポットに茶葉を入れる。
アッサムCTC。飲みやすく、扱いやすい。香りはやや弱いが、味がしっかりしているから、ミルクを入れるとちょうど良い。
茶葉の量をはかり、ポットに入れてから、勢いよく湯を注ぐ。
ふたをして、ティーコジーをかぶせ、蒸らす。
このあたりの作業は、毎日しているので、特に意識せずともできる。
時間をはかるために砂時計を置いて、さて、次はと思った時。
ごとり。
扉の方から、妙な音がした。
店主は扉を見やった。
しかしすぐに、目線をポットに戻した。
砂時計の砂は、落ち続けている。ちょうど良い蒸らし時間でカップに注ぐのが、美味しい紅茶の第一歩。
妙な音になど、かまっていられない。
ごとり。
再び音がした。
店主は無視した。
ごとり。ごとり。
さらに音がした。
店主はやっぱり、無視した。
すると相手(がいるのかどうかはわからないが)は意地になったのだろうか。執拗に扉を震わせ、音をたて始めた。
ごとり。
ごとり。がた。
ごとごとがたがたごとがた……、
ずしゃあああっ!
「うえはわばっ、にゃにゃにゃにゃ~~~っっ!!!」
ごろり、どたん、ざしょっ!
「……………」
店主は顔を上げた。
ごとり、はまあ、良いとしよう。ここは魔法小路だ。妙な呪文をかけられた郵便受けや植木鉢が、はずみながら道を行くこともあるだろう。
ごとごと、がたがた、もしかり。
ずしゃあああっ、も……まあ、良いとしよう。最後のごろりとか、どたんも。
しかし、あの雄叫びは、なんだ?