最高のプロポーズ カナリヤside
深夜、私は部屋を出た。廊下を通り抜けて、奥のトーマスさまの寝室へ。ドアの取っ手を見つめながら躊躇っていると、トーマス様の声がした。
「……カナリヤ」
びくっとしてしまった。
「トーマス様、起きてらっしゃいますか?」
返事は無かった。空耳だろう。勢いづいてそのまま扉を開ける。
部屋の中央に目が吸い寄せられる。
寝台の上でトーマス様が眠っていた。胸の上で手を合わせ、眉をひそめて。まるで苦悶の表情を浮かべている殉教者のように。
右手に掲げていた燭台を寝台の傍らの脇机に置いた。
これは彼の望みををかなえるために必要な儀式。トーマス様と、もう一度口づけが出来れば私は何でもできる。例え生涯で一番幸せな記憶を忘れる事だって。
彼の望みを叶える事が出来たら、今度は私の番だ。
トーマスさまはなんでも望んでいいと言っていた。他の女との結婚を取り止めてもらうんだ。そしてこれからも私とふたりきりで暮らしてもらおう。一生、ずっと一緒に。
目を閉じて眠っているトーマス様にキスをした。これはトーマス様の為なんだと自分に言い訳し、彼への罪悪感は気が付かないふりをする。
待ち望んでいたキスは、ちっとも嬉しくなかった。あの時の歓喜、もう一度感じられたらと思っていたのに……
心を伴わない行為がむなしい事は誰よりも知っていたつもりだったのに……。でもこれで忘れるんだ。彼に触れるのはこれが最後。愛を期待するのも、もうやめる。
それさえ出来れば、またトーマス様と一緒にいられるんだ。私の望みを叶えるために、彼は結婚を止めてくれる。
これで最後……さいご……。
どのくらい時間がたったのだろう。彼に押し付けていた唇を身を切るような想いで離した。
ふと気が付くと、眠っていたはずの彼の目は大きく見開かれていた。
「どうして……きみが……こんなことを……」
上半身を起こしたトーマス様の声で我に返った。
「あのっ……えっと……」
意味のある言葉が出てこない。
彼は茫然とした表情でこちらを見上げている。
弁明をしなければ。あなたの望みを叶えるためにしたことだと。
トーマス様からキスして貰ったことを忘れるために、彼が寝ている隙に同意を求めずに一方的に口付けをした……
自分でも何を考えていたのかわからない。メチャクチャだ。今度こそ嫌われた。嫌悪され、追い出される。
どうして、私はあんな事を……
ずっとずっと好きだったのに。そばに居られるだけで幸せだったのに。
「あなたが私を拒絶するからじゃない!! 」
カッとなり叫んでしまった。
「鍵をかけて部屋に閉じこもっていればいいじゃない。扉を壊してでも、窓を割ってでも侵入して寝込み襲ってやる。この屋敷から追い出してみなさいよ。地の果てからでも舞い戻ってくるから。そこら中にトーマス様に捨てられた、愛し合っていたのにって出鱈目言いふらしてやる。他の女と結婚なんかできるもんか。あなたが悪いんだ。気まぐれにこんな年増の売女に優しくするから。私が生きている限り、一生付きまとってやる。あなたが悪いんだ。あの一回だけの口づけを思い出にして諦めるつもりだったのに、忘れろなんて言うから」
本心をぶちまける。もういい!!嫌われているんだもの!追い出されるんだもの!……涙がこみあげる……
「だって言ったじゃない。僕と暮らしても幸せだと思ってくれる人と結婚したいって。ということは、財産目当てじゃなくて、トーマス様自身を愛している人ならだれでもいいってことでしょう? じゃあ、私でもいいじゃない。トーマス様のことを世界で一番愛しているのは絶対に私!誰よりもあなたにふさわしいじゃない。受け取ってしまったものは、一生かかっても働いて返すから。お願い、私から望みを奪わないで」
わかっている。贈り物なんか何一つ受け取らなくても、どんなに私が彼を想っていても、望みなんてこれっぽっちもないことを……わかっているけど、現実なんか見たくない!夢から醒めたくない!
彼は寝台から立ち上がり、こちらを見つめ言った。
「君は僕の事が、好きだったのか!?」
頭が真っ白になった。ことあるごとに好意を伝え、愛が欲しいと懇願していたのに、気持ちすら通じていなかった。
「そうよね。まさか私みたいに下卑て汚れた女が、あなたみたいな高貴な方へ本気で愛を告げているなんて考えないわよね。……まして気持ちを返してもらえるなんて期待しているとか」
もう泣きたいのか、笑いたいのかすらわからない。どれだけ私がしていたことは、滑稽だったのだろう。哄笑しつつも目から涙は止まらなかった。
殺してくれないだろうか。どうせ死ぬのなら、彼の手にかかって死にたい。最期くらい、彼の腕の中で。
ぼんやりと考えていると、彼の両手が私の両肩の近くをさまよっている事に気が付いた。
首を絞めてくれるかも。
期待した瞬間、彼は我に返り慌ただしく部屋から出て行った。
いつの間にか床に座り込んでいた。もうすべてが終わった。彼が私にひとかけらも気持ちがないを事を思い知らされ、そして私の醜い、反吐が出るような心の内も晒してしまった。
行かなきゃ。彼の目の届かないどこか遠くへ。彼は本当に優しいから、こんな最低な女でも自ら命を絶ったと分かれば、心を痛めるかもしれない。
私にも彼の妻になれると大それた望みを抱いていた過去をふと思い出した。生まれて初めて優しくされて。きっとこんなに大事にしてもらえるのは、私のことが気に入ったからだって。彼と幸せになるんだって。
私がこの世からいなくなれば、彼の心はどれだけ安らげるだろう。
気力を振り絞り、立ち上がったところでドアが勢いよく開いた。
「僕と結婚してほしい」
私の前に跪いた彼は、私の前に小箱の台座に据えられた指輪を差し出した。
紅い石の指輪。たしかパーティーで身に着けるはずだった、首飾りと同じ色の石……。自分の置かれている状況が分からない。なぜ、私はトーマス様にプロポーズをされているのだろう。
「もう遅いだろうか?」
立ち上がりながら彼は呟いた。
「……トーマス様……想い人とご結婚されるのでは……?」
「なっなぜそんな事を!」
「だってスミス夫人がウエルディングドレスの受注を受けたと」
動揺するトーマス様。
「それは……。カナリヤへの詫びになればと……」
詫び?
「この間、酔っぱらって帰ってきた時に君に無理やりキスをし抱きついただろ。それで……君が忘れられないって怒っていたから……一生忘れられないような酷い事をした詫びを……」
えっ私が怒っていたのは、忘れろて言われたからなのに。
「それで、せめて子爵との仲を取り持とうかと……君を親族にして結婚出来るようにすれば、許して貰えるじゃないかと考えて……」
なぜ、許す条件が子爵との結婚なんだろう。もしかして、私が子爵の事を好きだと誤解されていたのだろうか?
「違うんです!子爵はお姐さんの恋人なんです!娼館時代に優しくしてくれた先輩のお姐さん。子爵は常連で!年季が明けたから子爵の家に引き取られて。えっと正式な妻ではないですが内縁の妻として一緒に住んでいるんです」
トーマス様から表情が抜け落ちた。
「じゃあ、あの手紙は……」
「子爵にお姐さんに届けて貰おうと思ったんです。年季明けの時に、私の事をずっと心配してくれていたから。安心してもらおうと思って。あの、手紙を読まれたんじゃ?」
トーマス様、あんなに手紙に怒っていたのに。
「あれはっ君が子爵に恋文を書いたと思って、思わず嫉妬して」
しっ嫉妬……?思ってもみなかった事を言われて驚く。
「だったら、あの手紙は……?」
「手紙をご覧になったのでは無いのですか?」
「宛名だけ見て、子爵への恋文かと思って……」
宛名だけ……?
「あっはい……。本当に申し訳ございません。つい、お世話になっていたお姐さんに安心して貰おうと、でたらめを書いてしまって……」
「でたらめ……!?」
怪訝そうに問われた。
「あの……トーマス様の事を恋人と……愛する人といられて幸せだと……」
居たたまれない気持ちになり下を向く。
突然、肩を引き寄せられ抱きしめられた。
「でたらめじゃない。ずっと君を愛していた。恋人になって欲しかった」
彼の腕の中で再び私は涙をこぼした。
今度は彼は、私が泣いても離さなかった。
「一目惚れだった」「君さえいれば何もいらない」「ずっとずっと好きだった」
と囁きながら、宝物みたいに抱きしめてくれた。




