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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第55話 誰のために


 自宅に戻って朱音と母さんに驚かれた。数分前に家を出た俺が頬を腫らして戻って来たんだ。そりゃ何事かと思う。


 口元の傷を洗面所で軽く洗い、適当な嘘をついて救急箱を受け取る。


 魚見と二階へ続く段差に足をかけた。俺の体を支えようとする魚見に大丈夫と告げて、自室に続く二階の床にスリッパの裏をつける。


 数時間ぶりの自室。何度も踏み入った部屋なのに、今はとても温かく映る。


「座って。私がやってあげる」

「鏡あるから自分でできるぞ」

「やらせてよ。私の気が済まないから」


 真剣な顔つきに請われて、俺は渋々デスクチェアに腰を下ろす。


 魚見が救急箱の蓋を開けて白い容器を引き抜いた。繊細な手が綿棒に消毒液をしみこませて傷口付近をぬぐう。


 痛いです魚見さん。慣れてないんだろうけど、痛いです。


 空気を軽くするために茶化そうと思ったけど、横目を振るとそばには真剣な表情がある。おどける気にはなれなかった。


 消毒液の箱がパタンと音を鳴り響かせた。


「ありがとう」

「それはこっちのセリフだよ」

「俺は何もしてないぞ?」

「間に入ってくれたじゃん。おっきな体が不機嫌そうに近付いてきて、本当に怖かった」


 魚見が両腕で自身の体を抱きしめる。


 ほっそりとした指が微かに震えている。先程の出来事が頭から離れないのだろう。


 安心させてやりたいものの、文字通りワンパンで無力化された俺が何を言っても空元気だ。かける言葉が浮かばない。


「……ごめん」


 魚見のつぶやきが室内の沈黙を乱した。


「それは何に対しての謝罪だ?」

「さっきのこと。たぶん私が巻き込んじゃったから」

「どうしてそう思うんだ?」

「あの四人、以前物部さんと談笑してた」

「……あー」


 夜道で襲われた光景を想起する。


 男の発言、何の前触れもない唐突な棒読み、物部さんに対するやたらスローモーションな攻撃の数々。

 

 物部さんは役者も務めている。仕事で殺陣たてをしたことがあるなら、あんな予備動作見え見えの攻撃をかわすのは簡単だろう。状況証拠は揃っている。


「雇われたか、いびつな友情で協力したってところか」

「たぶん前者。あいつの親お金持ちらしいから」

「どうする? 警察に相談するか?」

「それは……」


 魚見が語尾を濁らせた。視線が重力に引かれたように膝元へ落ちる。


「警察は嫌か。まあ先に手を叩いたのはこっちだもんな。色々不都合か」

「……うん」


 細い首が縦に揺れた。


 十中八九嘘だ。本当のところは、役者の仕事に影響が出る可能性を考慮しての判断だろう。


 あれは状況的に仕方のない行動だった。あれだけプレッシャーをかけられたら大半の人は防衛本能で手が出る。


 第三者にそれは分からない。先に手を出したのはお前と言われれば少なからず邪推される。


 それは魚見にとってマイナスになりこそすれ、プラスになることは絶対にない。


「この際だからはっきりさせよう。魚見はあいつらをどうにかしたかったんだな」


 華奢な体がぴくっと震えた。


 暗かった表情に微笑が貼り付く。


「何のことかな」

「ずっと引っかかってたんだ。友達の友達でしかなかった魚見が、短距離走で二位になっただけで距離を詰めてくるなんてさ。俺を使ってあの連中を遠ざけたかったんだろ」

「ちょっと待ってよ。何で私が萩原を利用しなくちゃいけないの? 同じ男子に頼むなら普通運動部の丸田に頼まない?」

「逆に部活に所属してるからこそ頼めなかったんじゃないか? ただの喧嘩でも下手をすれば部全体の責任を問われる。その点俺なら帰宅部だ。体を張ってナンパを撃退した実績もある。虫を追い払うにはちょうどいい人選だろ」

「あはは、虫って萩原ひどーい」


 魚見がおどけたように口角を上げる。


 俺は眉間に力を込めた。


「これ以上茶化すなら、次あいつらを見かけたら魚見を置き去りにして逃げる。家族も巻き込むかもしれないんだ、冗談じゃないからな」


 桃色のくちびるがつぐまれた。細い指がぎゅっと丸みを帯びてスカートにしわを寄せる。


「ごめん」

「それは非を認めたと受け取っていいのか?」

「うん、認める。私萩原を利用した」

「この前物部さんが二人きりになろうとしてくるって言ってたな。うっとうしく思ってることを伝えてないのか?」

「言えるわけないじゃん。言ったら何してくるか分からないし」

「でも言わなきゃ分からないだろ。案外すんなりと引くかもしれない」

「引くわけないじゃん」


 それはそう。心の中で自分にツッコミを入れる。


 自分で言っておいて何だけど、あの物部さんがすんなりとあきらめるとは思えない。

 

 上手くいっても逆ギレして罵詈雑言を並べ立てたあげくに、君は俺にふさわしくない! みたいなことを告げて背を向けるくらいはするだろう。


 魚見の声色が微かに震えた。


「今日だって、まさかここまでしてくるとは思わなかった。断ったら何されるか分からない」

「今回はあの男が短気だっただけだろ。なぐった後にやっべとか言ってたし」

「また短気起こさないとは限らないでしょ。他人事だからそういうことが言えるんだよ」


 強めの口調に遅れて小さな顔がハッとした。形のいい眉がハの字を描くも、口からは何の言葉もこぼれない。


 助けてなんて口にできないのだろう。


 魚見は、親しくない男子には体を触れさせないくらいプライドが高い女性だ。自尊心が邪魔をして、俺を誘惑するといった遠回りな手法に活路を見出すしかなかった。


 魚見の事情を推測して、まぶたを下ろして考える。


 魚見を助けることのリスクと、見捨てた先に待つ学校生活を想像する。


 おもむろに目を開ける。


 泣き出しそうな瞳を見て思わず苦々しく口角を上げた。


「そんな顔するなよ。見捨てはしないからさ」

「ほんと?」

「ほんとだって。魚見は友達だし、いい夢見せてもらったからな」

「夢?」

「気にするな。こっちの話だ」


 燈香に柴崎さん、二人に加えて魚見にまで好意を持たれた。俺の人生でこれ以上にモテることは二度とないだろう。


 それに、魚見に塞ぎ込まれると張り合いがなくなる。


 朗らかな燈香に愉快な丸田。清楚な柴崎さんときたら悪女な魚見がいないと締まらない。


 俺は俺の学校生活を守るために魚見を助けるんだ。


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