第9話「慈悲」
全身が粟立つような冷徹な声。ぞっとする言葉。呼吸が浅くなり、目を剥いて彼女を見る。英雄とはとても思えぬ歪な笑みが、さらに言葉を紡ぐ。
「お前とてゴロツキに成り下がったとはいえ故郷はあるだろう。愛する家族がいるだろう。言ってみたまえ、家族は何人だ。父親は元気か、母親は? 兄弟はどうだ、田舎に残してきた恋人は?」
男が怯えて震えるばかりで困っていると、彼女は遠慮なく怒鳴った。
「答えろと言っているだろうが!!」
「ひいっ……! げ、元気です、家族は皆……!」
ぱっ、と手を放して立ちあがり、うんうんと頷く。
「なんだ、答えられるじゃないか。では続けよう。家族構成は?」
「りょ、両親と妹が……今は疎遠ですが、いつかは帰ろうと……!」
昔には傭兵たちもよく雇われた。店の用心棒だったり、大陸が統一される前は小さな国の争いに加担するなどして大きな報酬も得てきた。
当然、竜の討伐にも駆り出された事がある。下手に訓練ばかり積んだ者よりも実戦の中で生きて来た彼らの方が強い事もままあったからだ。
しかし今はどうだ。目立った食い扶持もなく、故郷に帰る金もなく、手を組んだ者同士が行商人や貴族を襲った。ときには雇われて暗殺者として動くようになり、気付けば手は汚れ、互いに裏切らぬよう見張り合う日々に陥った。
家族の待つ故郷に帰りたいと思いながらも帰れない日々だった。
「では故郷はどこにあるんだね?」
「アルボスと言う村、です……。ここからまっすぐ行って、町を超えていけば着くと思います……! お願いします、どうかお慈悲を……!」
頭を地面に擦り付けて必死に命乞いをする。もう仲間など誰も残っていないのだから、ここで助けを乞わなくてどうするのだ、と。
「もちろんだとも」
そう言ってクラヴィスが微笑み、男は顔を上げて希望を感じる。彼女も最初から殺すつもりはない。彼を帰す事が目的なのだから。
「私は正直言って英雄などに興味はない。だから取引をしてあげよう。お前がもしきちんと仕事をこなして、私のところへ戻ってきてくれたなら報酬を出そう。ついでに故郷へ帰らせてやるのも約束する。ただし裏切れば────」
サーベルの背で彼の頭をこつんと叩く。
「ま、皆まで言うまい。分かったら行け、私の気が変わらんうちにな」
「はいっ、行かせて頂きます! す、すみませんでしたッ!」
よろめきながら走り去っていく男の背を見送り、吸い終えた葉巻をプッと小屋の中に向かって捨てる。瞬間、大きく燃えあがった。
「これでしばらくは安心だろう」
証拠を処分したら、道を少し先まで歩いて、待っていたフィーリアたちに合流する。荷台から降りたフィーリアが柔らかいタオルを差し出した。
「お疲れ様です、クラヴィス。……あの、やはり追手が?」
「片付いたよ、お前の事も問題ない」
べったりついた血が拭いきれず、しかめっ面をする。
「連中も真偽を確かめようとはするだろうが、かなり手間取るはずだ。後はゆっくり目的地まで向かえばいい。……にしても」
心配そうに見つめて来るフィーリアを見て、頭を撫でてやろうとしてから手が止まった。ふき取ったとはいえ血の付いた手で触れるのは、せっかくの綺麗な髪が汚れてしまうと思って、そっと引っ込める。
「お前を鍛えてやるつもりだったが、さっそく邪魔が入ったせいで時間が取れず悪かったな。もうしばらく後になるかもしれないが構わないか?」
「ボクは平気です。鍛えて頂けるなら文句はありません」
なら良かった、と荷台に乗ろうとしたクラヴィスの背中に声を掛ける。
「あの……。ありがとうございます、クラヴィス」
「請けた仕事だ。どうって事はないさ」
「すみません。城を出たときは突っかかってしまって」
彼女が深く頭を下げたのを振り返って、クラヴィスは面倒くさそうに。
「さっさと乗れ、続きは出発してからだ」
「……はい!」
二人が乗り込んだのを確かめてからベラトールが馬車を走らせる。先ほどまでは血生臭かったのも忘れて、クラヴィスが荷物の中から葉巻を取り出す。
その腕をぱっと掴んでフィーリアが首を横に振って窘めた。
「吸い過ぎはいけませんよ、お体に障ります。どうせ待ってる間も小屋の中で葉巻を吸っていらしたんじゃないですか?」
「……私はいいんだよ、いくら吸ったところで────」
腕を掴む手にさらに力が籠った。絶対に駄目だと強い視線を送られて、クラヴィスは初めて『しつこい奴だな』とたじろぐ。
そのうえベラトールまでもがフィーリアに同意したのだ。
「彼女の言う通りです、クラヴィス様。いくらあなたが不死身なれど、あまり煙草ばかり吸われては……。それにフィーリア様にも迷惑が掛かります」
「わかった、わかった! 吸わなきゃあいいんだろう!?」
仕方なく葉巻を戻して、とても不満げに片膝を抱えて座った。
「別にいいさ。そうやって私を労う事も忘れて、自分たちの行いは正しいと思い込んでいろ。こっちは煙草か酒くらいしか楽しみがないというのに」
不貞腐れた姿にベラトールは見向きもせずに────。
「聖書でも読まれてはいかがですか。中々どうして悪くないと聞きましたが」
「私の神経を逆撫でしても首が繋がってるのはお前くらいだよ」
今に殺してやろうかと脅してみても、変わらない無表情がけろっとする。
「光栄です。父なる神の思し召しでしょうね」
「……チッ。お前、本当に覚えてろよ」