レッツ、リフレッシュなリラックス。6
「出血しているのなら、それは立派に傷口ですから。手当てしてください」
店主に言われ、ティラミスは何となく、小さくなった。
「ええっと、でも面倒だし……ごめんなさい」
「面倒でも、ケアしてあげて下さい。手は、体の中でも目立って良く働いてくれている部分なんですから。時にはいたわってあげることも必要ですよ」
「はい……」
さて、と言うと店主はティラミスの右手を取って、温まった油を手にぬり始めた。
ふわん、とほのかに甘い香り。
「うーん、ほんのり、かすかにいいニオイ~……って。油! まんま油ですよね、それ?」
湯せんしていた油を、まさか手に塗るとは思っていなかったので、ティラミスは慌てた。店主は平然として答えた。
「そうですね。全部食べられる材料でできていますから、食べることもできますよ」
「え、オリーブオイル、そのまま食べたりしないでしょ」
「ドレッシング作る時に」
「ドレッシングは市販の……はにゃ」
ていねいに指の間まで油を塗られ、くるくると指先で円を描くようになぞられる。
油があるからか、皮膚がひっかかることなく、なめらかに円が描かれた。
「ちょっと揉んでおきますね」
「は、」
指を引っ張られたり、指先を揉まれたり。
「にゃ、なんで揉むんですかあ」
「逆むけになってしまう原因は、いろいろありますが。マニキュアやリムーバーの使い過ぎ、ビタミン不足。あと、冷えて血流が悪くなっているっていうのもあるんですよ。
最初に手を取った時、指先が冷えていて、硬い感じだったので……少し、流れを良くしておきましょう」
「あう、でも、なんで油……それならハンドクリームとか」
「昔から、傷の手当てに油を使うことは良く行われてきたんですよ。薬草を漬け込んだ油を、薬として塗布する。時には、普通の油を薬として塗りました。
今の日本のように、どこででも薬が手に入るような時代は、ほとんどなかった。
抗生物質が作られるようになったのは、二十世紀になってからです。薬が工場で、大量生産できるようになったのも。それまでは自然にあるものを薬とし、工夫して使用していた。
それに、台所にある材料でできちゃう方が、家事の合間にできるし、長続きするでしょう?」
店主はそう言いながら、ティラミスの指を一本一本、ていねいに揉んでいる。
「クリーム作っても良いですけどね……時間がかかるし、別に材料を買ってこないといけないんですよ。それよりは、こっちの方が簡単なので」
「へ? え? クリームって作れるの……? ま、まさか、生クリームとか!?」
自分が生クリームだらけになっている姿を、ティラミスは思わず想像していた。
「いえ、もっと長持ちする材料で作ります。油を乳化するための土や、蜜ろうを使います。ゲル化剤を使えば、軽い感触のジェルにもなりますけれど」
「は、また土?」
どうやったら、土でクリームができるのか。想像できない。
目を白黒させているティラミスにかまわず、店主はくるくるとマッサージを続けてゆく。
「傷を治すのには、ビタミンCがあると早いんですよ。取ってます? ビタミンC」
「は? えーと、普通にオレンジジュースとかは飲んでます……けど」
「ストレスが多いと、体の中でビタミンCがどんどん消費される。一日のうち、何度か分けて、こまめに取った方が良いですよ。
ほかに、皮膚に良いのはビタミンAやB2、B6……」
店主の手が止まり、何かを確かめるかのように、ティラミスの右手を包んだ。
「指先、いつも冷たいでしょう」
「あ? え? えと、……はい」
「先ほども言いましたが、ヨガやストレッチで、体の中の気の巡りや、リンパの流れを良くして下さいね。
手先が冷えていると、栄養も回りにくくなる。それがささくれを作る原因になったりするんですよ」
店主の手は、温かかった。
「紅さんの手、あったかいですね。何だか……ほっとする」
「水仕事の後は冷たいですよ」
ちょっと笑ってから、店主は手を離した。ティラミスは何となく、残念な気がした。
「……って、それ何ですか!」
そう思っていたところ、次に店主が取り出したものを見て、ティラミスは思わず突っ込んでいた。店主は答えた。
「ラップフィルムです」
それは、どう見てもラップだった。
料理をレンジに入れる時に、包んだりする、あれ。
透明で、でも濡れるとべちゃっとしてしまう、取り出す時に失敗してくっついてしまうと、あとが結構面倒な、
ご家庭に一つはあるだろう、透明なフィルム。
「どうするんですか、それ……」
「傷に巻きます」
「なんで傷口! だだだったら、絆創膏で良いでしょう! 絆創膏が良いです、わたし!」
「はいはい。じゃ、巻きますね」
店主はラップフィルムを適当に切ると、手際よくティラミスの指を一本ずつ、巻いてしまう。
「え、うえ、ええ??」
「手の他の部分にも巻いておきます。次は左手」
唖然としている間に、左手も同じように油を塗られ、指先を揉まれ、ラップフィルムで包まれてしまった。
ティラミスは、十本の指と手にラップを巻き付けた状態で、手をお化けのようにだらんとさせながら、呆然として座っていた。
店主はその手を取ると、タオルの上に置いた。続いて別のタオルを湯につけてしぼり、ほかほかとしたそれを、ティラミスの手の上に置く。
「あのあのあの?」
「ん、よし。しばらくそうしていて下さいね」
「えええええ?」
何がどうして、どうなった。
そう思っていると、目の前で、店主がボウルや油の瓶を片づけ始める。トレイの上に並べてひょいと持ち上げると、厨房の方に行ってしまった。
わたしはどうすれば。
呆然としながらティラミスは、ラップに巻かれた手をタオルの上に置き、座っていた。と言うか、動けない。上に乗っているタオルが落ちそうで。