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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
1.客が落ちていた日。
16/79

そして、当たり前の日々。1



 扉を開けて外へ出たティラミスは、ステップを降りると、周囲を見回した。



「明るい方……」



 通りは、もやがかかったように薄暗い。何もかも、輪郭がぼんやりとして見える。そのことにティラミスは、初めて気づいた。

 明るい方はどちらだろうかと見回すと、一つの方向が、うっすらと明るく見えた。たぶんそっちだろうと思い、店主に言われた通り、まっすぐ歩き出す。


 しばらくしてから、店の方を振り返る。



「あれ?」



 そこには、見慣れた建物の並ぶ通り。いつもの通勤路にティラミスは立っていた。

 ぶろろろろ、と音を立て、車が横を通り過ぎてゆく。



「あたし……ここを曲がった、よね?」



 確か、ここの角を間違えて……、と思ってきょろきょろと周囲を見回す。けれど、そこには角などなく。真っ直ぐな道がただ、続いているだけだった。



「あ……あれ? あれ? あれえええ?」



 なんで? と思って混乱していると、ケータイが軽やかなメロディを奏でた。慌てて鞄を探る。今度は難なく、見つけることができた。



「はい?」

『あ、つながった! さっきから何度もかけてたのに、返事がないから、どうしたのかと思ったわよ~!』



 ケータイからは、同僚の声がした。



「え、あ、みゆたん? 何度もかけてくれてたの?」

『うん~、話したいことがあって……今、どこにいるの?』

「え、会社に行く途中の道……ああ、心配かけちゃったのね。すっごく遅刻したものね? ごめんね~」



 そう言うと、怪訝そうな声がした。



『あら~? 遅刻? 何言ってるの。まだ余裕あるわよ?』

「えっ?」



 何を言っているのだ。と、ティラミスは思った。自分があの店で、店主とおしゃべりをしていたのは、どう考えても三十分以上だった。下手をすると一時間はかかっている。



「あの、いま、……何時?」



 おそるおそる尋ねると、『八時半ちょっと過ぎ』という返事があった。

 業務は九時からだ。確かに、まだ余裕がある。と言うか。



(あたし、……道に迷ったの、それぐらいの時刻じゃなかった?)



 いつも通りに電車を降りて、いつも通りに歩いていた。その途中で迷った。

 それから転んで、手当てをしてもらって、朝食を食べて……、



(どういうこと?)



 なのに、その間。時間が全く流れていなかった……?

 混乱するティラミスだったが、同僚はまだ話を続けていた。



『今朝は、ティラミスが掃除当番だったでしょ? いつもならもう来てるのに、いないから。何かあったのかなあって、電話してもつながらないし』



 ティラミスの会社では、経費削減やら社員の向上心を育てる何とかやらで、毎朝、部屋の掃除を社員が交代で行っている。お茶汲みも同様だ。

 ティラミスのいる部署をまとめる室長が率先してやっているので、男性社員もさぼれない。

 男社会で育ってきた人物でもあるので、たまに会話が通じなくて、頭に来る事もあるが。



「あ、あ……、そ、そうだった。あの、ごめんね。転んじゃったの、途中で」



 呆然としながらそう言うと、『え~?』と心配そうな声がした。



『転んだって、大丈夫? どこか打った?』

「あ、あの、大丈夫……親切な人がいて。手当てしてくれたの。だから」



 店主のことを思い出して言う。そこで、妙な事に気がついた。



(あれ? 紅さんって……どんな顔してたっけ)



 思い出せない。どうして?



『あらあらまあ。そうなの? 良かったねえ……ああ、でもそれなら、ゆっくり歩いた方が良いわよ。わかった。掃除は、あたしがしておくねえ』



 同僚の声がする。



「あ、ありがと、みゆたん」

『あたしの当番の時には、代わってよ~』

「うん、もちろん」



 受け答えをしながら、ティラミスは狐につままれたような気分だった。いったい、これはどういう事なのだろう。

 それからもう少し話をして、通話を終えた。ケータイを鞄に入れる。その時、紙袋に手が触れた。かさり、という小さな音。

 そこにはショートブレッドとジンジャークッキーの袋……と、カムカムパワーの駄菓子。



「現実よね」



 じっと見つめてつぶやく。

 あの人たちは、ちゃんと存在していた。それだけは、確かだ。だって。



「あたし、カムカムパワーなんて買わないし……」



 あの朝ごはんも、本当に美味しかったのだ。


 しばらく考えていたが、やがてティラミスはため息をつき、考えるのをやめた。一日が始まるのだ。仕事に向かわねばならない。



「行こう」



 今日も、仕事をして。きっと、落ち込んだり、泣きそうになったりもするだろう。

 でも、そんな時にはこのクッキーを食べよう。カムカムパワーも食べさせてもらおう。

 そうして、乗り切ろう。それから。



「また絶対、あのお店に行かなくちゃ!」



 うん、とうなずくと、ティラミスは歩き出した。



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