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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第76話 胸を張って向き合えねえだろ


 燈香や魚見に大丈夫か問われて微笑を返した。何事も無かったふうを装って更衣室でスノーウェアを身から外して体操着に身を包む。


 廊下の床を踏み鳴らして自室のドアを開け放つ。


 視界内に飛び込んだのは自分の荷物。安全地帯に戻ってきた実感を得て思わず泣き出しそうになる。


 同級生の手前涙をこらえてスニーカーから足を引き抜いた。たたみの床を踏みしめてソシャゲ中のルームメイトとすれ違う。


 風呂にはまだ時間がある。書籍の続きを読むべく紙の本を手に取る。


「なあ萩原」


 呼びかけられて振り向く。


 心は引き気味。正直この前のやり取りで苦手意識が芽生えている。


 今度は何を言うつもりなのだろう。内心身構えて口元を引き結ぶ。


「迷子になったんだってな。コース内で」

「ああ」


 ひょっとして俺のことを心配してくれたんだろうか。


「調子に乗ってるからそうなるんだよ」


 一気に気持ちが冷えた。


 ルームメイトの声色ににじむのは嘲りの念。胸の奥でふつふつと熱いものが煮える。


 柵の向こう側に身を乗り出したのは俺だけど、元はと言えばこいつらが後ろからぶつかってきたせいだ。


 俺はコースから外れた位置でたたずんでいた。普通に滑って突っ込むような立ち位置じゃなかった。


 どうせ前を見ないで滑っていたのだろう。あげく半端な謝罪をぶつけた身でよくもそんな態度を取れたものだ。


 ルームメイトを視界から消して本のページとにらめっこする。ずらっと並ぶ活字を視線でなぞり、物語の中に没入すべく意識を集中させる。


 うまく物語の世界に入れない。。頭の中が雑念でごちゃごちゃしている。


 紙の本を手放してスマートフォンに持ち変える。


 電子的な物語との同調にも失敗して腰を浮かせた。ポーチを身に着けて玄関を後にする。


 もやもやする。クラスメイトから直接的な悪意をぶつけられたのは久しぶりかもしれない。


 燈香たちとの距離を埋めてからは特に気にならなかった。嫉妬されるのは仕方ないし、この男ならば仕方ないと考えてくれるように努力を重ねてきた。


 燈香と別れたことが広まった今、俺が悪感情を向けられる理由に心当たりがない。あるいはその理由が分からないからもやもやするのか。


 散歩じゃ気分転換にならない。頭の中が腫れているみたいだ。


 原因を疲労に押し付けて自動販売機に歩み寄った。先日のように飲み物を購入して椅子に腰を下ろす。


 疲れているのは本当だ。遭難することの焦燥と恐怖にかられて懸命に雪坂を上った。身体的だけじゃなく精神的にも疲れがたまっている。


 紙コップの縁に口をつけて容器を傾けた。香ばしい苦みと甘みが共存した大人っぽい味わいが口内になだれ込む。砂糖の甘さとカフェインが鈍い頭にしみ渡る。


 これでまた思考できる。コップから伝わる熱で手のひらを温めながら情報を整理する。


 どういうわけか俺はルームメイトに疎まれている。心配の言葉を一つないどころか嘲笑ってきたのだから確定だ。もしやスキー中に体当たりしてきたのは、俺を斜面に突き落とすためだったのだろうか。


 推測して、俺はおもむろにかぶりを振る。


 考えすぎだ。体当たりの勢いは弱かったし、計画が失敗したら多少は動揺が顔に出たはず。


 何にしても警戒はしておくか。

 

 コップ内のカフェラテを飲み干して椅子から腰を浮かせた。ゴミ箱の穴に差し入れて身をひるがえす。


 曲がり角から長身が現れた。


「あ

 あ」


 互いに足を止めた。


 さすがに二度目だ。長身とすれ違うべく靴裏を浮かせる。


「コース内で迷ったんだってな」


 反射的に足を止めてしまった。


 こうなった以上は無視もできない。きまりの悪さを押し殺して口を開く。


「ああ。悪かったな迷惑かけて」

「そんなことどうでもいいっての。怪我はなかったのか?」

「ただの迷子で怪我なんかしないさ」

「でもどこかで転んだんだろ? 戻って来た時雪まみれだったし」


 俺がそれに気づいたのはインストラクターに指摘された時だ。その場には上級コースの参加者も揃っていたから人知れず雪を払う時間はなかった。


 施設の人には柵を壊してしまった旨を告げたけど、斜面を転げ落ちたことまでは口にしなかった。


 浮谷さんにそれを伝えるわけにもいかない。顔に微笑を貼り付けた。


「ばれたか。そうだよ。スキーブーツは歩きにくくてな。悪いか?」

「別に悪くはねえけどちゃんと前見ろよな。場所によっては石がむき出しになってるとこもあるし、打ちどころによっては大変なことになんだからよ」


 思わず目を見張る。


「何だよその顔」

「いや、浮谷さんは俺に嫌がらせをしようと思ったこと無いのか?」

「は? 何だよ急に。あるに決まってんだろ」

「あるのかよ」


 意図せず苦々しく口角が上がる。


 不思議と悪い気分じゃない。裏表のない相手がこんなにも清々しいものだとは思わなかった。


「ないって言うと思ってたのか?」

「ああ。逆に安心したよ。何で俺に嫌がらせをしなかったんだ?」

「なんでって、普通しないだろ嫌がらせなんて。自分の品格が落ちるし、秋村さんに胸を張って向き合えねえだろ」


 小さな笑い声が口を突いた。


「な、何笑ってんだよ!」

「いや、やっぱり浮谷さんだなと思って」

「気味が悪いな。ったく」


 浮谷さんが身をひるがえす。


 赤みを帯びた耳たぶが廊下の曲がり角に消えた。


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