第66話 青天の霹靂
玄関のドアを開けて外気に身をさらした。
コンクリートの地面を踏み鳴らすにつれて視界内にリュックが点在する。
今回の林間学校ではキャリーケースは禁止されている。
あれはゴタゴタするし大きいから邪魔になる。キャスターの音もうるさいし、トラブル発展したケースがあったに違いない。
今時は消音タイプもあるんだからいいじゃないかと思いつつ外気を突っ切る。
通学路を突き進んだ末に学び舎の門をくぐった。昇降口で内履きに足を差し入れて、ロッカーに収めた外履きにしばしの別れを告げる。
教室に踏み入るとリュックの数々が視界に入った。燈香たちとあいさつを交わして自分の椅子に腰を下ろす。
担任が来るなりショートホームルームが始まった。
ちょっとした伝達が終わって教室内に騒がしさが戻る。
室内と廊下を隔てるドアが音を立ててスライドした。顔を出した別の教師に移動の準備を求められて廊下に整列する。
いつものグループと談笑しながら昇降口にはけた。校門へと歩く最中に後ろを振り向く。
そびえ立つのは白い校舎。何度も行き来した学び舎だけど、しばらく立ち入らないと考えると感慨深いものがある。
二泊三日のスキー合宿。見方を変えれば級友との旅行だ。
来年から受験勉強も本格的に始まる。俺は入学時から受験生の気分でやっているけど、せっかくの機会だしゆっくり羽を伸ばしたい。
バスのトランクに荷物を積み込んで窓際の席に腰を下ろした。隣に座った丸田と談笑する内に担任が点呼を始める。
炭酸の抜けた音に遅れて出入り口がドアで締め切られた。窓の向こう側にある景観が目尻へと流れる。
バスの走行音と振動に談笑が混じる。
教室にいた時よりも一掃騒がしい。今日を楽しみにしていたのは俺だけじゃないようだ。
「そういや萩原は覚悟決めたのか?」
「覚悟って何の?」
「面識のないクラスメイトと二泊三日だろ? お前ぐいぐい行くタイプじゃないし、独り部屋の隅でスマホいじってんじゃねーかなと思って」
「話す努力はするつもりだよ。スキー合宿なんてまたとない機会だし、こういう時にしかできないことをしてみるさ」
「へえ」
戸惑いと感嘆。どちらとも言えない声色を耳にして振り向く。
「何だその反応は」
「いや、萩原はぐいぐい行かないと思ってたからさ」
「一年前はそうだったかもな」
「ずっと本読むかスマホいじってたもんなお前」
「あの時俺が話しかけてたら丸田はどうした?」
「勉強のやり方とか聞いたかもな。あと何の本読んでるかとか」
「丸田って本読むのか?」
「読まねえよ。頭痛くなるし」
「じゃ何で本について聞こうと思ったんだ?」
「あん時俺とお前の接点なかったじゃん。お前が興味持ってるもんでつなぐしかねえってなったら本はうってつけだろ」
「でも丸田にとっては退屈じゃないか?」
「最初はそうだろうけど、試しに読んでみたら面白いかもしれないだろ? それがきっかけになって趣味になるかもしれねえし、試さないのはもったいねえじゃん」
思わず目をしばたかせる。
丸田には時々びっくりさせられる。普段はナンパのことしか頭にないくせに、時々深みのあることを口にする。
だからスケベな面を見せても燈香や魚見は縁を切らないし、孤独を愛した俺も何だかんだ関係を続けているのだろう。
「相手が興味あることを掘り下げてつなぐってことだな。覚えた」
「お前ルームメイトの趣味知ってんの?」
「知らない」
「お前なぁ」
「これから知って行けばいいだろ。林間学校はまだ始まってすらないんだ。交流のチャンスなんていくらでもある」
「そうだな。まあ嫌われない程度に頑張れ」
「嫌われない程度ってなんだよ縁起でもない」
「気付いてないのか? お前男子の中じゃわりと疎まれてんぞ?」
「は、何で?」
青天の霹靂だ。
クラスの男子に何かをした覚えはない。いままでろくに交流も無かったんだ。嫌われるきっかけだってなかったはず。
「何でって言われると答えにくいけど、大方羨望か嫉妬じゃね?」
「燈香とは別れたのに何でそうなるんだよ。むしろせいせいしたんじゃないか? 俺と燈香の交際に納得してない奴多かったみたいだし」
「それは確かに落ち着いたかもしれないけど、お前最近魚見とも仲良いだろ?」
「それでまたぶり返したってのか? 彼女でもないのに?」
「そういうこった」
意図せず小さな嘆息が口を突いた。
丸田が俺の左肩にポンと手を乗せる。
「モテる男は辛いねぇ。羨ましいああ妬ましい忌々しいっ!」
肩の上に置かれた指がぎゅっと丸みを帯びる。
左肩に鈍い痛みが走った。
「痛った⁉ やめろおにぎり見苦しいぞ!」
「おにぎり言うな! やめろっ、触るな野郎の分際でっ!」
おねーさぁぁぁぁん! 丸田の絶叫が響き渡って、クラスメイトの哄笑がバス内を駆けめぐった。




