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倦怠期カップルは思い出す  作者: 原滝飛沫
3章

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第24話 もしもと無駄


 昼休憩を命じられて廊下の床を突き進む。 


 食堂は人でごった返している。俺は柴崎さんにチャットを送って合流地点を中庭に変更した。食堂で注文はできないけど、そこら辺の模擬店で購入すれば事足りる。食べ歩くのもお祭りの醍醐味だ。


 例のごとく丸田や魚見は気を遣って別行動をしている。俺は紅しょうが抜きの焼きそばを購入して中庭に足を運んだ。


 相変わらず人影は多いけど食堂ほどじゃない。歩道スペースに靴裏を付けて進み、空いたベンチを見つけて腰を下ろした。


 スマートフォンの液晶画面をタップしてベンチ確保の旨を伝える。


 靴音が迫る。俺は顔を上げて目を見張った。


「柴崎さん、その恰好」


 正統派の美少女が立っていた。さらっとした黒髪を後頭部にまとめ上げて、白いオフショルニットに短めのパンツで仕上げている。すらっとした脚が健康的な色香を醸し出して、この前とは違う意味で目を奪われる。


「お祭りなのでちょっと大胆になってみました。変じゃないですか?」


 柴崎さんが指をもじもじさせて目を逸らす。


「すごく似合っているけど、どうして私服なんだ?」

「この格好なら私に結びつかないと思いまして」


 確かに、今の柴崎さんを文学少女系女子と見抜ける生徒は少ないだろう。


 そういう意味ではばれないかもしれないけど、今度は別の意味で問題が発生している。視線、特に男子の目がちらちらと集まっている。関係性を問われた際の言い訳は考えておいた方がよさそうだ。


「よし、柴崎さんは今から俺の従妹ってことにしよう」

「話しかけられた時の設定ですね。名前はどうしましょうか」

「一子は? 数字の一に子。響きが似ても似つかないし、大分印象を変えられると思うんだ」

「いいですね、それでいきましょう」


 俺は気分を入れ替えて焼きそばを頬張る。もちゃもちゃとした麺を腹に収めてからカフェオレで口内を潤した。


「次はどこに行きます?」

「そうだな……」


 俺と柴崎さんのクラスには行かない方がいい。できれば同級生の目を避けたいし下級生や上級生の教室が無難か。


「三年生の段ボールアートすごかったな!」

「ねー」


 中庭を歩くカップルの会話が耳に入った。


 盗み聞きでもきっかけはきっかけだ。ベンチから腰を浮かせて焼きそばの入れ物をゴミ箱に突っ込む。


 柴崎さんと肩を並べて廊下に上がる。階段を経て二階にある一組教室に足を運んだ。


 虎が教室内の床に腰を下ろしている。離れた床の上では龍が長い胴体を波打たせている。


 実物かに思えたそれらは、人の手で様相を変えられた段ボールだ。


 絵の具やペンキは塗られていない。色の違う段ボールを用いて色彩を表現し、デザインにリアリティを付加することに成功している。細かく裂いて獣毛を表現したオブジェは、木彫り彫刻にも負けない繊細さをはらんでいる。


「これ、水でしならせてるんですね」


 柴崎さんが膝に手の平を当てて見入る。


 整った顔立ちの前には、段ボールで再現された熊の頭がある。事情を知らないと心臓が飛び跳ねそうになる光景だ。


「水を使うアートは珍しくないけど、段ボールを曲げるために使うって発想が面白いよな」


 室内に展示されているのは段ボールアート。人や獣を彫刻として再現する手法は知られているけど、段ボールを使う手法は芸術の歴史では最近の物だ。


 日常的な物でアートを表現する、俗に言う現代アート。その始まりはマルセル・デュシャンというフランス生まれの美術家だ。油絵や彫刻を芸術と尊んでいたご時世。彼は大胆にも、ただの小便器に『泉』と名付けて発表した。


『泉』の出店は拒否された。


 一方で論争が巻き起こり、凝り固まっていたアートの概念は一度破壊された。当時を生きた人々にとっては、空を走る犬を見たような衝撃だったに違いない。


 当時非難を浴びたマルセルだが、今や現代アートの父としてその名を歴史に刻んでいる。椅子、ペン、ありふれた段ボールでさえも立派な一つの芸術品だ。


「マルセル・デュシャンが泉を発表していなければ、今日この光景は見られなかったかもしれないんですね」

「あながちそうとも言い切れないんじゃないか?」


 柴崎さんが顔を上げる。


「と言うと?」

「数年、あるいは数十年後に同じ発想に至る人が現れたかもしれないってことさ」


 マルセルは芸術を馬鹿にしたくて泉を発表したわけじゃない。当時の芸術に懐疑的で、自身の油絵を描く途中で放棄したことも奇行に走った要因と言われる。似た人生観を持つ人物なら『泉』を生み出した可能性は否定できない。


 現代社会でさえ、新商品の開発競争や早い者勝ちの特許申請が行われている。たまたまマルセルが最初に発表しただけで、アイデアだけなら先に考案した人物がいたかもしれないんだ。


 今となっては悪魔の証明だから、本当にそんな人物がいたかどうかなんて確かめようがないけども。


「じゃあキャンパスを切り裂く手法も、ルーチョ以外の誰かが考案したかもしれませんね」

「そうなるな」


 思わず苦笑いした。


 もしもはもしもだ。現代アートを知らしめたのは小便器。キャンパスをズタズタにしたのはルーチョだ。歴史として残ったことを論じても意味はない。


 そんな冷めた思考とは裏腹に、心はこの時間が楽しいと弾んでいる。無駄もまた娯楽。これは燈香から教わったことだったか。


 柴崎さんといる時間は楽しい。それは間違いないのに、どうして俺は燈香の反応も見たいと思っているのだろう。


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