第91話 何でも知ってるんだね
明後日になって燈香と丸田が登校した。
選手権大会はぶっ続けに行われない。負けたサッカー部はともかく、勝ち抜いた女子バレー部は日を置いてまた公欠だ。
つかの間のにぎわいが教室内を華やがせる。
燈香の周りに女子が集まった。燈香を中心に、チームが勝ち進んでいることへの賞賛が飛び交う。
知っている女子がいたのか、燈香が試合に出ていないことも挙げられた。
燈香は苦々しく口角を上げるだけで苦言を呈することもなかった。
様子がおかしい。
でも燈香に直接聞くのははばかられる。初詣の様子からして、丸田や魚見に相談するのもいかがなものか。
意見を聞くなら燈香の事情を知っていて、なおかつ口の堅い人物が好ましい。
そんな人物、心当たりは一人しかいない。
四時間目の授業を終えてお昼休みを迎えた。俺はお手洗いを理由に教室を後にする。
別クラスの生徒とすれ違って目的の教室をのぞき込む。
いない。念のため他の生徒に片桐の所在を問うと、食堂で友人と昼食を摂っていると告げられた。
片桐の周りには他の女子がいる。燈香のことを訊くのは都合が悪い。
俺は教室に戻った。そそくさと弁当箱を用意して魚見たちと同じ机を囲み、手早く容器の中身をお腹に収める。
一足早く昼食を摂り終えて椅子から腰を浮かせた。弁当箱の容器を通学カバンに片づけて再び廊下の床を踏みしめる。
片桐はストイックなタイプだ。まだ試合をひかえる現状でお昼休みをのんびり過ごすわけがない。
予想通り体育館にはすらっとした立ち姿があった。真剣な顔つきが息をついてボールを放り投げる。
長い腕が振るわれた。乾いた音に遅れて白い球体が浅い角度で突き進む。
ダンッと大きな音が鳴り響いた。奥の壇に跳ね返って白いボールが床の上を跳ねる。
片桐が腰を落としてボールを拾い上げた。
「何?」
問いかけられて思わず背筋を伸ばす。
一応周囲を見渡して、他に人影がないか確認する。
「あんたに話しかけてんだよ萩原」
反応に困って右腕を九十度に曲げる。
「よ、よう。女子バレー勝ったんだってな」
「まあね」
ボールが片桐の手を離れた。すらっとした長身が助走をつけて床を蹴る。
打撃音に遅れてボールが先程と似た軌道を描く。
「で?」
「でって?」
「何か用があるんでしょ? でなきゃあんたが私に話しかけるとかあり得ないし」
「用がないと話しかけちゃ駄目なのか?」
「少なくとも私がグループから離れてからは一度も話しかけてこなかった」
口をつぐむ。
片桐の言う通りだ。俺はグループから離れた片桐に対して特にアプローチをとらなかった。片桐には何の思い入れもなかったし、嫌われているなら無理に接する必要もないと考えていた。
それは今も大して変わらないけど、他人に指摘されると妙な罪悪感がある。
「ずっと見られてると集中できないんだけど。用がないならどっか行ってくれない?」
「用はある」
「じゃあ言えば?」
横目を向けられてて口元を引き結ぶ。
言いなりになるのもしゃくで言葉を紡ぐ。
「ジャンプサーブってさ」
「ん?」
「みんな同じ感じになるわけじゃないんだな」
「そりゃそうでしょ。みんな身長やジャンプ力違うんだから」
「燈香と片桐はどっちがサーブ強いんだ?」
「私」
「自信家だな。知ってるぞ、昨年一年生でレギュラーに指名されたのは燈香だけだったんだろ?」
「よく知ってるね。さすが教室の隅から燈香を盗み見してただけはある」
「一年生の頃は燈香の方が上手かったんだな」
練習をする横顔が微かにしかめられた。
「そうかもね。サーブもスパイクも、一年生の時は燈香の方が上手かった」
「やっぱりか」
「勘違いしないで。そもそも私本来はセッターだから。昨年の時点でも私の方がトス上手かったから」
「悔しいでしょうねぇ」
「サーブすっから顔面で受けろ萩原ァ」
「わあ待った待った! 謝る! 謝るからよせ!」
宙に放られたボールが重力に引かれて片桐の手に収まった。
左肩を向けられて内心ほっと胸をなで下ろす。
「少しは身の程わきまえてしゃべりなよ。どうせ燈香を助けた時も何も考えずに突っ込んだんでしょ」
「それで燈香を助けられたんだからいいだろ」
「どうだか。案外でしゃばらなかった方が良い方向に転がってたかもね」
まるで助けなかった方がよかったみたいな物言いにむっとする。
「どういう意味だよ」
「そのままの意味。燈香が控えになったのはあんたのせいだと思ってる」
息をのむ。
察してふっと口角を上げた。
「その手に乗るかよ。煙に巻こうったってそうはいかないからな」
俺が知らないことをいいことに、思わせぶりなことを告げて思考の負担をかける。林間学校のルームメイトがやった姑息な手だ。嫌がらせに決まってる。
片桐が手を止めて目を丸くする。
口の端が意地悪気に吊り上がった。
「ふーん、ずいぶん決めつけるね。あんた頭良かったもんねー」
「な、何だよ」
「別に。そうそう、頭良かったあんたならこれも知ってるよね? 無知の知ってやつ」
「ソクラテスだな、自分が何も知らないことを知ってるっていう。俺がそうだって言いたいのか?」
「さあ? ただ、今の萩原は何でも知ってるんだなーと思って」
皮肉たっぷりな言葉を耳にして眉根が寄る。
今の片桐からは明確な悪意が感じられた。
「それで? 全知の萩原君は一体何が知りたいのかな?」
俺は靴裏を床に貼りつける。
きびすを返したい衝動に抗って口を開いた。
「燈香のことだ。最近元気ないんだけど何か知らないか?」
「レギュラーから外れて落ち込んでるだけじゃない?」
「チームメイトに対して冷たくないか? 他に言うことあるだろ」
「そういう言葉は仲のいいお友達がぶつけてるでしょ」
思い至る節があって口をつぐむ。
鞭のようにしなった腕がボールを打ちすえた。
「用が済んだらどっか行ってくんない? 私あんたのこと嫌いだから」
知ってるよ。口を突こうとしたその言葉を呑み込む。
代わりにそうかよと言い残して体育館を後にした。




