主従関係の始まり カナリヤside
私はいつの間にか燃えている建物を遠くから眺めていた。娼館の主人が駆けつけたに訴えている。
「逆恨みした客に火を付けられた!」
娼館の客を思い返す。常連客は金持ちが多かった。一晩の料金が通常より値が張ったらしい。プライドが高く扱いづらい客も多かった。そのうちの一人が娼婦にすげなくされ逆上したのかもしれない。
お忍び目的で通う貴族も多かった。そのためか建物は繁華街から離れた場所にあった。火事になっても他に燃え移る建物はない。そんなことも犯行の後押しをしたのかもしれない。
「ご主人様、私はこれから何をすればいいですか?」
ようやく火の手が収まってきた娼館を眺めながら、私は傍らの彼に話しかけた。
「えっご主人様?」
驚いた声が返ってきた。
「燃える火に大金を投げ入れながら、仰いましたよね。『よし俺が代わりにあんたの借金を返から!!』」
「あれは、言葉の綾というか……」
先ほどの剣幕が嘘のような穏やかな声。動揺する彼に畳みかける。
「旦那様は私の借金を返してくれました。つまり、娼館から身請けされたということですよね」
「いやっ……僕はそんなつもりじゃ……」
私を買ったはずの男は明らかに戸惑っていた。金を投げ入れたのは、動かない私を助けようとする苦肉の策だったのだろう。
「私には行く当てはありません。実家は売った私に負い目があるから、今さら帰られても困ると思います。ずっと娼館で働いていたから他の仕事も出来ません。娼婦上がりの私と結婚したい奇特な男もいないでしょう」
私は彼に八つ当たりをめいた言葉を投げかけた。助けたなら最後まで責任を持てと苛立ちをぶつける。
困り果てた様子の男に、一瞬だけ同情心が沸いたが取り消す気は無かった。
「……君は僕の顔は気にならないの?」
問われて初めて男の顔を意識した。
顔全体の皮膚が爛れケロイドとなっている。右の瞼は特にひどく、青い瞳が半分しか見えなかった。それを隠すためか綺麗なプラチナブロンドが顔の右半分を覆っていた。
顔以外では首にも爛れがあった。洋服で隠れているが、おそらく右肩にもあるだろう。先ほどの火事でと思ったが、男は痛がる様子は無い。
マジマジと顔を見つめる私に彼は言った。
「子どもの頃、暖炉に倒れこんで火傷して……。こんなバケモノみたいな顔になってしまって……」
以前の怪我のようだ。良かったと胸を撫でおろす。自分を助けた人が怪我をしてたら、さすがに罪悪感で居たたまれない。
八つ当たりをしておいて今さらかもしれないが……
「別に気になりません」
「えっこの顔が?本当に!?」
動揺する男。
「娼婦の私には対価さえ頂ければ顔なんてどうでもいいです。それが仕事ですから」
私を買ってくれた旦那様に対する口の聴き方としては落第点かもしれない。でも、それが偽らざる本音だった。
「君が気にならないなら、いいけど……」
戸惑いながらも彼は私を家に連れて行くことを了承してくれた。
役人たちから火事の事を聞かれ、解放されたのは既に夜だった。娼館の主は憤っていたが、証文が焼けてしまったので娼婦たちは自由になった。
身内や恋人が迎えに来た娘達もいたが、多くは近くの修道院に身を寄せることになったらしい。落ち着いてから皆、それぞれの身の振り方を考えるだろう。
私は自分を買ったご主人様についていくことにした。彼から呼び名を変えて欲しいと頼まれた。成人したばかりだと言う彼には、ご主人様という呼び名が違和感を感じるようだ。
「トーマスと呼んで欲しい」
「分かりましたトーマス様、それでは私はカナリヤと」
「敬称は要らないんだけど」とブツブツと言うトーマス様と、辻馬車に乗り込んだ。