最初のプロポーズ トーマスside
その日、カナリヤは朝食の時間になっても姿を見せなかった。いつもなら僕よりも早く厨房に立っているのに。
寝坊でもしているのだろうか。疲れているようなら起こさないようにしようと考えていると思い至ってしまった。
もしかしたら夜中に出て行ったのでは?
慌ててカナリヤの部屋に向かった。扉をノックするも返事は無い。焦りで彼女からの許可もないのに、扉を開けた。
カナリヤが部屋の中央で倒れていた。慌ててカナリヤに近寄る。
意識が戻ったカナリヤが声を上げた。
「トーマス様、すみません……いま、朝食の支度を……」
こんな時にまで、メイドの仕事を遂行しようとするカナリヤに苛立ちがわく。
「そんなのいいから、ベッドまで戻れる?」
なんとか、身体を起こそうとするが力が入らないのか無理な様子。
「カナリヤ、ごめん!」
悲鳴を上げられる覚悟で彼女の腕を引き、頭の下に手を差し入れた。彼女を起き上がらせ傍らのベッドに寝かせ、毛布をかけた。
発熱しているか確かめるために彼女の額に手を置く。赤らんだ頬から察せられたが凄い高熱だった。今までかなり無理をしてきたのだろう。疲れから風邪を引いたようだ。
僕は今まで自身の病気で医者に診て貰ったことはない。風邪をひいても治るまで一人で屋敷に閉じこもっていた。
その経験から、カナリヤの風邪も数日寝込めば治ると推察できた。
しかし、彼女は僕とは違う。頭の中で往診に応じてくれそうな医者を検討していると、カナリヤが目を覚ました。
「あっカナリヤ、今朝君が起きてこなかったから……。様子を見に来たら君が倒れていて……」
部屋に無断で侵入した事を咎められたらと、動揺しつつ僕は言い訳を重ねた。
「熱があるようだから恐らく風邪だと思う。いま医者を呼びにいくから」
慌てて部屋を出ていこうとすると、カナリヤに引き留められた。
「行かないで!」
高い熱のはずなのに、どこに気力が残っていたのかと驚くような叫び声を彼女は上げた。
「……お願いだから……すぐ治すから……おいていかないで」
切れ切れな声で訴えるカナリヤ。
その切実な声にかつてカナリヤがいた娼館の噂を思い出す。娼館主は働く女性たちへの扱いが酷かったこと。火事の原因はなじみの客が、病気で死んだ妓女の恨みを晴らすため。
「……ごめんなさい……役立たずで……」
病気になったカナリヤが気弱な訴えを上げる理由が推察できた。
「あのっだから今、医者を連れてくるから」
安心させるための言葉をかける。
こちらに向ける弱々しい視線で気か付いた。
「……もしかして、ここにいて欲しいの?」
彼女は僅かにうなずいた。
「わかった。少しだけ待ってて」
カナリヤに言い聞かせ、看病に必要な物を取りに行くため部屋を出た。
洗面器と薬と水とタオルを抱え、戻ってきた僕を見てカナリヤは明らかにほっとした表情を浮かべた。
彼女の頭の下に手を差し入れ、身体を起こし薬と水を飲ませる。それが終わったら再び寝かせてから洗面器の水に浸したタオルを彼女の額に乗せた。
途中、悲鳴を上げられることを覚悟したが、朦朧とした彼女はされるがままだった。
このまま、様子をみて酷くなるようなら医師を呼ぼう。
そう考えて彼女がゆっくり出来るように部屋を出ようとした。しかし、身を起こそうとすると彼女に服の裾を掴まれた。
「……いかないで……すてないで」
僕は再びベッドの横に跪いた。
「大丈夫。ずっとここにいるから」
そう告げると彼女は、今度こそ安心したように目を閉じしばらくすると寝息をたて始めた。
望まれたことだからと鏡台の椅子を寝台の傍らに動かし腰かけた。
先ほどまでは苦しそうだった寝息も落ち着いた音に変わっていった。許されている事を免罪符に、僕は彼女の寝顔を眺め続けた。
「とっトーマス様!」
悲鳴のような声に慌てて身を起こす。いつの間にかベッドに頭を伏して眠っていたらしい。窓を見ると日は既に傾きかけていた。
カナリヤの怯えた目。慌てて言い訳を試みる。
「ごっごめん。あのっ君が心細かったみたいで……誰かにいて欲しいって言ってたから……」
「あ……ありがとうございます……」
戸惑うカナリヤ。なおも怯えた瞳を向ける彼女にこれ以上弁明を続ける勇気は無かった。
「何か食べるものを作ってくる!」
それだけを言い残し慌てて部屋から出た。
看病を理由に眠っている妙齢の女性の部屋に居座り続けた雇い主。どうしよう、今度こそ見限られる。
厨房で簡単に食べられるものはと考えパン粥を作った。
椀が乗ったプレートを手に、カナリヤの部屋の扉の前で立ち尽くす。勇気を振り絞り、扉をノックした。
カナリヤは寝台から上半身を起こし出迎えてくれた。ただし、表情を暗かった。一瞬ためらったが、拒否されなかったので部屋に入った。寝台の横の机にプレートを置く。
「まだ具合が悪い?辛いようなら眠った方がいいよ。粥は作り直すから」
声をかけた途端、カナリヤは泣き出した。
僕はさっき、部屋に居座っていたことを責められると思った。
「すみません、すみません。ご迷惑をおかけしてすみません。すぐに治しますから、追い出さないでください!
しかし、カナリヤの口から出たのは謝罪の言葉だった。
茫然としてしまった。彼女は追い出されることを心配していたんだ。そういえば先ほども、熱にうなされながら、同じことを言っていた。僕は少しでも屋敷に長く滞在してくれるのを願っていたのに。
初めてあった時のカナリヤの言葉を思い返した。
『娼婦の私には対価さえ頂ければ顔なんてどうでもいいです。それが仕事ですから』
今にも泣き出しそうなカナリヤに、慌てて言う。
「大丈夫。追い出したりなんてしないよ」
安心させようと言葉を重ねる。
「君が望むだけ居ていいから」
言ってしまった後で、不味さに気か付いた。これでは一緒に居てくれることを望んで欲しいと主張しているようではないか。
恐る恐るカナリヤの表情を観察した。カナリヤは安心したのか、穏やかな表情を浮かべていた。
良かった。僕の下心には気が付かれなかったみたいだ。しかしカナリヤが呟いた次の言葉に、僕は思い切り動揺することになった。
「トーマス様を伴侶とされる方は幸せですね」
はっ伴侶?
彼女は僕が結婚出来ると思っているのか? こんなに醜い化け物が?
「そんな事を言ってくれるのはカナリヤだけだよ。僕みたいなバケモノと結婚しようとするような奇特な人はいないよ」
動揺を悟られないように、告げる。
「そんなっ」
気を遣う彼女に、これ以上負担をかけたくなく僕はおどけて言った。
「いいんだよ。僕はずっとこの屋敷に一人で生きていく予定だから」
そう、僕の未来は決まっている。一緒に暮らせるのは、カナリヤが望む間だけと分かっている。
「もし、結婚されるとしたらどんな方が望みですか?」
もし僕と結婚する人は幸せだと言ってくれたのが、君の本心からなら……。
「……僕と結婚して幸せだと心から思ってくれる人かな。もしいたらだけどね」
浮かれるあまり、本音が漏れる。
「じゃあ、食べ終わった頃に食器を下げに来るから」
慌てて、部屋を出た。世辞を真に受けるなんてどうかしている。それでも彼女に言われた言葉は、僕を幸せにしてくれた。
食事が終わったころを見計らい、彼女の部屋に出向いた。
気持ちを落ち着けようと、ノックの前に深呼吸をし部屋に入った。カナリヤはベッドの上で、こちらに視線を向けた。
「トーマス様、お願いがあります」
願い?
僕に出来る事なら何でも! カナリヤが僕を頼ってくれた事に喜ぶ。
「あの、トーマス様の花嫁は私じゃダメですか?」
しかし、彼女から発せられた言葉に自分の甘い考えは粉々にされた。
「私、トーマス様と結婚出来たらすごく幸せです。贅沢したいとかじゃないです。綺麗なドレスとか宝石もいりません」
嘘だよ……僕みたいなバケモノと結婚して幸せな人なんていないよ……
どうして、そんな残酷な嘘を言うんだ。どうして優しい君が犠牲になろうとするんだ。そんなに命を救われたのが嬉しかったのか? そんなに君の今までの人生は辛かったのか? こんなバケモノの生贄になろうとまで……
「えっと結婚してもメイドの仕事はこのまま続けます。頂いているお給金もいりません。つっ妻ですから……」
なおも健気な条件を重ねて申し出る彼女に思わず言ってしまった。
「どうして、君はそこまでして……」
「トーマス様と、ずっと一緒にいたいから……です」
耐えきれなくなったのか彼女は下を向いた。
これは全部、僕が招いたことだ。おそらく彼女は僕の望みに気が付いたんだろう。そして病になった気弱さから、こんな事を……。それは、看病して貰ったという義務感か、それとも屋敷を放り出されたくない焦りからか……。
俯き、震える彼女に安心するように言う。
「ごめん。君に誤解させるようなことを言って」
「えっあの!?」
「君に妻になって貰おうなんて考えた事はない。二度と言わないで欲しい」
結婚なんかしなくても、追い出したりしない。だから、もうそんな哀しい嘘は言わないでほしい。
断られると思っていなかったのか、彼女は茫然とした表情をしていた。僕はそれ以上留まるのが辛くて、振り向き部屋を出た