どしゃぶり
私は毎日のウォーキングを欠かさない。
出かけるときは、いつも折りたたみガサを持ち歩いている。
海沿いの町は天気が変わりやすいのだ。
その日もそうだった。雲行きが怪しいと思った瞬間、土砂降りの雨が降り出した。私はカサを広げ、いつもの道を歩き続けた。すると、向こうから女性がとぼとぼ歩いてくるのが見えた。
彼女はカサを持っていなかった。雨に打たれ、全身がずぶぬれになっている。年のころは二十代なかば、長い髪がべっとりと顔に張りついているのでよくわからないが、美人だろうと思われた。
彼女が何となくこちらを見ているような気がした。その視線が私を後押しした。意を決して彼女のもとに駆け寄り、持っていたカサを差し出す。
「これ、よかったら」
彼女は生気のない目で私を見つめた。
「あ、ボクの家、すぐそこだから」
彼女はゆっくりと手を伸ばし、カサを受け取った。とくに感謝しているようすもない。
「じゃあ。カゼひかないようにね」
そう言って私は駆け出した。礼ぐらい言えよ、と思いながら。
翌朝、郵便受けに二つ折りのメモが入っていた。
中にはこう書かれていた。
“かさをかえしてくれてありがとう”
私はメモを読み返した。昨日の彼女からだろうか。それにしては文章がおかしい。“かえしてくれて”じゃなくて、“かしてくれて”だろうに。
そのとき数日前のできごとが脳裏をよぎった。
私は図書館で自分のカサを盗まれた。カサ立てには別のカサしか残っていない。腹立たしさと雨の憂鬱さに負け、私は他人のカサを手に取ってしまったのだ。
昨日、女性に渡したのは──そのカサだった。
“かさをかえしてくれてありがとう”
背筋が冷えた。
昨日、私がカサを渡して走り出したあと、彼女は自分の家に帰らず、私のあとを尾けてきたのだ。それだけではあきたらず、あらためてやってきて、わざわざメモを残していった──。
私は家の中に戻り、鍵をかけた。
その日以来、ウォーキングには出かけていない。
(おわり)