異世界みたいなアメリカでの『錬金術』スキルの発動
イトウ家と近所の家 (同じく日系移民の小屋)とは50〜100メートルほど離れて点在しており、父を連れて帰る途中で何人かに会うと、葬式の手伝いを申し出てくれた。
どの家も、東の正面から西の裏口まで一直線に部屋が並ぶ、典型的なショットガン・ハウス (縦長の簡易住宅)だ。
ありがたく礼を述べながらイチタロウは家へと向かう。
玄関の扉を開けると、地面を固めただけの土間があり、収穫用の籠や農具が二度と使われない物のように並んでいる。
作蔵を背負い土間から一段上がると、松材の節が目立つ荒い板の間の一角に、半分だけ残った畳まで西陽が差していた。
作蔵の遺体を飴色に焼けた畳の上に横たえ、南北に敷いた布団の、北を枕に白布を被せる。そして、イチタロウはふらつく足取りで、作蔵の右側にある西向きの自分の机に向かった。
西日はすでに裏口から差し込み、東側の入り口の板間まで長く伸びていた。窓の向こうには父が斃れたオレンジ農園が広がっていた。
イチタロウは震えるような長い息を吐いた。
部屋に半分だけ残っていた畳は、リトル東京の商店を通じて輸入した最高の贅沢品で、いつまでもキヨが拭いているのを「畳が擦り切れちまうぞ」と作蔵が笑っていた。イトウ家の一番いい時の思い出でもあった。
それが、二週間前にキヨが結核で亡くなってから、二度目の葬式を出すことになるとは、イチタロウには信じられなかった。
日系コミュニティにおける葬儀は「相互扶助」の精神が非常に強く、近隣の者が「供出」と呼ばれる持ち寄りで執り行われるが、「亡国病」と恐れられる結核のキヨの場合は別だった。
誰もイトウ家には入らず、キヨの葬儀の後は、寝ていた畳も布団も服も全てが燃やされて、家全体に石炭酸 (消毒液)が散布されて、その強い匂いがいまでも少し残っている。
また視界が歪む。
脳の奥底で、覚えのない記憶が爆ぜ続けていた。
――スマートフォンの青白い光、空を飛ぶ青黒い龍の姿。そして、魔力を練り上げ、自分の指先から物質の理を書き換える不気味な感覚。
「……正気か? 俺は、狂ってしまったのか……」
イチタロウは自分の頭を強く抱え込んだ。目の前にあるのは、今年二月に同じ大学に入学した白人の高校時代の同級生に奢ってもらったペプシ・コーラの瓶の王冠だ。
小さい頃に、細い瓶の首の中から外に押し上げて閉めるハッチンソン式の蓋の飲み物は、不衛生だから決して飲んではいけないと、母キヨに言われていた。
それで。王冠式の蓋のペプシ・コーラをおっかなびっくり飲んだイチタロウは大いに笑われたものだ。
当時はまだ珍しかったそのロゴ入りの王冠が、記念に置いてあった。
だが、その王冠は無残な姿だった。
1909年のブリキ (錫メッキ鋼板)で作られた王冠は、カリフォルニアの湿気に耐えられず、錫の層が剥がれた隙間から、粗悪な軟鋼 (マイルド・スチール)の地鉄が酸化を始めていた。
赤と青のトゲトゲとした筆記体のスクリプトロゴは茶色い錆に食い破られ、その腐食は王冠の天面まで這い上がって、かつての輝きを無惨なものへと変えていた。
今の自分と同じだ、とイチタロウは思った。
抗う術もなく、時代の不条理という錆に食い尽くされるのを待つだけの、「ジャップ」の消耗品。
その時、無意識に震える指先が、錆びた王冠の縁に触れた。
『――構成、置換。不動態皮膜、展開』
口から漏れたのは、英語でも日本語でもない、物質の核に干渉する『異世界の言語』だった。
瞬間、指先から微かな青白い閃光 (アーク)が走った。
チリチリと空気が焼ける音がし、王冠の上で奇跡が起きた。
這い上がっていた醜い赤錆が、波が引くように消失していく。安っぽいブリキの分子構造が、イチタロウの脳内に刻まれた「2026年のステンレス鋼鏡面加工」へと再配列され、表面が原子レベルで平滑化されていく。
一秒にも満たない。
指を離したとき、そこにあったのは錆びたペプシの王冠ではなかった。
窓から漏れるサンタアナの夕陽に輝き、壁の煤まで鮮明に映し出す完璧な鏡面の円盤。
ペプシの鋭利なロゴが、磨き抜かれた銀色を背景に、まるで宝石の象嵌のように浮き彫りになっている。指で弾けば、従来の王冠ではあり得ない、高純度のクリスタルのような澄んだ硬質な音が響いた。
赤かったロゴの色は、どこか金属が透けているような、光の当たり具合によって表情を変える鮮やかな赤色だった。
1909年の世界では見たことがない色だが、2026年の世界ではありふれていた色だ。
自動車や家電製品やエレキギターやバイクのヘルメットにあるキャンディーカラー。
鏡の中に浮かび上がるペプシ・コーラのロゴの半透明の赤い色。
「……夢じゃない。これなら、やれる」
イチタロウは、鏡のようになった王冠に映る、自分の熱に浮かされたような瞳を見つめた。
手に取った王冠には、西日の中で白い布に包まれた父の姿が映った。
手元に光るその小さな「鏡の王冠」こそが、銀よりも明るく曇ることのない、世界を貫く弾丸になるのだと、イチタロウにはすぐに分かった。
1909年12月中旬。カリフォルニアの空は、父を死に追いやったあの残酷なまでの青さを失い、低く垂れ込めた冬の雲がボイルハイツの丘を灰色に塗りつぶしていた。
ロサンゼルス市街の東に位置するエバーグリーン墓地。
そこは、人種隔離という見えない壁によって、白人たちの豪奢な石碑から遠く引き離された場所だった。
乾燥してひび割れた赤土が剥き出しになった日本人区画に、一台の黒塗りの葬儀用馬車が静かに停まる。
数日前、父の骸を肥料まみれの一輪車で運んだ屈辱を、イチタロウは忘れていない。
だからこそ、彼は全財産4250ドルから250ドルをこの数時間の儀式のためだけに投じた。
「……イチタロウさん、本当にいいのか。マホガニーの棺なんて、白人の金持ちが使うもんだぞ」
参列した近所の農夫が、場違いなほど美しい赤褐色の棺を見て、声を潜めて言った。
葬儀の内訳は、当時の日系移民の常識を遥かに逸脱していた。
母キヨの隣、そのわずかな土を確保するための裏金を含めた永代使用料に100ドル。
泥にまみれ続けた父の背を、最後は絹の裏地が張られたマホガニーで包むために60ドル。リトル東京の西本願寺から僧侶を招くための布施に30ドル。
そして、あの一輪車を二度と見たくないという呪いのような執念で手配した、黒塗りの馬車に20ドル。
二週間前に掘り返されたばかりの母の墓の隣には、同じ深さの穴が口を開けていた。
参列したのは、モンテベロのイチゴ畑で共に泥を啜った仲間たちや、リトル東京の商店主、それに町工場のサトウだった。
彼らは一様に、日頃の泥にまみれた作業着を脱ぎ捨て、大切に保管していた唯一の「一張羅」である黒いスーツやフロックコートに身を包んでいた。
潮風と日差しで赤茶けてしまった襟、防虫剤 (mothball)の匂いがきつく染み付いた古い上着、あるいは明らかにサイズが合わず手首の覗いた借り物の礼服。
だが、その着古された黒い布地には、この異国で「ジャップ」と蔑まれながらも、同胞の死に対しては人としての礼節を尽くそうとする、
一世たちの凄絶なまでのプライドが刻まれていた。
寒風の中、彼らは黒い帽子を胸に当て、うなだれて立っている。その整然とした黒い列は、周囲の荒れ果てた赤土の墓地において、そこだけが厳かな日本の一角であるかのような錯覚を抱かせた。
「南無阿弥陀仏……」
読経の声が、サンタアナの熱風の残滓を孕んだ乾いた風に霧散していく。
「……かわいそうにな。両親を立て続けに亡くして、気が触れちまったんだ」
「畑を叩き売って、その金でこんな贅沢な葬式か。せっかく親が残してくれた財産を、一日で使い果たすなんてな。大学なんて行くから、世間の道理が分からなくなるんだ」
参列者たちの囁き声は、イチタロウの耳には届いていない。
彼はただ一滴の涙も見せず、冷徹な機械のような無表情で、母と同じ赤土が父の棺を覆い隠していく様を見つめていた。
そのポケットの中で、指先は「鏡面」に書き換えられたあのペプシの王冠に触れていた。指先に伝わるその硬質で冷たい感触だけが、彼にとっての現実だった。
埋葬が終わると、イチタロウはリトル東京から取り寄せた高級な精進料理を参列者全員に振る舞った。その仕出しの折詰に、さらに40ドル。
「皆さん、父の最期を看取っていただき、ありがとうございました。これで、イトウ家の借りはすべて返しました」
深々と頭を下げたイチタロウの姿に、サトウは言いようのない不気味さを感じていた。
それは悲しみに暮れる天涯孤独の男ではなく、不必要な過去という重荷をすべて投げ捨て、今にも肩を回して駆け出さんとする、飢えた獣のように見えたからだ。
葬儀が終わり、人々が去った後の墓地には、二つの新しい盛り土だけが残された。
イチタロウは一度も振り返ることなく、黒塗りの馬車を見送り、自らの足でリトル東京への道を歩き始めた。背後で、冬の風が赤土を巻き上げ、彼の足跡を消していく。
1909年、12月。
イチタロウ・イトウという「孝行息子」は、今、この丘で死んだ。
今。この丘に立っているのは、二つの世界を生きて一度死に――三つ目の世界で二度目の人生を、自らの力で掴み取ろうとする男だった。




