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魔法小路のただの茶屋  作者: ゆずはらしの
1.客が落ちていた日。
14/79

美女とラップと、美味しいごはん。3

「どれぐらいって? 朝ごはんの代金?」



 ティラミスは首をかしげた。どれぐらいだろう。

 喫茶店などのモーニングセットは、トーストにサラダ、卵にコーヒーで、五百円前後。フルーツなどが入ると、もう少し値段が高くなる。

 それでもあれは、市販の食パンやマーガリン、インスタントのコーヒーを使っているから、あの値段なのだ。この店で出されたものは、一から全部、手作りっぽかった。ベーグルしかり、スパイス入りのオリーブオイルしかり。そして、あの、濃厚なミルクティー。

 インスタントでは、絶対に出せない味。

 見かけは普通の、よくある感じの食事だった。けれど。ていねいに作られた材料が支える、素朴だけれど豊かなあの味は。

 何よりも、素晴らしいご馳走だった。



「すごく、贅沢させてもらったわ」



 それでも、五百円ぐらいで! と言いたいなあと、心のどこかでちらりと思ったが、店主のもてなしに対して失礼だと、ティラミスは思った。それでは、相手を正当に評価せず、馬鹿にしている事になる。

 子どもなら、価値がわからず、まけろ、まけろと言い張る事もできただろう。

 相手のしてくれた行為に対して、感謝することなく。それを当たり前だと受け取って、『正当な商品でないならただにしろ』と言ってのける事もするだろう。実際、そういう事をしている中学生や高校生を見た事がある。

 あれは、本当にみっともない。

 ただにしろとごねる時点で、手にした品物の価値がまず、見えていない。それを作った人、育て、あるいは加工した人のかけた時間、手間、心の全てを否定したことになる。

 それを売り手に対して主張するという事は、売り手自身をも価値がないと、低く見ていると、まともに言ったことになる。

 売り手は生活のために、品物を売っている。売り手には売り手の人生があり、生きてきた、生きてゆく時間が存在する。その中で、彼らは商品を選び、買い手に届けるために努力してきたのだ。

 それを、ただにしろと主張することは、そうした努力の全てを否定する事になる。目の前にいる相手を、侮辱することになるのだ。

 適正な値段。

 これを考えるのは、当たり前なようでいて、難しい。

 そのものに対して、どのように評価するか。

 これには人間性が出るのだ。その人の。

 三十になっても、四十になっても、その辺りがわからずに、自分に都合の良いようにとしか、考えられない人もいる。

 価値と手間を考えず、ひたすら「ただにしろ」「安くしろ」と声を張り上げる。

 そういう人は、信用されない。

 経験の浅い子どもならともかく。大人がそういう態度を取ると、「この人には、どんな親切をしても、心を配ってあげても、感謝されない。かえって、もっと自分に寄越せと、まとわりついてくる」と見なされる。

 トラブルを起こす人として、敬遠されてしまうのだ。



(あたしは、子どもじゃないもの)



 ティラミスは思った。



(大人の女性として、いろんなものを見てきた。考えさせられてきた。

 だから、わかる。あのベーグルサンドに、どれだけ手間がかかっていたか。あのミルクティーが、どれだけていねいに淹れられていたか。

 紅さんは、手を抜いた、みたいに言ったけど……)



 ティラミスは拳をぐっとにぎった。



「あれで手抜きだったら、モーニングセットを出してる喫茶店の半分は、お店閉めないといけませんよ!」



 店主とおばばが、ぽかん、とした顔で、ティラミスを見た。いきなりエキサイトした風に叫んだので、何が起きたという表情だ。

 しかしティラミスは、かまわなかった。



「程よく焼けたベーグルの、かりっとした表面に、もちっとした中身! チーズは絶品で、そしてあの、オリーブオイル! 複雑な香りが鼻にぬける、あの、あの味!

 いちごも美味しいし、あのミルクティー! 濃厚で、でもくどくなくて、ほんのり甘くて、焦げたキャラメルみたいな香りがふんわり……、

 夢に見る。あたし、絶対、夢に見る! 今日の朝ごはん! 忘れられない忘れたくない、胸の奥でいつまでも~~~~!」

「演歌かい」



 おばばのツッコミを無視して、ティラミスは叫んだ。



「中には超適当な、ひどい店もあるんですよ! モーニングセットって、書いてりゃ売れるだろうみたいな!

 パンは生焼け、サラダはべちゃべちゃ、コーヒーや紅茶は微妙にかび臭くって、どんな管理をしてたんですか、って言いたくなる!

 でもそんな店に限って、堂々とお金を取るんですよ!」



 ティラミスの脳裏によみがえる、苦い思い出。

 急いでいたので適当な店に入り、後悔しまくった、あの朝。

 一口かじると、冷凍庫の何とも言えない匂いが広がり、溶けきれなかった氷がじゃりっと言ったパン。水切りしきれなかったらしい、べっちょりしたレタスと、ぞんざいな切り方をしてつぶれたトマト。後味がえぐいコーヒー。唯一、ゆで卵だけはそれなりだったが、それだけしか出来ていない調理というのは、どうなのだ。

 トースト、サラダ、ゆで卵、コーヒー。これだけのメニューでどうして、あそこまでまずく作れたのか。何かに挑戦していたのか、あの店は。



「あれに比べたら……あれに! 比べたら!

 極楽浄土の味でした!

 自信もってください、紅さん!」

「はあ」



 困惑する店主。横では、「極楽浄土の味って、なんじゃい」と、おばばが突っ込んでいる。



「ですので! あたしも気合入れて、お支払いをしたいと思います!

 でも、あたしも、そんなに相場とか、知ってるわけじゃないから……あ、だけど確実に。確、実、に! 五百円よりもっと価値がありましたよ、あの朝ごはん!

 うーんと、うーんと、スタバやドトールだと、セットが確か、七百円か八百円ぐらいになるわね。違ったっけ? だったら、千円? ぐらいが妥当、かな」

「それでは、もらいすぎです。五百円でも、わたしは別に、」

「紅さぁぁん!」



 店主が言うのを、ティラミスはさえぎった。



「言ったよね? あたし。言ったよね? 自信持ってって」

「ええ?」

「ごひゃくえんの。かちしかないと。作り手本人が、そんな低い意識でどうするううう!」

「ええ!?」

「あたしが認めたの。だから、あたしが払いたいの!」



 出費はちょっと痛いかもだけど、でも! あたしは、価値がわかる女です!


 そんな思いを込めてティラミスが店主を見ると、店主は困った顔をして、それから、負けた、という風に笑みを浮かべた。



「でしたら、八百円、いただきます」

「え~……」



 ティラミスは、不満げな声を上げた。



「あのですね。本当に、不本意なんですよ。あれをうちの商品として、対価をいただくと言うのは。

 ただ、いちごは新鮮でしたし。チーズもそこそこ良いものでしたから……」

「ええ~……」

「納得してくださいよ」



 困りきった風に言う店主に、おばばがひひひ、と笑った。



「妙な光景じゃのう。店主は安く売らせろと言い、客は高く買わせろと言う」

「だって、ホントに美味しかったんだもの! 絶対、千円以上の価値あったもの!」



 ぶー、とふくれてティラミスが言うと、店主が「ありがとうございます」と礼を言った。



「朝食を望まれたお客さまに、わたしは朝食をお出ししました。ごく当り前のものを。

 それを、とても価値あるものだと認めてくださった、あなたの心と言葉が、わたしには本当にありがたい。

 ですが、これは譲れません……八百円。それでももらい過ぎているぐらいですよ」

「えええ~……」



 不満そうな顔になったティラミスだが、店主のきっぱりとした物言いに、もうこれ以上はどうにもならないと思ったらしい。しおしおとした風に財布を取り出し、千円札を一枚出した。



「あ、それじゃ、お昼の分も買っていきたいんですけど」



 そこで思いついたという風に、顔を上げて言う。



「まだ開店前なので……」

「どちらかと言うと、夕方から夜にかけてじゃからなあ、この店は。ま、じゃが、昨日の残りぐらいはあるじゃろ? 値引きして売ってやってはどうかの?」



 おばばが言う。店主は困った顔をした後、「固く焼いたお菓子なら、大丈夫ですかね」と言った。



「食事になるようなものは、あまり置いていないんですよ。ショートブレッドとジンジャークッキーの詰め合わせなら」

「あ、あたし、それが良いです! さっき食べたの美味しかった」



 ぱっと笑顔になったティラミスに、店主も笑みを浮かべた。



「では、ちょっと待っていて下さいね。包みますから」


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