最初のプロポーズ カナリヤside
トーマス様のお屋敷でメイドの真似事をするようになってから1ヶ月が過ぎた。いつものように朝食の支度のため、日の出の前に目を覚ました。毛布から出ようとして、身体がおかしい事に気が付く。
背中がぞくぞくし、喉と頭が痛い。もしかして、病?
一気に血の気が引いた。娼婦時代は体調を崩せば、主にとてつもなく怒られた。金を稼げないなら必要ないと食事を抜かれ、罵倒され殴られた。
そのまま、衰弱し儚く亡くなっていった姐さん達を何人も見てきた。
トーマス様に役立たずだと思われたら……。
起きなきゃ。
気力を振り絞り、毛布からでた。しかし、立ち上がった瞬間に目の前が真っ暗になった。
気がついたら、再びベッドの上だった。トーマス様が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「あっカナリヤ、今朝君が起きてこなかったから……。様子を見に来たら君が倒れていて……」
トーマス様がベッドに運んでくれたらしい。
「熱があるようだから恐らく風邪だと思う。いま医者を呼びにいくから」
「行かないで!」
ドアの取っ手に手を伸ばした彼を引き留める。
驚いた表情で振り返る彼に、必死に訴える。
「ごめんなさい、すぐ治すから。お願いだから置いていかないで」
朦朧としながらも嘆きは止まらない。
「病気になってごめんなさい。役立たずでごめんなさい」
「あのっだから今、医者を連れてくるから」
戸惑いながらも近づいてくれたトーマス様。
「……もしかして、ここにいて欲しいの?」
声を出す気力さえ失っていた私は必死に頷いた。
「わかった。少しだけ待ってて」
そして今度こそ扉を開け出て行ってしまった。
打ちひしがれる間もなく、トーマス様はすぐに戻ってきた。左手にタオルとコップが入った洗面器。右手に大きな水差しと小さな紙袋。
それを寝台の傍らの机に置くと、水差しの水をコップに注いだ。
「カナリヤ、ごめん」
何故か謝りながら、私の頭に手を差し入れ上半身を起こした状態にし水を飲ませてくれた。
半分ほど飲んだが、途中でむせてしまった。
口元をタオルで拭い、再びコップを渡してくれた。机の上の小さな紙袋を手に取る。
「薬も飲める?」
丸薬は苦かった。慌てて水で飲み下す。
彼は空になったコップを私から受け取ると再び水を満たした。残りを洗面器に入れ洗面器にタオルを浸し絞り私の額に乗せた。
ひんやりとしたタオルが気持ちよかった。
私を寝かせ、再び部屋を出ようとするトーマス様の服を掴み引き留めた。
「……いかないで……すてないで」
トーマス様は一瞬ためらったあと、私の傍らに跪いた。
「大丈夫。ずっとここにいるから」
そう優しく告げる声に安心し、私は今度こそ眠りについた。
目を覚ますと、窓から夕日が見えた。
ずっと眠っていたみたいだ。ふと寝台の足元あたりをみると、トーマス様が伏していた。
「とっトーマス様!」
驚いた私は叫び声を上げた。
「ごっごめん。あのっ君が心細かったみたいで……いて欲しいって言ってたから……」
彼の言葉で思い出す。
熱で浮かされながら、必死に彼の服を掴みそばにいてくれと要求したことを。
「あ……ありがとうございます……」
動揺する気持ちを精一杯抑えながら、なんとかお礼を述べた。
「何か食べるものを作ってくる!」
それだけを告げ彼は慌ただしく部屋から出て行った。
トーマス様はお忙しい方だ。いつも夜中まで執務室で仕事をされている。
それなのに、心細いというだけで半日以上も部屋に留め置いてしまった……。
しでかしたことに放心しているとノックの音がした。
「入ってもいいかな?」
慌てて、ベッドから起き上がり入室を促す返事をした。
扉を開けたトーマス様は椀が乗ったプレートを手にしていた。そしてベッドの横の机にプレートを置きながら、問われた。
「まだ具合が悪い?辛いようなら眠った方がいいよ。粥は作り直すから」
優しい彼に、思わず許しを請うた。
「すみません、すみません。ご迷惑をおかけしてすみません。すぐに治しますから、追い出さないでください!」
戸惑われたトーマス様は、私に落ち着くように促した。
「大丈夫。追い出したりなんてしないよ」
安心した私に彼は言った。
「君が望むだけ居ていいから」
……私が、望むだけ……。それは私が望みさえすれば、ずっとこの屋敷に置いてもらえるという事……
思わず歳を重ねた彼と過ごす未来を想像する。それは、とても幸せな夢だった。つい、零れ落ちた言葉。
「トーマス様を伴侶とされる方は幸せですね」
夢は夢だ。ずっと一緒に居られるのは、彼に選ばれた人だけ。伯爵であるトーマス様に相応しい身分の美しい方。
「そんな事を言ってくれるのはカナリヤだけだよ。僕みたいなバケモノと結婚しようとするような奇特な人はいないよ」
「そんなっ」
トーマス様の自嘲に反論しようとしたが、トーマス様がそれを遮った。
「いいんだよ。僕はずっとこの屋敷に一人で生きていく予定だから」
彼はおどけた顔で茶化すように言った。
思い切って聞いてみた。
「もし、結婚されるとしたらどんな方が望みですか?」
「……僕と結婚して幸せだと心から感じてくれる人かな。もしいたらだけどね。じゃあ、食べ終わった頃に食器を下げに来るから」
そういってトーマス様は部屋から出られた。
トレーに乗ったパン粥を食べながら、先ほどのトーマス様の言葉を考えていた。
『僕と結婚して幸せだと心から感じてくれる人』
財産目当てや地位に目がくらんだ人でなく、トーマス様ご自身といられることを望む方。
私がこの屋敷に連れてこられた時の事を思い返した。
豪華絢爛な部屋を提供され、屋敷にある美しい衣装を着ても良いと言われた。欲しい物を問われ、一緒に食事をすることにも同意してくれた。
もしかして、私は花嫁としてトーマス様に選ばれたのでは? 見目だけは良いと言われてきたし……
……それに私だったら、トーマス様と結婚出来れば幸せになれる……。ずっと一緒に……
「食欲は戻ったかな?」
ちょうど、完食したタイミングでトーマス様が入られてきた。
「トーマス様、お願いがあります」
思い切って聞いてみた。
「あの、トーマス様の花嫁は私じゃダメですか?」
捲し立てるように言葉を続けた。
「私、トーマス様と結婚出来たらすごく幸せです。贅沢したいとかじゃないです。綺麗なドレスとか宝石もいりません」
トーマス様は私の突然の提案に、当惑した表情を浮かべた。
「えっと結婚してもメイドの仕事はこのまま続けます。頂いているお給金もいりません。つっ妻ですから……」
「どうして、君はそこまでして……?」
「トーマス様と、ずっと一緒にいたいから……です」
想いを告げると急に居たたまれなくなった。トーマス様からの視線が気になり下を向く。どのくらいたったのか……。返事が無い事にいぶかしさを覚え顔を上げると、トーマス様が表情を曇らせていた。
「ごめん。君に誤解させるようなことを言って」
「えっあの!?」
「君に妻になって貰おうなんて考えた事はない。二度と言わないで欲しい」
トーマス様は硬い声で告げた。そして食器が乗ったトレーを手にし、扉を開け部屋から出て行った。
閉じた扉で、私は拒絶された事を知った。
花嫁、私じゃダメなんだ。
当然よね……。平民出身の元娼婦。伯爵様と結ばれたいなんて、どれだけ烏滸がましいか……。
あれっどうして大丈夫だと思ったんだろう。
だってトーマス様、いつも優しくて。トーマス様、いつも私に笑ってくれるから。
だから勘違いして……。だから私はずっと一緒にいたいと望んで……だから、私は涙を止められないんだ……
私は……彼を愛しているんだ……。自覚した途端に、涙がこみあげてきた。
寝台に倒れ伏して泣いた。トーマス様の花嫁になれる人が羨ましい。彼に望まれたい。私でもいいと言って欲しい。子どものように駄々をこねながら……
気が付くと私は荒野を歩いていた。目の前にトーマス様の背が見える。
私は必死に追いかけた。駆け足なのにゆっくり歩いているはずのトーマス様との距離は縮まらない。
「待って、置いていかないで、私にはあなただけなの」
伸ばした手がようやく背中に届くかと思った時、彼は振り返った。そして振り向きざまに私の手を振り払うと、何事もなかったかのように前を向き再び歩き出した。
手を払われた私はバランスを崩しその場に座り込んだ。彼の表情は思い出せなかった。