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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第36話 萩原さんのせいですからね


 種目消化が一段落して昼食の時間を迎えた。生徒が一斉に散開してグラウンドの地面を踏み鳴らし、子供の晴れ姿に駆け付けた保護者と混じって敷き物を広げる。


 俺は教室に戻った。丸田の誘いを断って元来た廊下の床に靴裏を付ける。


 目的の教室まであと数歩と言うところで、探していた人物が顔を出した。


「柴崎さん、ちょっと時間もらえないか?」

「いいですよ。せっかくですし一緒に昼食を摂りませんか?」

「分かった。じゃあ中庭に行こうか」

「はいっ!」


 嬉しそうな微笑みが教室内に消える。 


 俺も自分の教室に戻って弁当箱を回収し、再び廊下の床を踏みしめる。

 

 階段の辺りに柴崎さんの背中が見えた。アイコンタクトを取ったのちに下り階段のある方へ消える。


 二人でいるところを他の生徒に見せないための配慮だろう。ささやかな気遣いに感謝して柴崎さんの足跡を追う。


 中庭の歩行スペースに入った頃には、ベンチの上に柴崎さんの姿があった。

 

 俺もベンチに腰を下ろして弁同袋を広げる。二人いただきますをして箸を握る。


 俺の箸と違って柴崎さんのそれは洒落ていた。漆に見紛う黒い箸に椿のような赤い花が散りばめられている。


 和風美人といった出で立ちの柴崎さんによく似合っている。質素な箸を入れてきた俺が少し恥ずかしい。


「萩原さんすごかったですね。短距離走二位なんて金星じゃないですか」

「ありがとう。今日に向けて毎日走ってたから、その成果を出せてよかったよ」

「努力が実ったってことですね。おめでとうございます。これお祝いです、受け取ってください」


 黒い箸先がだし巻き卵をはさみ、黄色い長方形を俺の弁当箱の上で離す。


「ありがとう。遠慮なくいただくよ」


 短距離走や応援でお腹はぺこぺこだ。早速だし巻き卵をはさんで口に運んだ。


 ふっくらとした食感に遅れて舌が小躍りした。脳内で幸せ成分が泉のごとく湧き上がる。昆布とかつお節だろうか? 和の食材からなる旨みが沁み渡る。


「どう、ですか?」

「すごく美味しいよ! どこかの店で出された物みたいだ」

「よかった! 萩原さんの口に合って」


 上目遣いの表情が花のようにほころぶ。

 

 純粋な歓喜を前に照れくさくなって視線をずらす。


「これどこに売ってたんだ? ここの近く?」

「売り物じゃありません。今朝私が作ったんです」

「え?」


 思考が一瞬漂白された。


 つまり、なんだ。俺が口にしたのは、柴崎さんが早起きして作っただし巻き卵ってことか?


 図らずも、俺を好いてくれた女の子の手料理を食べてしまった。その事実を認識して胸の奥が騒がしさを増す。


「他にも何か欲しい物があれば言ってください」

「いや、これ以上もらったら柴崎さんが腹ぺこになっちゃうよ」

 

 自分の弁当箱から白米を持ち上げて口に含んだ。もぐもぐしながら思考をめぐらせる。

 

 弁当の話を続けると浮つきで声が裏返りそうだ。何か別の話題を探さないと。


「そうだ、柴崎さんに聞きたかったことがあったんだよ。柴崎さんは短距離走を志望してたんだな」

「最初から志望してたわけじゃないんです。一人病欠して、誰が出るか決める時に立候補したんですよ」

「どうしてそんなことを? 図書室では体育祭に乗り気じゃなかったのに」

「やりたくなったんですよ。萩原さんの、自分にできることをする姿勢が格好よかったので、私もやれることをしてみたくなっちゃいました」

「それが短距離走だったのか」

「はい。私じゃ燈香さんに勝てないことは分かってましたけれど、全力で走れば一秒くらいは先を走れると思ったんです。現実は甘くありませんでしたね」


 あどけなさの残る顔立ちが照れくさそうに口角を上げる。


 自嘲めいたそれから苦々しさが消えた。


「でも不思議と後悔はしてないんです。やってみてよかったとすら思っているんですよ。目標を設定して外聞を気にせず突っ走る。そんなの、今までの私じゃ考えられませんから」


 きっと柴崎さんは一歩前に踏み出したんだ。変わりたいと考えて、今までの自身では選ばないような選択に手を伸ばした。


 奥ゆかしい柴崎さんも素敵だけど、目標に向けてあがく柴崎さんもギャップが魅力的だ。


 彼女にそうさせたのは、きっと……。


「全部、萩原さんのせいですからね」


 思わず息を呑む。


 意地悪気に口端を吊り上げた柴崎さんは、いつになく艶めかしく映る。


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