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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第94話 イカロスの教訓


 片桐と言葉を交わしてから教室に戻った。


 胸の内のもやもやが弧顔に出ていた顔に出ていたのか、丸田や魚見から指摘されて顔に微笑を貼り付けた。


 結局聞きたいことは聞けずじまいだ。良いようにいなされてしまった感覚がある。


 あの分だともう一度問いを投げかけてもしらばっくれられる。明確に嫌いと告げられたし、こちらからアプローチをかけにくい。あるいはこの思考に陥らせることが片桐の狙いだったのか。


 そこまでするほど俺のことを疎んでいたのか。俺が一体何をしたって言うんだ。


 今となっては問うことも叶わない。ただ一つ言えるのは、俺が間違えたということだけだ。


 残る情報源は燈香自身。気が引けるけどこの際仕方ない。


 放課後を迎えて図書室に足を運んだ。静かな空間に踏み入って奥のチェアに腰を下ろす。


 通学カバンから問題集とノートを引き抜いて机の上で広げた。部活動が終わるまでノートのページにシャーペンの先端を走らせた。


 入り口の方でガラッとした音が鳴り響く。


 ノートのページから視線を上げると、レンズ越しの瞳と目が合った。


「こんにちは萩原さん」


 ピンク色の口元が浮き上がる。


 俺も口角を上げて応じた。


「こんにちは。柴崎さんは読書?」

「はい。卒業までに全部読むのが目標なんです」


 にこっとした笑みとは裏腹に呆気にとられた。

 

 柴崎さんが読書家なのは知ってたけど、そこまで大胆な目標を掲げているとは知らなかった。

 

「それは、すごいな」


 室内を視線で薙ぐ。


 隅にずらっと並ぶ本棚は一つや二つじゃない。それら全てに相応の背表紙が詰まっている。


 本当に読み切れるのか? 後一年もないのに?


 俺が気にしても仕方ない。モチベーションを上げるための目標でもある。俺が何か言うだけ無粋ってものだろう。


「同席していいですか?」

「もちろん」


 すらっとした脚が前に出た。抑えられた靴音が迫って細い腕が通学カバンを持ち上げる。テーブルの天板がコトッと音を立てた。


「本を選びに行ってきますね」

「ああ。カバンは見ておくから安心してくれ」

「ありがとうございます」


 微笑を残して華奢な背中が本棚と本棚の間に消える。


 数分して靴音が戻った。柴崎さんがすれ違ってテーブルを回り込み、そっと椅子を引いて品のある所作で腰を下ろす。


「何の本にしたんだ?」

「これです」


 かざされた表紙には、腕に白いつばさをくくりつけた男性が描かれている。その男性の名前は題名が教えてくれた。


「イカロスのぼうけんか。懐かしいな」

「子供の頃に読みましたよね。私も絵本を手に取ったのは久しぶりです」


 柴崎さんがチェアに腰を下ろした。本を開いてページをめくる。


「童話って不思議ですよね。どう見ても子供向けなのに深いメッセージが込められていて」

「先人の知恵ってやつだな。小難しく書くと読んですらもらえないから、わざと簡単に作ってさ」


 河童や雷の逸話なんか有名だろう。子供を怖がらせて川に近付けないようにしたり、へそを取られるぞと脅して前かがみにさせることで落雷のリスクを低くした。


 どちらも原理を説明したところで子供には難しい。面白おかしく脚色することで守るべき対象に伝わり、多くの子供の安全が守られた。


 俺たちが気付いていないだけで、現代社会においてもそういったものがはびこっているに違いない。


「萩原さんは、イカロスのぼうけんからどんな教訓を読み取りました?」

「言い方は悪いけど身の程を知れってところかな」

「空を飛ぼうなんて無謀なことを考えたからこその終わりですもんね。きっと多くの同級生が同じメッセージを受け取ったと思います」

「柴崎さんは違うのか?」

「はい。私は事を急ぐなって訴えかけているように感じました」

「と言うと?」

「イカロスって翼を作って腕にくくりつけますよね。鳥の真似をして太陽に近付こうとしたんでしょうけど、人間と鳥じゃ筋肉量や重さが違うじゃないですか」

「そうだな。鳥の体脂肪率は五パーセント前後って聞くくらいだし」


 人間の体脂肪率は二桁だ。神話に突っ込むのは野暮だけど、人ではそもそも翼が溶ける前に腕が動かなくなって墜落する。


 体脂肪率と言えば、豚の方が人間よりマッチョと知った時はさすがに驚きを隠せなかった。太った同級生を豚と呼んでいた連中はこの真実を知ったらどんな顔をするんだろう。


 言葉が続けられて、俺は思考を中断する。


「人が鳥と同じことをしても太陽まで行けるわけないんです。本当に宇宙へ飛び立ちたいなら鳥の見よう見真似ではなく、人間に適した形を取るべ気だと思います。例えば宇宙船を造るとか」

「完成までに相当な年月がかかるけど、翼で太陽に行くよりは現実的だな。だから事を急ぐなってことか」

「そういうことです。まあイカロスやダイダロスの境遇で宇宙船の製造ができるかって問題もありますけどね」


 互いに小さい笑みを交わす。


 二人は王様によって幽閉されていた。宇宙船なんて大それたものを開発するのは不可能だ。


「それでも興味深い感想には違いないよ。人によって感じることが違うのも物語の醍醐味だよな」

「ですね」


 互いに感じ入ったものを尊重することも覚えられる。それもまた書籍から得られる体験だ。これだから読書はやめられない。


「柴崎さん、相談に乗ってもらいたいんだけどいいかな?」

「私にですか? 萩原さんの役に立てるでしょうか」

「そんなに気負わなくていいよ。思ったことを率直に言ってくれればいいんだ」

「分かりました。ではどうぞ」


 と告げつつも背筋を正した辺り、やはり根が真面目なのだろう。この人なら真剣に聞いてくれる、そう思わせてくれる安心感がある。


 ほっこりした心持ちで口を開いた。


「俺が女子に嫌われるとしたらどんな理由があると思う?」


 整った顔立ちが微かにしかめられた。


「えっと、それを私に聞くんですか?」

「答えづらかったら無理に答えなくていいんだ。ひどい問いかけをした自覚はあるから」

「いえ、せっかくなので考えてみます」


 沈黙が訪れた。


 可愛らしいうなり声に遅れてピンク色のくちびるが開いた。


「鈍感なところですね」

「わりとガチなやつ来たな」

「だって全然私の好意に気付いてくれなかったじゃないですか。すれ違うたびに見ても目が合ったことは一度もなかったですし、たまにむっとしちゃいました」

「それはその、ごめん」


 反射的に謝ったけど、これ俺が悪いのか? 


 でも欠点を挙げるように頼み込んだのは俺だし、俺が悪いのか。


 うん、そういうことにしておこう。


「他にはないか?」

「欲しがりですね」


 だって好意うんぬんは片桐には当てはまらない。俺をグループに入れることも反対したみたいだし、体育館での大嫌い宣言は記憶に新しい。あいつに関しちゃ実は、なんて可能性を考慮するだけ無駄だ。


 数秒の沈黙を経て再度柴崎さんが声を発した。


「しいて言うなら、ちょっと女の子に人気がありすぎる点でしょうか?」


 予想外の欠点を上げられてきょとんとした。


「人気って、柴崎さんは教室での俺を見たことないだろ?」

「それはそうですけど、少なくとも燈香さんと私には告白されてますよね」

「たった二人だ」

「私たちだけじゃありません。球技大会ではずいぶんと盛り上がっていたみたいですね。魚見さんと」


 瞳をすぼめられた。


 ちょっとした焦燥感が言葉となって口を突く。


「あれは魚見の悪ふざけだよ。本人に確認したから間違いない」

「そうですか? でもあれからしばらくして、魚見さんも萩原さんを名前で呼ぶようになりましたよね?」

「それは……」


 後ろめたいことはないのに語尾が濁った。


 気にしたことはなかったけど、言われてみると確かに不思議だ。物部もののべさんを撃退した一件で交友関係が深まったんだろうか。


「不公平です」


 すねたような響きで我に返った。


「不公平って何が?」

「萩原さんと仲の良い二人が名前で呼ぶんです。私だけ萩原さん呼びしてると仲間外れにされてるみたいじゃないですか」

「そんなこと言われてもな。呼び方を強制したらそれこそ意識してるみたいだし」

「だったら私も名前で呼びます」

「え?」


 すっとんきょうな声がもれた。


 話の流れに困惑する俺をよそに、柴崎さんがこほんと咳払いした。


「いいですよね? あつしさん」

 

 上目遣いを向けられて息が詰まる。


 耳たぶの火照りを感じて両手の指で耳たぶを挟んだ。自然を装ってテーブルの天版に肘杖をつく。


「ああ。いいんじゃないか?」

「やった」


 花が咲いたような笑みを前にして視線を逸らす。


 照れくさくてしばらく柴崎さんと目を合わせられなかった。

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