第96話 もういいんだよ
「私たちあと一年もしない内にセンター試験でしょ? 進学校に入ったからにはいい大学行きたいし、潮時かなって」
「いや、ちょっと」
「それにほら、私の成績って中の上くらいじゃない? 予備校に通ってる同級生も多いし、柄にもなく焦っちゃうよね」
「待て、待ってくれ」
「だからさ、バレーから離れて受験勉強始めるよ」
「待ってくれって言ってるだろ!」
足を速めてきびすを返した。
「びっくりした。どうしたの? 急に声を張り上げて」
「どうしたのはこっちのセリフだ。試験日が近付いて焦るのは分かる。どうしてそこから退部って流れになるんだ」
「さっき言ったじゃない。成績に自信がないから受験勉強に腰を入れたいって。聞いてなかったの?」
「聞いてたよ、だから言ってるんだ。小学校の頃から続けてきたんだろ? 部活を続けながら志望校に受かった高校生になんて山ほどいる。燈香もそうすればいいじゃないか」
「それはできる人だからできたんだよ。私ができる保証はないよ」
「できない保証もないだろ。何なら俺が教えたっていい。燈香は地頭がいいんだ。大会が終わってからでも十分に間に合う」
「敦にそこまで迷惑はかけられないよ」
「迷惑なんて思わない。友達を手伝いたいと思うのは当たり前だろ」
「気持ちは嬉しいよ。でも部活が終わった後に教えたら帰りが遅くなっちゃうでしょ? その後で教えてもらうなんて、さすがにそこまで甘えられないって」
胸の奥がチリッとする。
どうしてこんなに頑ななんだ。模擬試験で悪い判定が出たわけでもあるまいし、このタイミングで受験勉強を持ち出した理由が分からない。
いや、むしろこのタイミングだからなのか?
そう考えれば元旦に元気がなかった理由も説明がつく。
「バレーが嫌いになったのか?」
「そんなわけない。でも辞めるの。もういいんだよ」
「本当にいいのか? 体は一日や二日じゃできない。後で悔やんでも遅いんだぞ?」
「後悔しているとすれば、もっと早く部活を辞めなかったことだけだよ」
平坦な声が寒々しい空気に溶ける。
燈香の考え方も一つの正解ではある。部活動は結果を残さないと進学有利につながらない。
燈香は多くの時間をひざの治癒に費やした。
その間も部活仲間は練習に励んでいた。実力差が広がるのは当たり前。一年生レギュラーを勝ち取った時のような台頭は難しい。
部活動に高校最後の年を捧げるか、割り切って受験勉強に精を出すか。
どちらを取るのが利口かなんて論ずるまでもない。
「分かった。燈香がそこまで言うなら仕方ない。退部届は出したのか?」
「これからしたためるつもり」
「そうか」
俺は再び靴裏を浮かせて帰途についた。落胆を覚える自分に気付いてそっと横目を振る。
肩を並べる友人の横顔はどこか寂し気に映った。




