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冷静な令息の婚約解消ラプソティ

作者: 桃田

 彼女が恋人に呼び出された場所は、上流貴族たちがお忍びでよく使われるというカフェの中庭がよく見える席だった。


 テーブルにはアフタヌーンティーがセットされている。紅茶を入れてもらうと、給仕には下がってもらうように伝えた。二人の話し声は聞こえないが適度に離れた位置で控えてもらっている。


 彼はいつも二人っきりにならないための心配りをしてくれる。彼女への配慮でもあるようだが、彼女にとってはそれがもどかしくもある。


「君に伝えたいことがある」

 改まってそう口にしたのはレオコストンだ。彼はテトラスティグマ公爵の嫡子で優秀な後継者として期待されている人物であり、同学年の王太子の側近でもある。


 学園卒業後は宰相補佐になることが内定している。幼き頃に決められた婚約者はロサイド公爵家の長女フロラシア嬢。


 だが、今、彼の眼の前にいるのはリーザンス男爵家令嬢のラフレシア。彼女はストロベリーブロンドの髪色をもつ可憐な印象の女性だ。


 一年後輩の彼女と彼はふとしたきっかけで出会い、今ではこうして二人で会うような仲になっている。


「僕は、フロラシア嬢との婚約を解消しようと思っている。そしてラフレシア、君と結婚したい」

 ラフレシアはレオコストンの言葉に感激して、頬を赤らめて頷いた。


「ありがとうございます。お受けします、レオ様。私、良き妻になれるように頑張ります」

「私の方こそ、求婚を受け入れてもらった事を感謝する。だが、君と結婚するにあたって資金が貯まるまで、数年、待っていて欲しい」

 そう告げられて、戸惑うラフレシア。


「数年待つ? それは、私が公爵夫人になるための勉強期間ですか?」


「いや、私は公爵にはなれないから君が公爵夫人になることはない。だから、そんな心配は無用だ。

私が婚約解消を願い出ることで、後継者からは外される。下手をすれば除籍処分にまでなるだろうか。除籍処分にならないまでも、このようなことを引き起こせば譲り受ける爵位はないだろう。そうなれば私は平民だ。


だから、今年の王宮官吏の採用試験を受けることにした。試験内容などを確認したが、問題はない。それでも公爵家に忖度されることで落とされるようならば、幾つかの商会に伝手があるので商会に勤めようと思う。ただ父の怒りが想像以上に大きい場合は、隣国に出る必要がでてくるかもしれない。その場合は申し訳ないが、もう少し結婚するまでに時間がかかるかもしれないが」


 続く彼の言葉にラフレシアは首を傾げる。

「何故、婚約解消ぐらいでそんなことに? あなたは嫡子で次期テトラスティグマ公爵なのでしょう。それに学園を卒業すれば宰相補佐になるのではないのですか?」

「いや、フローラとの婚約解消を願い出れば私は公爵位の後継者から外される」


「そんな、なんでそんなことになるのですか!」

 驚いて大きな声が出てしまったラフレシアは、思わず両手のひらで自分の口を塞いだ。


「私の婚約は政略的なものだ。家同士の契約なのだよ。家長である父の定めた契約を息子の私が自身の都合で反故にするのだ。到底公爵である父上に受け入れられるものではない。そうなれば、父は私を後継者から外すのは当たり前のことだ。私の下には優秀な弟がいる。だから、家の方に何も問題はない。両家の事業提携などについては、上手くいっているのでこの婚約が無くなったとしてもなんとかなる目安はつけた」

 そう言って苦く笑うレオコストンを見て、ラフレシアは絶句した。


「そんなの、おかしくありませんか。愛し合う二人が結婚するだけではないですか」

「いや、貴族の結婚とはそういうものだ。何と言っても私とフローラの婚約は政略結婚を前提とした、言わば公爵家同士の契約だ。当主が結んだ契約を嫡子とは言え子供に過ぎない私が反故にするのだ、当然の帰結だろう」


「そんなことって、変です。婚約が解消されても後継者からはずれない人たちだっているじゃないですか」


「それは、家同士の話し合いの結果、その契約が不要になり解消されたからだよ。もっと良い契約相手が見つかったとか、家長にとって家同士を結びつけるメリットが無くなったとか正当な理由がある場合だよ」


 淡々と当たり前のように言うレオコストンにラフレシアは二の句が継げない。


「それから、現在私が所有している個人財産については、婚約者への慰謝料を払うことで、ほとんど残らないだろう。私の都合で婚約を取り消すのだ。公爵家が払うということにはならないからね。それなりの金額はあるので慰謝料を払いきれずに借金を背負うまでにはならないと思う。


 それでも一文無しになるだろう。だから、申し訳ないが結婚資金については仕事を始めてから貯蓄しなくてはならない。君は純白のウエディングドレスに憧れていると言っていたね。それを用意できる資金を貯める時間をくれないか」


 ラフレシアは絶句したままだ。だが、しばらくしてようやく言葉がこぼれる。


「レオ様。そんなのひどすぎます。次期公爵になるために貴方がどれだけ今まで努力していたか。それが水泡に帰すなんて。何かもっと良い方法が……」


「君は優しいんだね。その言葉だけでも、今までの私の努力は十分に報われたよ。君には贅沢な暮らしはさせてあげられないが、一生懸命に働いて少しでも良い生活が出来るように努力すると約束するよ」


 レオコストンは優しげに微笑んだ。

「何か、何か方法が……。そうだわ、フロラシア様に瑕疵があれば、」


 その言葉を聞いてレオコストンは少し怪訝な顔をする。

「彼女に瑕疵はない。それは私が一番よくわかっていることだ」


「でも、私、フロラシア様には色々とされました。様々な罵詈雑言で罵られましたし、教科書などを隠されたこともあります。それに、先日は呼び出されて階段から突き落とされました」


 ピクリとレオコストンの顔が強張る。立ち上がってラフレシアの方へ駆け寄る。

「階段から突き落とされた、怪我は大丈夫だったのかい」


 心配気に彼女の周囲を見回すレオコストンの勢いに気圧されたラフレシアは慌てて付け加える。

「はい。突き落とされた階段がそれほど高くありませんでしたし、運良く足を少しひねる程度ですみました。私、運動神経いいんです」

 ほっとした顔をしてレオコストンは席に戻り、息を一つ吐く。


「それは良かった。でも、それを誰か見ていた者はいるのかな? それからその後に医務室とか医者にきちんと行ったのかい」


「いいえ。二人っきりでしたので。証明してくれる人はいないと思います。でも、私が呼び出されたことを知っている人はいます。それから足首も大したことがなかったので、医務室には行きませんでした」

 俯いてラフレシアが言う。


「そうか。それならば証明は無理だね。君を疑う訳では無いが、この国の裁判は法の下きちんと行われる。証拠を提示してはっきりと証明できなければ、無かったこととして判断される。

 怖い思いをさせて済まなかった。彼女が何かをしたとしても、それはすべて私が彼女に向き合えなかったのがいけなかったのだ。どうか、私に免じて許してもらえないだろうか」


「そんな、レオ様。フロラシア様が悪いんであって、貴方が悪いわけではありません」


「いや、婚約者がいながら君に惹かれてしまった私が悪いのだ。それがなければ、あの淑女然としたフローラがそのようなことなどすまい。そんなことをするまで、彼女を追い詰めていたのだな。彼女にも本当に悪いことをしてしまった。


 それに付け加えるならば、私達三人の関係性は残念ながら彼女が有責の婚約解消の理由にはならない。逆に、私有責の婚約破棄の理由にはなるがね。契約を破綻させるような事をしているのは、私の方なのだから。


 うむ、二大公爵家に睨まれる可能性もあるのか。隣国へわたるための資金を確保しておいたほうが良いかもしれないね」


 項垂れ考え込むレオコストンをみてラフレシアは慌てたが、なんと言えばいいのか考えを巡らせる。

「あの、私。第二夫人、いえ愛妾でもいいです」

 意を決したようにラフレシアがそんなことを口にした。


「フロラシア様と婚約を解消しなければ、結婚すれば公爵家はレオ様がお継ぎになれますよね。それに宰相補佐にもなれるはずです。あなたの未来を奪いたくはありません。私は、日陰者でも構いません。あなたの傍にいられるのならば」

 その言葉に血相を変えたのは、レオコストンだ。


「そんな。愛する君に日陰者などという肩身の狭い思いをさせられるわけはないだろう。それに、そんなことをすればフローラにも申し訳ない。私は、今でさえ不誠実だというのに、そこまで不誠実なことを君たちに積み重ねたくはない」


 レオコストンにとっては、長年婚約していた相手をこれ以上貶めるなど、想像もできなかった。愛は無いが友愛や信頼関係は残っているからだけではない。


 口にはしなかったが、仮にその様なことをしでかした場合は遅かれ早かれ身の破滅に繋がるだろうことを認識していたからだ。あの有能なフローラが泣き寝入りする姿など想像がつかない。そこまで不誠実な対応をしたら、必ず牙をむくだろうと。


 ラフレシアは顔を歪めた。彼は自分と結婚するために自分が今まで築いてきたすべてを捨てることを決心し、それが揺るがないのだということにようやく気がついたからだ。


 自分には兄がいる。男爵家を継ぐのはその兄である。だから、自分が貴族でいたければ貴族家に嫁入りするしかない。だから、より良い家に嫁ぎたいと思っていた。自分の外見をもってすれば可能であると信じていた。実際に公爵家の令息とこうして恋人関係を結べたのだから。


 だが、このままだと自分が嫁ぐのは元貴族の平民に成り下がったお坊っちゃんだ。王宮の官吏の給料なんてたかが知れていると思う。経済観念や何かを考えてみても真っ当な暮らしができるかどうか。


下手をしなくても今よりも慎ましやかな生活が待つとしか思えない。父が自分にもってきている縁談が幾つかあったはずだが、少なくとも下級とはいえ貴族家とのものであり、それなりの資産も見込まれるはずだ。


「わかりました」

「何がだい?」

 急に立ち上がったラフレシアに少し驚いたような表情でレオが尋ねたのだが。


「貴方が、使い物にならない真面目なお坊ちゃんだということが、です。私は上流貴族のいい生活がしたかったんです。何を好き好んで平民にならなくちゃいけないんですか。平民との結婚なんてお断りします。じゃ、さよなら」

 ラフレシアはそう吐き捨てて出ていった。後には呆気にとられたレオコストンが残された。



「だから、最初に彼女と話をしてよかっただろう」

 落ち込んでいるレオコストンの頭をポンポンと叩くのは、友人でもある王太子殿下だ。


 実は、この場所でずっと話を聞いていたのだ。彼がいた場所は本来護衛騎士が控える場所であり、ラフレシアからは見えないようになっている場所でもあった。


 先日、王太子は王宮の官吏試験要項や試験集をもっているレオコストンをみかけ、どうしてそんなものが必要なのかを問い詰めた。そうしたら、彼はとんでもないことを口にしたのだ。


婚約を解消することにしたので自分は平民になる。両家の関連する事業提携などについては、婚約を解消しても上手くいくように調整する目処がやっとついた。宰相補佐も表面上は辞退することになるだろう。だから、平民として生活するために官吏試験を受けるのだというのである。


 レオコストンが一学年下の男爵家令嬢に転がされているという噂は知っていたが、王太子はそこまでのめり込んでいるとは思っておらず、一時の気の迷いぐらいだと考えていた。彼は婚約者に対してもそつなく対応していたからだ。


真面目な男なので、少しそういうことを学んだほうが良いかとも思っていたぐらいだ。それに学園内でそれなりの噂にはなってはいたものの、節度ある付き合いにみえたせいもある。それでも卒業も間近であり王太子の婚約者からの苦言もあったことで、一応注意しておくべきかと思っていた矢先のことだった。


「レオ。まだ、君の父上や婚約者のロサイド嬢とは何も話し合いをしていないのだな。それならば婚約解消を君の父上に願い出るのは、もう少し待て。少なくとも先にリーザンス嬢の意思確認をきちんとしておいたほうが良いだろう。もしかしたら、向こうは学園を出たらこの関係性を終わりにしようと考えているかもしれないだろう。彼女の気持ちは大切ではないのか。何事も先方の確認は重要だ。君一人で話を進めるべきものではない」


 そう言ってレオコストンを説得し、本日彼女と話し合いを先にさせたのは英断だったと心のなかで自画自賛していた。彼のような有能な人物をみすみす捨てるようなことはしたくはなかったのだ。恋に狂った件については、このことで学習し以後は修正してくれるだろうと期待している。


今回のことは公爵家に恩を売ったことにもなるし、この義理堅い男はきっとこれで生涯自分に尽くしてくれるだろうという目論見もある。それでも同じ過ちを繰り返すようならば次はないのだが。


「彼女の最後の言葉は、君が気に病まないように言ったのだろう。彼女も君のような未来ある人物が自分のせいで、それを失わせるのが嫌だったのではないかな。だから、君が未練などもたないようにあんな言葉をわざわざ残したのさ」


 あまりにも落ち込む友人をみるのが忍びなくて、思わずそんなことを口にした。本当は、あれがあの女の本性なのだろうとは思ったのだが、これほど打ちひしがれた友人に今は追い打ちをかけたくはなかったからだ。今のところは、そういうことにしておいたほうが良いだろうと。


彼の頭が冷えたら、今後のためにもハニートラップ避けに色々と教えた方が良いかもしれないと考えながら。真面目すぎるのも考えものだ。


 その後、レオコストンは自分の婚約者であるフロラシアと話し合いの場を設けた。自分の本心と現状をさらけ出し、彼女の意見を聞くことにしたのだ。こんな自分を厭うならば、自分有責で婚約を解消するつもりであるとも付け加えた。


「この婚約は、家同士を結びつけるためのものです。共同事業など様々なものが絡んでおります。貴方様がこの先きちんと義務を果たしてくださるのであれば、私の方に否やはありません。所詮、政略結婚ですから期待しておりません」


 少し硬質な声で令嬢はそう答えた。その声色に、十年かけて培われてきた信頼関係はすでに破綻してしまった事を彼は痛感した。


 学園の卒業を待ち予定通りに二人の結婚式は恙無く行われる事となる。レオコストンは誠実な夫たろうと決心した。



 一方のラフレシアは、上位貴族令息を物色するのを止めるしかなかった。レオコストンとの話し合いで、婚約者のいる者に手を出すと面倒になるということを学んだからだ。今の時期、上位貴族令息で婚約者がいない者は稀だ。


それにレオコストンとの噂もあって他の令息達に遠巻きにされたということもある。そのため新しい優良物件を見つけることはできなかったのだ。仕方がなく父がもってきた縁談を渋々受けることにした。


 彼女の中では平民になってしまうはずのレオコストンではあったが、婚約を解消しないのならばそのまま次期公爵であり、宰相補佐であり、未来の宰相閣下だ。


 それに気がついて、後からあんな捨て台詞を吐いたことを彼女は後悔し、レオコストンからなんらかの報復があるのではないかとしばらくは恐れおののいていたらしい。

蛇足です。

レオは、自分で事業を興しているためその関係で商会を所持しています。

それを売り払う、もしくはそのまま商会を相手に渡すことで慰謝料に充てようと考えていました。それで払いきれるという算段です。

商会への伝手というのも、父親の関係とかではなく自身が行っている事業関連での伝手になりますので、平民になってもそれなりに生活していけるという自信はあったのです。

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