主従関係の始まり トーマスside
なんとか建物の外へ出ることが出来た。慌てて手を放す。
彼女は燃え続ける建物を見つめながら言った。
「ご主人様、私はこれから何をすればいいですか?」
思わず周囲を見回す。該当しそうな人はいない。
「えっご主人様?」
思わず聞き返した。
「燃える火に大金を投げ入れながら、仰いましたよね。『よし俺が代わりにあんたの借金を返から!!』」
「あれは、言葉の綾というか……」
彼女を連れ出すときに言った僕の言葉。
「旦那様は私の借金を返してくれました。つまり、娼館から身請けされたということですよね」
「いやっ……僕はそんなつもりじゃ……」
どっちにしろ、捨てていくつもりのお金だったし。彼女に気にする必要は無いと言わないと……。
「私には行く当てはありません。実家は売った私に負い目があるから、今さら帰られても困ると思います。ずっと娼館で働いていたから他の仕事も出来ません。娼婦上がりの私と結婚したい奇特な男もいないでしょう」
だって僕は……。
「……君は僕の顔は気にならないの?」
彼女に問うてみた。
彼女は、僕の顔をじっと見た。
「子どもの頃、暖炉に倒れこんで火傷して……。こんなバケモノみたいな顔になってしまって……」
事情を説明する。こんな顔の僕と近づきたい人間なんていないはずだ。彼女も言葉を撤回するだろう。僕はひとりで生きて生きていくんだ……。
「別に気になりません」
「えっこの顔が?本当に!?」
聞き違いかと思った。しかし彼女は、大きな瞳で僕の顔を見続けながら言った。
「娼婦の私には対価さえ頂ければ顔なんてどうでもいいです。それが仕事ですから」
「君が気にならないなら、いいけど……」
彼女の言葉に戸惑いながらも、僕は屋敷に連れて行くことに同意した。しかし、すぐという訳には行かなかった。火事の原因を調べるために役人たちからの、調査があったから。
役人たちの質問を傍らで聞いていて、彼女の名前がカナリヤ。年齢は26歳。小さいころに貧しさの為に娼館に売られ、帰る場所は無い、という事が分かった。
解放されたのは既に夜だった。
証文が焼失したために自由になった娼婦達の多くは、修道院に一時的に保護される事になったらしい。
身内や恋人が迎えに来た娘達もいたが、多くは近くの修道院に身を寄せることになった。落ち着いてから皆、それぞれの身の振り方を考えるだろう。
僕は彼女が途中で気を変え、修道院に行くと思った。役人たちが話しているのを聞いたが、その美貌で娼館で一番の売れっ子だったらしい。今後の行く末には困らないだろう。だから驚いた。
「ご主人様、調査は終わったそうです。お約束通り屋敷に連れて行ってください」
とりあえず、買われたという彼女の認識を変えたい。
「ご主人様でなく、トーマスと呼んで欲しい」
名前にして貰うよう、頼んだ。
「分かりましたトーマス様、それでは私はカナリヤと」
当然のように名前呼びは却下された。
「敬称は要らないんだけど」
とこっそり呟いてみたけど、彼女はこれ以上譲歩する気はなさそうだった。仕方ないと諦めることにした。