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ピンポンと海の音

作者: kyohei0528h

初投稿です。お暇ならばどうぞ。

ピンポンと海の音


 僕は今日、卓球部を辞める。

 目当ての部活がなくて、仕方なしに何となく入っただけの卓球部。だが、熱意が沸かなければやる気が起きるわけもなく、行くのがダルくなったから辞意を表明した。それだけのことだ。昨日、その旨を部長である宮城さんに伝えたら、怒りもせず、悲しみもせず、嫌味さえも言わずに僕の意思を尊重してくれた。

 しかし、部室を出る僕の背に、宮城さんは意外な言葉を投げかけた。

「明日、海沿いの町立体育館に来いよ。いなくなるんなら、その前に一度、ピンポンでもやろうや」

 ここでの明日、つまり今でいうところの今日は、体育館の使用順の関係上、卓球部の活動がない日だ。宮城さんは熱心な卓球プレイヤーなのだろうが、休みの日に、しかも今まさにドロップアウトせんという男と打ち合うとは、一体どういう心境なのだろうか・・・。

 断ったってよかった。だが、宮城さんが卓球部で唯一色々と僕に気に掛けてくれたことを鑑みれば、それはあまりにも無礼で、薄情な気がした。

 結局、僕は学校が終わってすぐに、この町立体育館へと歩を進ませてしまったのである。


 体育館は二階建てで、一階は多目的教室なんかがいくつか入り、二階に小さな体育館があった。夏になると海水浴客がバトミントンなんかを興じたりするらしい。しかし、今は冬の入り口だ。しかも、この町立体育館は、約40年前に建てられたものらしく、建物を支える鉄筋は潮風によってかなりしつこく錆が浸食している。いつ取り壊されてもおかしくないし、実際のところ取り壊す話もちょこちょこ出てはいるのだが、何故かずっと僕らの街に残っている。

 先輩はまだ来ていないらしい。僕は硝子戸を静かに引き、管理人のおじさんに使用料を支払い、もう一人後から来ます、ということを伝えた。管理人室の奥の廊下からは、どこかの高校の華道部らしき女子の嬌声が耳を刺した。

 僕は、一体何をやっているんだろうか・・・

 二階へ上がる汚れた階段を一段一段上がりながら、そんなことを考えてしまった。考えれば考えるほどおかしな話だ。僕はもう卓球部を辞めたというのに、活動が休みだというのに、学校名の入ったジャージを上下に着込み、卓球ラケットが入ったケースを脇にこさえているのだから。

 おじさんから預かった鍵で、体育館に入る鉄の扉を開けた。鈍い金属音が、広い体育館に響いた。その音が止むと、すぐそばで打ちよせては引いていく波の音が途切れることなく続く。それさえもやけに哀愁を誘い、輪をかけて気持ちが沈みこんでしまう。

 そこへ、ちょうど宮城さんが颯爽と現れた。

「うっす。悪いな、掃除当番に当たって、遅くなっちまった」

「い、いえ・・・」

「よし、早速準備しよう」

 僕らは体育館の隅っこにあった二台の卓球台のうち、見た感じ新しそうな手前の青いやつを二人がかりで移動させ、中央より若干奥側で展開させた。いくら「新しそう」といっても、この体育館の外観よろしく、なかなかのボロらしい。台の下のキャスターは異常に動きが渋いし、折りたたんである台を広げる時も金属がすれ合う不快な音がした。

 学校にある台はこんなじゃない。暇な時間を見つけ、宮城さんがまめに手入れをしているようだ。だから、何年、いや何十年経っても壊れそうにないほどにいつもピカピカだし、動きもいたってスムーズだ。

 そういえば、僕はそんな宮城さんの働きぶりを、ただ見ているばかりだったな・・・。

 台のちょうど中央の左右脇に支持器を立て、そこにネットを張る。このネットもなかなか年季が入っているようだが、卓球をする上では問題なさそうだ。準備が一通り終わると、宮城さんは僕に準備体操を促した。

 正直、面倒だった。

「あの・・・やらないと駄目ですか?」

「当たり前だ。骨折するぞ」

 僕の怠惰はあっけなく打破された。仕方なく屈伸を始める。二人だけしかいないのに、何だか気恥ずかしかった。人間という奴はどうしようもない生き物で、一旦怠けることを知ってしまうと、がんばるという行為が億劫になるばかりか、禁忌であるかのように避けだすのだから、呆れるばかりだ。

 ここまで準備をやって、ようやく卓球だ。宮城さん曰く、ピンポンらしいが・・・まぁ、同じことだ。どっちにしろ「卓球」というスポーツなのだから。

「よーし。最初はゆるめにやるからな」

 宮城さんの手からセルロイドのボールが宙へと放り出され、その落下点をラケット―――宮城さんは今どき珍しく、ペンハンドの表ソフトなのだが―――が叩きつけた。ボールはなかなかの速さで台の上を跳びはね、僕の陣地へと侵入してきた。僕の安物のラケットは宮城さんのサーブを受け止めることはできず、ボールは僕をあざ笑うかのように脇腹の横を通り過ぎていった。

「す・・・すいません・・・」

「ははは、気にするな。一発目はそんなもんだ」

 僕は走ってボールを取りに行った。ボールは壁に当たり、台の方へ小さく跳ね返ってきた。それを拾い上げようとしたが、取り落としてしまい、もう一度拾い直した。

 卓球部に入部してから、僕はずっとこんな感じだった。他人と同じように練習しても、いつのまにか自分だけ置いてけぼりにされてしまうのだ。これは何も卓球だけの話ではない。いつだって僕は、誰かが労せずできることを、労しても全然できなかったのだ。他の人間のスタート地点に立てるようになれるまで、僕はそれなりに努力してきたつもりだ。そして、そんな自分にそれなりに満足していたつもりだ。

 だが、それは体力の無駄使い以外の何物でもないことに気づいてしまった。努力をする人間が美しいなんていうキレイ事は、所詮幻想に過ぎないのだ。要するに、努力をしなくてもいい人間は上に上がっていけるし、努力が必要な人間はそもそも全然ダメ、終わっているっていうことだ。

 だから、卓球部だって長続きせずに辞めることとなったのだ。

 僕は拾ったボールを手に、台の縁へと戻った。

「すいません・・・あんまり僕は上手くないので・・・ほんとすいません」

 すると、宮城さんは呆れたように僕を見た。溜息までつかれてしまった。

「お前さ、頼むからくだらんことで謝らないでくれるか?誰でもミスはするし、ちょっとした不注意はあるんだから、いちいち謝罪してたらキリが無いぞ?これは遊びなんだから、もっと気楽にやれよ」

 すいません・・・言われた傍から無意識のうちに謝ってしまった。そのことにはあまり触れず、宮城さんは早くサーブするよう僕に注意した。すいません・・・と言って、僕は何の技巧も含まれない、いたって普通の送球をした。

 かなり下手くそではあるものの、僕も何とか調子が上がってきて、どうにかボールを返せるようになってきた。すると、宮城さんは突然に話し始めた。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけどさ・・・お前、何で部を辞めようと思ったんだ?」

 カンコン、カンコン。一定のリズムで進んでいくピンポンで、突拍子もなく、電撃のように鋭い一撃。

 だが、僕は何とか持ちこたえ、リズムを崩さぬようにボールを打ち返した。

「・・・僕には才能がないと思ったんです。その・・・同じように入部した連中はどんどん先に行ってしまうのに、僕だけ全然上手くなりません。だから、練習するのがバカバカしくなったんです。それが理由です」

「ふーん、なるほどね・・・才能ね・・・」

 ボールの音。一呼吸置いて、波の音が追いかける。

「俺は、才能なんて関係ないと思うけどな」

 宮城さんの、低く刺すような一言。半波長遅れ、打ち寄せる波の大音声。

 僕は図らずも動揺してしまった。その動揺がプレイにも波及したようで、ラケットの角に当たったボールは、僕の心拍数よろしく高く飛び上がり、場外へと落ちた。そして、嬉しそうに高い音で笑いながら、向こうの壁際へとバウンドしていった。

「僕・・・取りに行きます・・・」

「いいよ、俺が行く」

 宮城さんが小走りでボールを追いかけた。僕は宮城さんの大きな背を見ながら、申し訳なさとショックとで心の中が満杯になった。

「まぁ確かに、お前は他の連中と比べれば、まだ上手くないかもしれないな。けど、がんばりと根性では誰にも負けないと思ったんだが・・・このままやっていればもっとずっと上手くなると思うんだけどなぁ・・・あぁ、いやいや。勘違いしないでほしいんだけど、俺はお前を無理に引きとめようとしているわけではないからな。ただ、思ったことを話しているだけだ」

 宮城さんの端正な顔が、微笑を浮かべた。まったく、イケメンは何をしても絵になるのだからやはり得だ。

「お言葉ですが・・・僕はいくらがんばっても駄目だったと思います。運動神経だって良い方ではないし、体が小さいから台全部をカバーしきれないんです。こればっかりは他の連中にはどうしても敵いません。天性の才能というやつでしょうかね」

「そんなこと言ってくれるな。努力すれば、いつかは必ず報われる。絶対にそういうことになってるんだから、才能だ何だって言って可能性を自分から失くしてしまうのは馬鹿らしいと思わないか?」

 大仰に話しながら、宮城さんはさっきと同じようにボールをサーブした。あまりの理想論らしい理想論に対し、一種の苛立ちさえ覚えた僕は反論しようとしたのだが、上手い具合にボールがきたのでそれは叶わなかった。

「・・・とは言うものの、さ・・・」

 宮城さんは僕が返したボールを難なく、いたって普通のフォアハンドで返してみせた。

「現実はそうはいかないわな。いくらがんばれがんばれわめいたところで、先天的な差はやっぱり埋められないし、残酷だけど、得てしてそういう生まれつきのものが努力を無にするもんだからな」

 僕は黙るしかなかった。それは僕が少なからず心の中で感じていたことだからだ。

「だけど、もしかしたら他の連中だって、お前みたいに・・・もとい、お前以上に強いコンプレックスを感じてる奴がいるかもしれないぞ?そういう奴からすれば、お前だって十分に恵まれてるんじゃないんか?」

「それは誰ですか?」

「・・・誰、ということはないよ。そういう奴がいるんじゃないかな、と思っただけさ」

 クールな顔で球を返し続ける宮城さんだったが、珍しく球をネットに引っ掛け、あえなくミスとなった。長い手がシュッと伸び、ネット付近で行き場を失ったボールを拾い上げた。

「み、宮城さんは・・・」

 僕は思うことがあって、対面する先輩の名を呼んでみた。しかし、声量が足りずしかもちょっと噛んだので、宮城さんには声が届かず、

「あ?何か言った?」

 と聞き返されてしまった。

 宮城さんとの距離は近くて遠い気がした。たかだか台一つ分だが、それは長い時を経ねば埋められない距離であるかのようだった。それでも、僕が卓球部で練習してたときよりも、明らかにその距離は縮まっている気はした。ペーペーの新入部員と、活動を統べる部長。僕らの間には大きく高い間仕切りがあったが、その間仕切りは大分小さくなった。そんな気分だ。

 単調な周期を繰り返す海の声。負けないように、大きな声で聞いてみた。

「・・・宮城さんは・・・宮城さんにも、コンプレックスに感じていることがあるんですか?」

 すぐに答えは来なかった。

 宮城さんは何も言わず、ちょっとだけ笑みを浮かべて、ラリーを再開した。しかし、気のせいだろうか、表情に一瞬の陰りが射した気がしたのは。

「そりゃあ、そんなもん山ほどあるよ・・・例えば、俺は山高と戦うときは劣等感しか感じないよ」

 山高とは、僕らの高校と同じ地区の高校で、正式名称は山畑高校という。偏差値で言えばちょっとだけ向こうが上だが、大差はない。卓球部以外の部活動だと、結構いい勝負をしているのだが、うちの部はまるで向こうには勝てない。どうにか互角以上の戦いをするのは宮城さんくらいなもので、他はまるでダメ。よって、いつも団体の部の地区代表で県大会への切符を手にするのは、山高のほうなのだ。

「向こうの選手は一級品だ、県大会でも十分戦える。特にキャプテンの石沢にはいくらやっても歯が立たない。あの前陣速攻には感服するしかないんだよなぁ・・・あっ、悪い悪い。お前には関係のない話だったな」

 まぁ関係のないと言われれば反論しようがないのだが・・・改めて、僕は卓球部を去ったという事実を思い知らされた。

「あとはそうだな、俺は頭が良くない。この前の模試なんか、真ん中より少し下だったし」

 確かに、宮城さんが頭がいいという噂はあんまり聞いたことがない。けれど、順位は下から勘定する方が手っ取り早い僕よりは全然頭がいいし、まして僕ら後輩に勉強を教えるなんて芸当は、そこそこ勉強してなくてはできっこないだろう。

 何より、実際にはテストの成績が良くても、生活上で頭の回転が鈍い人もいるわけだし、安易に模試の成績で頭の良さを計ることは無理・・・なはずである。赤点を連発する僕には偉そうなことは言えないけれど。

「まぁ学生としてちょっとやばいんじゃないかという欠点をいくつも抱えているわけだけれども・・・俺が一番人よりも劣っているんじゃないかというのは・・・まぁいいや」

 と言いかけて、宮城さんは口をつぐんだ。

「何ですか?」

「いや・・・そのつまり・・・まぁそのうちに分かることだ。今は言わないでもいい」

 明らかに歯切れが悪い。そして見逃さなかった。宮城さんの顔に、さっきのあの不穏な陰りが再来したのを。

 リズミカルで、安定していた送球が一転、宮城さんの球は明らかに球筋が甘く、ド初心者の僕をしても豪快なスマッシュをできるほどの高いリサーブになった(無論、そこで「もらったぁ!」と叫び、力任せにラケットをボールにぶち当てるほど空気は読めないわけではないので、今まで通りに返したが)。 とにかく、僕の調子も何とか出てきて、そこそこ続くようになったラリーにミスが目立ち始めたということだ。そして、宮城さんもその頻発するミステイクに少なからず加担しているのが問題だ。

 だが、宮城さんは途切れることなく僕に話を振ってくれた。先程までの笑顔のままで。

「ところで、この次に入る部はもう決めてるのか?」

「そうですね・・・今のところは決めてません。だけど、今回の件で自分には運動神経が皆無だし、あんまり好いてないことが何となく分かったので、文化部に入ろうかなと思ってます」

うちの高校は運動部だけでなく、文化部も結構豊富だ。破格のキツさで有名な吹奏楽部を筆頭として、華道部、文学部、書道部、ESC(EnglishStudyClub、直訳すれば英語研究部ってところか)、パソコン部、科学研究部、社会科部という感じだ。最初の四つの部は真面目に活動し、成果もあげている。しかし、後ろの四つは変な話、運動部の過酷な練習に耐えきれなくなった、あるいは運動部は嫌だがかといって帰宅部ではかっこ悪い、などのレイジーな理由で集まった連中がだらだらとお喋りをするような名前だけの部活動だというもっぱらの噂だ。

 今の僕の心境では、後者のいずれかに入って、楽な高校生活を過ごしたいな・・・という思いに傾きつつある。けれど、僕の性格からして、楽を通り過ぎ、確実に堕落していくであろうことは何となく予想が出来た。だけれども、きつい部活動には戻りたくないという思いが、怠惰から僕が脱出するのを断固として阻止しているのである。あぁ情けない。情けなさ過ぎる。

「なるほどね。いいよね、文化部は。理性的な魅力に溢れている・・・汗臭い俺らとは正反対だ」

 これが本心なのか嫌味なのかは分からない。まぁ、どっちでもいいんだが、宮城さんの性格からして前者だろう。

冷静な声色で話す宮城さんは、今度はきつめのラインでボールを返してきた。

「だけどな、次の部活動はちゃんと選んだ方がいい。うん、絶対にそうすべきだ。残念なことだけど、うちの部はお前には合わなかったようだから、今度は自分の能力がどれくらいかをちゃんと見極めて続けられるのを選ぶんだぞ」

 僕は捉えきれなかったボールを追いかけ、台を離れていた。背中越しの忠告は、真正面で怒鳴られるよりも或る意味きつい。何かから逃げて、それが追い打ちをかけてきたような錯覚に陥るからだ。

「ま、そうは言っても、ちょっと休んでからゆっくり選べばいい。ちゃんと時間をかければ、必ずお前に合う部活動が見つかるはずだからさ。うん、時間をかければ・・・・・・そう、時間・・・時間さえあればな・・・」

振り返りざまに、また見てしまった。宮城さんの暗い表情を。

一体何だというのだろうか。宮城さんの暗い影は、徐々に大きく、濃くなっていくような気がする。そして、そのたびにピンポンは中断、あるいは流れが悪くなったりするのだ。

 僕は台の縁に戻った。しかし、宮城さんは茫然自失といった感じで、ラリーを再開しようとする気配すらしない。それだけならまだいいが、宮城さんの顔は、死人のように真っ白だった。僕の心臓は、一度だけ跳びはねるように大きく鼓動した。とてつもなく、びっくりしたのだ。

 外の波の音さえも、まるで止まってしまったかのように聞こえないくらいに。

「宮城さん・・・?大丈夫ですか」

 心配になって、宮城さんの顔を覗き込みながら尋ねてみた。すると、我に返ったようにいつもの笑顔に戻った。

「いやぁ、すまんすまん。どうもボーッとなっていけないな。さぁ始めるか」

 どう見ても、宮城さんは無理をしていた。本当はピンポンするのさえ辛いのではないか?いや、それどころかこうやって立っていることさえもかなり苦しいのではないだろうか?下種の勘ぐりもいいところだが、僕の少しばかりの良心は、そんな風に推し測ってしまったのだ。

「宮城さん・・・あ、その・・・本当に何かあったんですか?さっきから調子が悪いように

お見受けしますけど・・・」

「いやぁ、いいんだいいんだ。何でもない」

 宮城さん・・・確実に無理をしている。

 その笑顔は、本当の笑顔じゃない。圧倒的な苦しさを紛らわすための、偽造した笑顔だ。僕は心がきりきりと痛くなってきた。いつも部を盛り上げてくれていた宮城さん。厳格な先輩というよりもフランクな兄貴といった雰囲気の宮城さんは、いつだって僕ら下級生の精神的拠り所だった。そんな宮城さんのやせ我慢は、見るに耐えられなかった。

 僕が、今この空間に一緒にいる僕が、宮城さんの役に立たないといけないと思った。

「そ、そうですか・・・あの、その・・・」

 痛々しい笑顔に僕はどんな言葉をかければいいんだろうか。こんなとき、自分の人見知りが憎らしくなった。けど、負けたくなかった。

「もしもおっしゃりたくないならば・・・僕は無理には聞こう、いやお聞きしようとは思いませんが・・・えっと、その・・・あ、もしもピンポンを続けるのが辛いならば、いつでもおっしゃっていただければ・・・その、すいません、でしゃばったこと言って・・・」

自分で自分が何を言っているのか分からなかった。頭の中が熱っぽくなって、良い言葉を繕うとすればするほど綻びが出てしまった。やっぱり、僕はコミュニケーションという奴は苦手らしい。

 宮城さんはあの笑顔のままだった。だけど、苦しさはなくなったような気がした。

「俺、最近体の調子が悪くってさ・・・部を去るお前にまで心配かけてしまって悪いな。心配してくれて本当にありがとよ。その言葉だけでも俺は嬉しいよ。だけど、まだまだこんなんじゃ疲れないぜ。さぁ、どんどん打とう!もうちょっとで使用時間終わるからな」

何事もなかったかのように、宮城さんはボールを打ち始めた。その動きは、先程までとは打って変わり、この体育館でピンポンを始めた当初のものに戻っていた。そんな台の向こうの先輩が嬉しくなって、僕もがんばってボールを必死で返した。大変だったけど、とても楽しかった。

 海岸の波の音。ピンポンのリズム。

 体育館の使用時間が終わるまでの、ほんのわずかな時間ではあったけど、それら別々の波長で繰り返されていた二つの音がすっかり同調したような、そんな気がした。


 体育館を出た僕と宮城さんは、近くにあった自動販売機で、スポーツの後のジュースを飲んでいた。ここは少しだけ海から離れているせいか、波の音は、本当に耳を澄まさないと聞えない。

「いやぁ美味ぁい!これだからスポーツはやめられないな。そうは思わんか?」

「ぼ、僕は・・・」

「お、すまんな。ちょっと配慮が足らなかったな。しかし、あれだな、卓球はおもしろいな。ホント、いつまでも続けてたいや」

またしても意味深発言だ。僕はその真意を聞こうとしたが、それは無粋だと思ってやめた。

「で、お前はどうだった?今日は楽しかったか?」

「はい。宮城さんと色々とお話できて、とても楽しかったです・・・ありがとうございました」

「なぁに、礼はいらん。俺も石沢みたいな連中とばかりやると疲れるからさ。ちょっとした息抜きになったよ」

 宮城さんは疲れているせいか、弱弱しく僕に笑って見せた。

 上履きやラケットケースが入ったショルダーバッグ。宮城さんには何だか重そうに見えた。

「あの・・・僕は・・・」

 やっぱり卓球部を続けた方がいいんでしょうか?と言おうとした。実際のところ、僕は自分の気持ちを見失いかけていた。ピンポンを始める前は、絶対に辞めたいと思っていたはずなのに。それなのに、僕はまた卓球を続けようかなと思い始めていたのだ。

 しかし、僕はその言葉を飲みこんだ。飲みこまざるを得なかったのだ。僕よりも半歩前の宮城さんの顔が、これまでにないほどに真剣だったから。その顔は、何というか、あまりにも残酷で、無慈悲で、何より、悲しげな気がした。

 そんな宮城さんは、口を開いた。

「一応念を押しておきたいんだけど・・・俺はお前が卓球部を離れるのを無理やりに止める気はない。どこへ行こうが一向に構わない。お前の自由にやってほしいと思っている。けど、俺はお前のことを応援するつもりだし、何か困ったあったなら今までみたいに「卓球部の先輩」として付き合ってほしいとも思ってる」

脇には交通量の多い道路がある。車の音のせいで、波の音はまたさらに聞えなくなっていた。僕は、引いて寄せるその周期が分からなくなっていた。

 宮城さんは続ける。

「お前さっき、自分のことを恵まれている人間は誰か?みたいなこと話しただろ?」

 僕は小さく一度うなずいた。

「それさ・・・まぁつまり、俺のことだ。俺は、お前がうらやましいよ」

 正直、驚いた。驚いて、ショルダーバッグを地べたに落としそうになった。

 だって、あの何でもそつなくこなす卓球部部長の宮城さんが、僕をうらやましいなんて!いつも堂々としている宮城さんが照れながら鼻の頭を掻く仕草さえもろくすっぽ見えなかったくらいに、僕は軽く混乱してしまったのだ。

「何だ?雀が豆鉄砲撃たれたみたいな顔してるけど、そんなに意外だったか?」

「いや、だってその・・・僕なんか、勉強も下から勘定する方が早いし、春にやった運動測定だってE判定だったし、女の子と10秒以上しゃべったこともないし・・・そんな僕が、何で・・・?」

 宮城さんはジャージの上着のポケットに手を突っ込み、またあの真剣な顔になった。

「俺が見る限り、お前は自分に随分と自信が無いように見えるんだけど・・・俺はもっと自信持ってもいいと思うけどな。だって、今回みたいに部活選びに失敗して挫折したとしても、お前はまたそこからやり直しができるんだからさ。それってすごく恵まれていることだと思う」

「そんなことは・・・」

「いや、絶対にそうだ。例えばさ、俺みたいに部長なんかを大したリーダーシップもないくせに下手臭く引き受けたりなんかすると、失敗は許されなくなる。部活ってのは、縦社会だからさ。上への尊敬なんかがないと、下の連中が勝手なことをして絶対に立ちゆかなくなる。それだけじゃない。部長として責務を果たすってことにも妥協はできない。自分で言うのもあれだけど・・・正直疲れっぱなしだ。けど、お前はそういう責任ある役職みたいなのはまだない。言い方は悪いけど、部内での地位だってそんなには高くない。だが、そこが一番下だと考えれば、あとはがむしゃらに登って行くだけだ。もがくだけの時間もチャンスも無尽蔵に用意されているお前は、本当に幸福だと思うよ」

宮城さんの声の端々に、どことなく疲労感が感じられる。

そんな宮城さんの考えは、少しずつだが僕の中に染み渡っていくような気がした。確かに、僕は他の人間よりも明らかに劣っている。勉強も、運動も、容姿も、その他色々・・・正直、それが辛かった。こんな劣等感が重荷になって、何もしようとする気が起きなかった。努力して、そんな重荷を少しでも軽くしようとする気さえも。

 部長という仕事はきっと大変なんだろう。少なくない部員を統率し、部を回していかねばならない。地味で目立たない事務仕事や、誰もが嫌がる役をこなさねばならない。僕はとても完璧にこなせる気がしない。そして、これを完璧にこなしていく方法も手段なんかきっとこの世にはないんだろう。そんな部長職という難しいことを、いつも笑顔でこそいるものの、宮城さんは苦労に苦労を重ねていたに違いない。

 そういう意味では、僕は確かに幸せ者だ。この世で一番の幸せ者かもしれない。今よりも確実に良くなる方法が、お膳立てされて用意されているも同じだ。そうだ、走り続けるだけでいいんだ。

 僕は、心が軽くなった気がした。

「宮城さん・・・卓球部でこそ僕はくじけてしまいましたが、これからはがんばっていこうと思います。何をどうしたらいいか分からないですが・・・とにかくがむしゃらに走り続けていきます」

 車が途切れた。僕はこの耳に、しっかりと海の音を聞くことができた。

「そいつは良かった。がんばれよ!俺は・・・俺は、もしかしたら全部を見続けることはできないかもしれないけど・・・お前のこと、絶対に忘れないからな」

最終的に、僕らは笑った。ひとしきり笑った。

宮城さんは僕の肩をばんばん叩いて、何故か壊れたように笑い続けた。そして、ねじの緩むレコーダーみたいに、内容のない会話をいつまでも僕に続けた。

 けれど、僕は確かに感じ取っていた。

 僕を叩くその手にはびっくりするくらい力が無く、騒ぎ立てるその声には先程までの存在感の片鱗すらなくなっていたことも。

 僕にはもう、ピンポンの音は聞こえない。聞えるのは、海の音だけだ。


                       *


 結局、僕は卓球部を辞めた。まぁ一応は円満退部というわけだ。

 その後、文学部に入部した。理由はというと、文章を書いたりするのが少し好きだからというかなり薄弱なものだったわけで。男子の割合がかなり少ない部だったので、最初は少し緊張したのだが、できるだけ女子を見ないようにしたら何とか普通に活動できた。で、県の短歌大会みたいなやつに応募してみたら、佳作に入った。嬉しかった。

 そんなちょっとずつ僕の生活が上向いていた時・・・正確には、卓球部を辞めて一年と1カ月。街の木々からはすっかり葉っぱが削げ落ち、今年初の雪がちらつき始めた辺り。僕はいつも通り、文学部の部室へ赴き、筆入れをバッグから取り出しているところだった。数ヵ月後の県の脚本コンテストに向けて、部内全体が創作ムードに入っていた。

 そこへ、同じ学年の卓球部の男子が真っ白な顔をして飛び込んできた。彼は僕を見つけるなり、ものすごい大股で僕に近づいてきた。彼の逼迫したオーラは、部室内のご歓談ムードをすっかり消沈させた。

「どうしたんだよ?そんなに息切らして・・・」

 僕は呑気に尋ねた。しかし、彼は僕が話すのなどお構いなしに、かぶせるように言った。

「宮城先輩が・・・宮城先輩が・・・!」

 宮城さん・・・穏やかではなかった。卓球部を離れてからというもの、やはり宮城さんとの距離は遠くなっていた。けれど、半年に数回のメールで、体調を崩しているらしいことは聞き及んでいた。少し心配していたのだが、宮城さん曰く、「ちょっと医者の世話になれば訳ないさ」とのことだったのだが・・・

「宮城さんがどうかしたのか?」

 他の部員もただならぬ雰囲気を感じ取り、僕ら二人を凝視していた。文学部の部室全体が、緊迫した。


 一瞬の沈黙。あるいは、永遠の沈黙。


 それを打ち破るように、僕は信じられない言葉を聞いた。

「宮城先輩が・・・・・・・・・・・・死んだ・・・!」


 僕は病室に入れなかった。

 家族が入れてくれなかったのもあるけど、卓球部でも何でもない僕が入るのは、何だか失礼な気がしたのだ。病院の廊下には、そういう人間がたくさんいた。いかに宮城さんに仁徳があったかを物語っている。

 そのまま帰ろうとした僕を、宮城さんのお母さんが呼びとめた。何と、僕宛に手紙があるんだという。毎度毎度びっくりさせてくれた宮城さん。これが最後だと思うと、自然と涙が出てきた。


 ちょっと信じられないことなのだが、手紙は茶封筒に包まれ、ホッチキスで止めてあった。家に帰ってから、僕は恐る恐る中身を取り出し、四つ折りの手紙を広げてみた。




君がこの手紙を読むとき 僕はきっとこの世にはいないでしょう

 卓球部ではあまり一緒にできませんでしたが 僕は君ほど強く心に残っている後輩はいません

 なぜなら 君を見ていると 僕はあたかも 鏡で自分自身を見ているような気さえしたからです

 

 僕の短い人生は いつだって苦しく いつだって辛さに満ちていました

 先天性の病気の為 他の人が普通にできることが 僕には普通にできませんでした

 それがどんなに僕を自己嫌悪の念へと走らせたことか

 けれど 僕はそのとき自分にできることを 精一杯にやり続けました

 

 そのときの僕に 君はあまりにも似ていました

 高校に入ったあたりから 僕には余命がそれほど長くないことを知りました

 君を見たときに思いました 僕は君の助けにならなければと

 それは 自分と言う存在に悩む君のためになることはもちろんですが

 君を救う努力をすることが 死への恐怖に押しつぶされそうな僕の何よりの救いになりました

 

 僕はここにいて 誰かのためになっている


 そのように思うことができました

 自己満足だと思うかもしれません それでも僕は構いません

 僕ができることをやり続けた結果ならば それは僕の本望なのです

 僕の生きる支えになってくれた君には 感謝しても感謝しきれません

 本当にありがとうございました


 もしも 今君が少しでも自分に自信を持てずにいるのなら

 自分が誰かの支えになれたんだ

 そういう 勉強ができるより 運動神経が良いより 

 もっともっと大事で 確固とした そんな自信を持ち続け

 目の前のことにがむしゃらに取り組んでみてください


 きっと あなたの未来は明るく輝くことでしょう


 卓球にネットがあるように

 人生にも越えねばならない壁があります

 君が僕のように そんな壁を越えて行けるようにがんばってほしいです


 それでは 


 いつか向こうで逢いましょう それで またピンポンでもしよう


                                    宮城順平



 僕は何度もその手紙を読み返した。読んでは戻り、読んでは戻り。それを繰り返した。

 それは、部屋が暗かったからじゃない。宮城さんの字が下手だったからじゃない。


 涙で霞んで見えなかったから。


 僕は泣いた。病院の時以上に泣いた。手紙のボールペンの文字が、みるみるうちに滲んでいった。

 真っ白な頭の中に、最後のピンポンが鮮烈にフラッシュバックした。

 宮城さんのあの笑顔。シューズと床がすれ合う甲高い摩擦音。

そして、あのピンポンのリズム。


 全部、もう戻ってこないのだ。


                        *


 宮城さんが死んで、三年が過ぎた。

 僕はあれからとにかくがむしゃらになった。がんばりたくてもがんばる力も時間も残されていなかった宮城さんに比べ、僕は力も時間もまだまだあった。そんな恵まれた僕が、なまけるのは申し訳が立たない気がした。

 そのせいもあってか、僕は絶望的だった国立大学に無事進学できた。大学の勉強は難しいが、やりがいもある。今は毎日が忙しく、楽しい。

今日は地元に帰り、海沿いの道を歩いている。ピーコートに手を突っ込み、冷たい潮の風にマフラーが強くなびいている。年末ともなると静かなもので、歩く音と波の音だけが僕の耳に優しく入り込んでくる。そして、鉛色の空に合わせたかのような暗い色の海と砂浜がずーっと先まで続いている。

 僕は足を止めた。そこは僕と宮城さんが卓球をやったあの体育館があったところだ。あの町立体育館は、僕が大学に入学した年の夏、老朽化の為に取り壊された。しがない地方紙にさえ、その取り壊しのニュースはなかった。寂しいと言えば寂しいが、近年の利用者の激減を鑑みれば、新聞のスペースを割くだけ無駄なことは明白だ。

 体育館があったところは、今は空き地になっている。「立ち入り禁止」の看板だけが、冬の海岸に寂しく立ち尽くしている。

 僕は目を閉じてみた。あの日の記憶が蘇ってきた。

 

僕の中ではあの日のピンポンの甲高い音があって、

それは海の音と同調して、いつまでも力強く時を刻んでいくんだろう。


僕は、歩みを始めた。

もう後ろは振り向かない。

なぜなら、あのときのピンポンの音は僕の中にいつまでも響き続けるから。


この作品は、友達とよくピンポンをやった体育館をイメージして書きました。

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