誕生日の失敗 トーマスside
次の日、食堂に行くとカナリヤはいつものように朝食を作っていた。良かった。体調は戻ったようだ。
しかし、目が真っ赤に腫れていた。
「まぶたが腫れているけど大丈夫?……もしかして、昨日の事を気にして……」
昨日のカナリヤの提案を否定した事を過剰に気にしているのかもしれない。
「ちっ違うんです!あの……夜中に怖い夢を見て……」
カナリヤは慌てて否定した。
「それは大変だったね。どんな夢だったんだい?」
僕に出来る事があれば……
「……あまり覚えてなくて……ただ怖かったとしか……」
彼女は言葉を濁した。気まずくなった空気を戻そうと、僕は以前からの計画を実行することにした。
「良かったら今日の夕食は僕が作らせて貰えないか?」
彼女の誕生日を祝おうと考えていた。最初に出会った日、役人の事情聴取を傍らで聞き、彼女が告げた生まれた日を覚えていた。今日がその日だ。
昨日の怯えていた彼女を思い出す。大切にしているという事が伝われば、追い出されるなんて心配もしなくなるはず。
カナリヤは戸惑いながらも承諾をしてくれた。
朝食をすませ、片付けも僕がやるからと食堂に一人残った。
僕は誕生日だからって何かした事はない。他の人のも、自分のも。それでも小説の中に出てくるシーンを読み、羨ましさを感じていた。
それが叶えられる事にワクワクしていた。
本当はカナリヤに贈り物を送りたかった。だけど彼女は受け取らないだろう。だから、夕食を誕生日に相応しいディナーを用意することにした。丸一日、厨房に閉じこもった。僕が作った料理なんか気味悪がられるかもしれないという懸念はあった。
でも、その思いと同じぐらい優しいカナリヤなら、喜んでくれるんじゃないかと考えた。
結果は予想以上だった。テーブルに並べられた料理をみてカナリヤは目を輝かせ、お礼を言ってくれた。
誰かにありがとうと言われたのはいつぶりだろう。
いっしょに食事を取る。ケーキを取り分け、シャンパンを開けた。
「誕生日を祝ってもらったのは初めてなんです」
微笑む彼女。相手が自分ですまないという気持ちと、それでも最初に祝えた自分の幸運に酔う。
初めてのお酒に開放的になったのか、彼女はいつもより感情を表に出しているように感じた。
いまなら教えてくれるかも。
「誕生日プレゼントは何が欲しい?」
「そんなっ、お祝いして貰えただけで十分です。」
カナリヤは当然のように断ってきた。
いつもだったら諦めてしまうが、今日は粘ってしまった。
「そんなこと言わずに。僕に用意できるものならなんでも贈るから」
「いくらトーマス様でも何でもは無理ですよ」
後に引けなくなった僕は、苦笑するカナリヤになおも取りすがった。
「大丈夫。宝石でも家でも買うよ」
僕の言葉を聞いたカナリヤは頭を下げうつむいてしまった。そして空になった皿を見つめていた。声をかけようとした途端に、突然顔を上げた。
「あなたと一夜を共にしたい。一度でいいから夢を見たい」
冷水を浴びせられた気分になった。一瞬で酔いが醒める。
『一夜を共にしたい』
彼女から発せられた言葉。
カナリヤにとってここは、かつていた娼館と一緒なんだ。僕と共に暮らしているのは、ただの仕事……
何を浮かれて……カナリヤが喜んでくれているなんて……。彼女はただ客に気を遣っていただけなのに……
「ごめん」
立ち上がりながらカナリヤにそう言い残し、僕は扉を開け部屋から出た。
ごめんカナリヤ……ごめん。
期待した。彼女が何かねだってくれるんじゃないかと。僕が贈るものを受け取ってくれるんじゃ、僕の好意を受け入れてくれるんじゃないかと。
でも違った。彼女は自分の職務を全うしようとしていただけだった。
彼女は自分の職業にプライドを持っていて、義理堅い。そして優しい。
そんな彼女に付け込んで、金で縛り付けている。それなのに、心まで欲しいとぜいたくを言っている。
僕は親からも愛されなかったような醜い人間なのに
『欲しい物があるの』
『いいよ。君の好きなものを買うよ』
『優しいのね、トーマス様』
彼女が僕に強請ってくれる。嬉しそうな笑顔で甘えた声で。そんなあり得ないやり取りを想像した。
もし彼女が言うことが本心で、僕のことを少しでも想っていてくれていたら、欲しい物を教えてくれただろうか。僕の贈ったものを受け取ってくれただろうか。