美女とラップと、美味しいごはん。4
厨房の方に引っ込んだ店主だったが、すぐに戻ってきた。手に、小さな紙袋を持っている。
「ショートブレッドとジンジャークッキーです。これも合わせて、全部で千円いただきますね」
「え、でも」
クッキーの詰め合わせは普通、五百円ぐらいしないだろうか?
「クッキーは、三枚ずつで三百円いただいています。これは昨日の残り物ですから、値引きしました」
店主が言った。ティラミスはそういうものか、と思いなおし、紙袋を受け取ると、千円を支払った。
手から手へ、紙幣が渡される。その瞬間、
(……!?)
まばゆい光が、目の前を走った。
(え、なに?)
思わず目をつぶった。光は一瞬で広がり、自分を包み、……そして消えた。
(え? え?)
おそるおそる目を開けると、そこは先ほどと同じ店の中。目の前には店主がおり、側にはおばば。店の中も変わりない。
(え? なんだったの、今の)
唖然として目をぱちぱちとしばたいていると、「どうしました?」と店主に尋ねられた。
「え、いま……えっと? 何か光りませんでした?」
「外からの光が反射したのでしょう」
あっさりと店主が言い、ティラミスは首をかしげた。
「外?」
「光線の加減で、車の窓や、ミラーが反射したりするでしょう? まぶしいですよね、あれ。いきなり見たら」
「あ、……そう? えと、……そう、かも」
ミラーの反射か、と思ってからティラミスは、はた、となった。
「車……ひょわ、車っ!? え、いま何時……あわわ、あたし、どれぐらいここに~~~~っ!」
なぜ、今まで気づかなかったのか。のんびりとした店主の対応に思わず乗せられていたのだが。
自分は、確か、出勤途中……!
「ちちちちち、遅刻~~~~~っ!」
ざーっと青ざめて叫ぶ。
「あああああ、だけど道、道まちがえ、かかか、会社はどっち! えわわ、ケータイ! ケータイ! 連絡入れないと……ああああ、怒られるうううううううっ!」
あわあわしながら鞄を探し、ケータイを探して手を突っ込む。しかし、こんな時に限って見つからない。
「うわあ、うわあ、なんでこんな、なんで忘れてたりしたの、あたしってばあたしってば~~~~っ!」
鞄の中をがさがささせながら、ティラミスは叫んだ。
「ティラミスさん。ティラミスさん、落ち着いて!」
店主が声をかけてくる。涙目になりながら、ティラミスは店主にすがりついた。
「どど、どうしよう、どうしよう紅さん~!」
「慌てないで。深呼吸して下さい。はい、吸って。吐いて。ゆっくり」
言われてティラミスは、思わず言われた通りに深呼吸をした。吸ってー。吐いてー。すー。はー。
「吸ってー。吐いてー。はい。落ち着きました?」
「えう。な、なんとか」
がっくりと肩を落としながら、ティラミスは言った。
「なんであたし、こんなのんびり……出勤途中だったのに。全然。全く。まるっきり。思い出しもしないで、ごはん食べて、おしゃべりしていたなんて……」
頭を抱える。店主はちらり、とおばばと視線を交わしたが、すぐにティラミスに目を戻した。
「大丈夫ですよ。そんなに時間はたっていませんから。
それに、あなたは怪我をしていたでしょう。転んで。その事を話せば、大目に見てもらえますよ」
「そ、そうかなあ……」
「そうですよ。大丈夫」
力づけるように言われ、ティラミスは何となく、強張っていた体から力を抜いた。
「そう、ですよね。うん。不可抗力もあったもの。ちょっとは叱られるかも、だけど。転んだって言ってみます」
そう言って微笑むと、うん、とうなずかれた。
「それで、道ですけれどね。迷われたんでしょう?」
「あ、はい。ここからだと、薄荷山通り三丁目ってどっちの方向になります?」
「ここを出て、真っ直ぐ進んで下さい。明るい方へ。そうしたら、その通りが見える道に出ますよ。迷うことはありませんから」
「そうなんですか? 良かった」
ぱっ、と笑ったティラミスは、ごちゃごちゃになった鞄の中身に目を落とすと、「あ~」と言いつつ、適当に整えた。
店主から渡された紙袋も、そっと中に入れる。
「朝ごはん、本当に美味しかった。手当てもしてくれて、愚痴も聞いてくれて、ありがとうございました」
ぺこり、と店主に頭を下げる。
「もう行くか?」
おばばが言うのに、そちらにも笑顔を向けた。
「はい。おばば……さんも。えーと、ありがとうございました」
「わしゃ、なんもしとらんがのう。おお、そうじゃ」
おばばはそこで、ごそごそ、と懐を探った。そうして何かを取り出した。
「これをやろう」
「え」
ティラミスはまばたいた。おごそかに差し出されたおばばの手のひらの上に乗っている物。
赤い装飾の入った、セロファンの袋。
小さく、ヒーローらしきイラストが描かれている。
袋には大きく、こう書いてあった。
『元祖するめジャーキー 安心カムカムパワー』
「……」
中に入っているのは、明らかに『するめ』だった。
「おばばさまは、駄菓子スキーなので……」
何かを取りなすように、店主が言った。ティラミスは何か言うべきかと思ったが、何を言えば良いのかわからず、おそるおそる、その袋を受け取った。
「美味じゃぞ」
「あ、ありがとう、ございます?」
するめだから、カムカムなのか。にしても、カムカムパワーって何だ。それよりも、このヒーローは何を意味しているのだ。
疑問の尽きない一品だった。
とりあえず、それも鞄にしまうと、ティラミスは改めて、二人に頭を下げた。
「あの、本当にありがとうございました」
「気にするな。まあ、良い商いができたわな」
手当てをしたわけでも、商売をしたわけでもないのに、なぜかおばばが胸を張って言う。
「気をつけて。まっすぐ歩くんですよ」
店主が苦笑してから、そう言う。
「ああ、そうだ。逆むけですけれどね。
水仕事をする時に、ハンドクリームやオリーブオイルをすりこんでおいて、薄いゴム手袋をはめた上から熱めのお湯を使ってすると、手のケアになるそうですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。熱でオイルが皮膚に浸透しやすくなります。あと、冬場には。寝る前にオイルを塗って、指先を軽く揉んでから、薄い木綿の手袋をはめておくと良いです……それでなくとも、時々は、指先をいたわってあげて下さい」
「はい。ありがとうございました」
ティラミスは笑顔でもう一度、ぺこりと頭を下げた。
「それじゃ、失礼します!」
そう言うと、扉を開けて外へ出てゆく。




