決意 カナリヤside
次の日から、私はトーマス様を避け始めた。『忘れて欲しい』と再び言われるのが辛かったから。
しかし、同じ屋敷に暮らしていて全く顔を合わせないわけには行かない。
廊下の掃き掃除をしている時にトーマス様に引き留められた。
「もし良かったら、来月の新年パーティーに一緒に行ってくれないか?国内の貴族はほとんど集まる大規模の。新しいドレスも仕立てるし、装飾品も好きなものを選んでいいから」
そんなにあの夜の事をなかった事にしたいのか。たった一回のキスを。私が恋人を装おうとした事を知った時に、あんなに冷たい目をしていたのに。
「すみません。やっぱり私みたいな女にはそんな華やかな場所はふさわしくありません」
少しでも愛想よく返そうとしたが、自分でもビックリするような冷たい声だった。そんな私にも優しい彼は不快を表すことはなかった。
「……ごめん……」
火傷の痕に囲まれた眼差しは、とても悲しげだったけれど。
そのまま黙ってお辞儀をし、彼の前から去った。
トーマス様が忘れてくれればいいのに。キスして貰ったことは自分だけの思い出にするから。
都合の良い願望を抱いて、次の仕事に取り掛かった。
あれから数週間。私は相変わらず、トーマス様を避けていた。
いつものようにトーマス様が昼食を終えられたのを見計らい、片付けのために食堂に入った。テーブルの上には、メモが置いてあった。
『執務室に来て欲しい」
流石に無視するわけには行かない。
片付けをそのままに、執務室に向かった。
ノックをしドアを開けると、トーマス様は明らかに安堵の表情を浮かべた。
彼と向き合うのはいつぶりだろう。私は彼からの沙汰を待った。
「別荘を買ったんだ。ここから北のアルベール地方のほうに。君に管理をお願いしたい。ひとりじゃ大変だろうから身の回りのことをする使用人も雇うし、現地で出来た友達を招き入れてもいい」
恐れが実現し始めた。とうとう、この屋敷から追い払われるんだ。
「たまに行くときに整えておいてくれればいいから」
たまにってどのくらいだろう。どのくらい待てば会えるんだろう。……会いに来てくれるのよね?
「……あっでも仕事が忙しいから、そんなに訪ねることはないかもしれない」
……やっぱり……。もう二度と目の前に現れないつもりだ。私は放逐されるんだ。そして遠く離れた場所で、私はトーマス様が来る日も来る日も待ち続けるんだ。
『たまに行くときに整えておいてくれれば』
この『たまに』という言葉に縋りついて。
「……私はどこにも行きたくありません」
震えそうになる声で絞り出した。贅沢を言える立場でないことはわかっている。でも、お願い!そばに居させてほしい。
「そうだよね……急に言われても困るよね……。じゃあ、気が変わって引き受けても良いと思ったら、また教えてよ」
そう告げたトーマス様の声は、いつものように優しかった。眼差しは、先日のようにとても悲しげだったけど。
「はい、それでは失礼します」
冷静であるようにと自分に言い聞かせる。だけど、部屋から出たらもうダメだった。嗚咽が漏れそうになり、両手で口をふさぐ。
自室に駆け込み、メイド服のまま寝台に倒れこむ。扉の外に漏れないようにと、毛布にくるまり泣き叫ぶ。
別荘を買ったっていくらで? しかも使用人も雇う!? 主人のトーマス様がいる、この御屋敷にもいないのに!
同じ使用人の私の身の回りの世話をさせる為だけに!?
そんなに追い出したいの!? 図々しい女は甘い餌で釣れば諦めてくれると思ったの!?
現地で出来た友達を招いても良いとも言ってた。つまり僕の事は忘れろと……
別荘なんかに追いやられたら、もう二度とトーマス様に会えない!
どうしよう……どうすれば……
莫大な金を積んででも、追い払いたい女。彼にとって付きまとう私は、どれだけおぞましかっただろう。
そんな気持ちを想像もしないで、いつか優しい彼が自分を愛してくれるようになるんじゃないかと考えて。
いくら彼が、自分の顔に引け目を感じているからと言って、こんな底辺の女に手を差し伸べるはずがないのに。
どれくらい経ったであろう。掃除の続きをしなければ、と無理やり毛布から這い出た。鏡を前に身支度を整え廊下に出ると声をかけられた。
「カナリヤ様~」
スミス夫人だ。いつの間に……
「すみません。いらしていたのに気か付かず。すぐにお茶をお持ちします」
「もう帰りますから、お気になさらず。それよりもおめでとうございます! 」
スミス夫人の陽気な声に圧倒される。
「実は今、トーマス様よりウエディングドレスのご注文を承りました」
「ウエディングドレス? 」
夫人は満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「ええ。トーマスさまが内密で仕立てて欲しいと。きっとサプライズをしてカナリヤさまの驚く顔を見たいと思っているんでしょうけど、女心をわかっていませんわ。女性にとって結婚式は特別なもの。着たいデザインのドレスがおありですよね。ぜひ、お好みを伺いたいのですが! 」
「……私の好み? 」
「急に問われても困ってしまいますよね。また考えておいてください。参考用にデザイン画を今度お持ちします。それでは失礼いたします。わたくしも結婚式の当日が楽しみです」
マダムは息を挟む間もなく話すと、私が返事をする前に玄関の方へ立ち去ってしまった。
ウェディングドレス……トーマス様が注文……トーマスさま花嫁を娶られるの? だから私は追い払われるの?私が彼がしてくれたキスを忘れないからじゃなくて?
いつの間にか、私は自室のベッドの上で横たわっていた。スミス夫人を見送ってからの記憶が全て曖昧だ。
夕食は作った。そしてトーマス様に気分がすぐれないからと、早めに自室に戻らせて貰った事は覚えている。
寝台の上で、昼間のスミス夫人の言葉を思い浮かべた。
『トーマス様が内密で仕立てて欲しいと』
ウエディングドレスを依頼したという事は、結婚が決まったという事だ。トーマス様と想い人と。
いやだ、離れたくない。この屋敷に置いてもらえないかお願いして……。優しいトーマス様ならきっと……
『駄目だ!出てってくれ』
『えっどうして……』
『ようやく愛する人が僕の気持ちを受け入れてくれたんだ。近いうちに結婚して彼女を迎え入れる予定なんだ』
『……私っメイドを続けたいです。お給金なんかいりません。新しい奥様にも誠心誠意お仕えします。このお屋敷においてください!』
『君の僕に対する気持ちはわかっている。君が今まで苦労してきたことは知っているよ。だからこの屋敷にとどまっているのも黙認してきた。しかし限度というものがある。僕は愛する人を幸せにしたい。彼女が少しでも不安になる材料を一つも残したくないんだ』
言われるであろう言葉を思い浮かべ、再び涙がこみあげてくる。イヤだ!イヤだ!イヤだ!トーマス様が結婚されるなんて絶対にイヤ!愛されなくてもいいからそばにいたい!!
「何でもする……何でもするから……」
思わず漏れた独り言で思い出した。以前にトーマス様に同様の言葉を言われたことを。キスを忘れることが出来たら、何でもしてくれるって……。
私は思いついたそれを決行するため、寝台でひたすら夜更けになるのを待った。




