第8話「狩りの時間だ」
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深夜。小屋は静まり返っていた。聞こえるのは風が窓を軽く叩く音と、誰かが土を踏む音。ひとつやふたつではない。幾人ものブーツの足跡が小屋を取り囲む。離れて停められていた馬車では、繋がれたままの馬が彼らを怯えて見つめた。
「いいか、油断するなよ。寝てるとはいえ相手は英雄。あの『竜狩りの魔女』だ。扉を開けたら一気に片付けるぞ」
ひそひそと男たちが話して小さく合図を送り合う。小屋はおんぼろで鍵の掛けられるような状態ではなく、中も狭いので扉を蹴り破って奇襲を仕掛け、早々に仕事を終わらせようと計画があった。
彼らは元傭兵で、収入がないときには行商人を襲ったりもしたが、今はそれも叶う事がない。都市を中心に活動する彼らが食い扶持を稼ぐには、それなりに金を持った人間とつるんで、人を殺めるのが最も手っ取り早く慣れていた。
「────行くぞ」
一人が扉の前に静かに立ち、ナイフを手に持つ。他の仲間も息を潜めて武器を持って待機する。いち、にの、さんで扉が蹴破られた。
だが、入ろうとした瞬間に全員の足が止まった。月明かりに照らされた小屋の中は壁から床まで血だらけで、既に酷い有様だ。そして、部屋の中心には足を組んで膝の上に何かを包んだ血だらけの布を抱えるクラヴィスが椅子に座っている。
「ようこそ、諸君。今日は良い月だが気分は如何かな?」
血の臭いは嗅ぎ慣れている。相手から感じる殺気も分かる。だからこそ彼らは容易に踏み込めなかった。小屋の中は完全にクラヴィスの領域だ。
「ところで諸君らがここへ何しに来たのかだが、あぁ、言わなくてもいい。なんとなく察しはついてる。だからこうして待っていたんだ」
抱えた何かを彼らの足下に転がす。そこそこに重たく、血の滲んだ布が後を残す。入口の前に立っていた男はナイフを構えたまま視線を僅かに下に動かした。
「……これはなんだ? まさかとは思うが……」
「首だよ。お前たちが欲しいものは私ではなくクレスクントの首だろ」
おもむろに葉巻を手にして、吸い口をカッターでパチンと切った。
「あまりややこしい事に巻き込まれるのは本望ではない。人は例外なく皆が緩やかに年老いて、緩やかに死にたいものだ。それがいかに恵まれているかを本能的に知っているから」
咥えた葉巻の先を二本の指で擦った瞬間、ぼうっと紅く輝いて燃える。男たちはそれを見てぎょっとした。どうやって点けたのか、マッチもなしに指で触れただけで? 疑問と同時に得体の知れない恐怖心が湧きあがった。
まるで魔法でも使っているかのようだ、と。
「おっと、そう怖がらなくてもいい。竜の生き血を呑んでからというもの、不思議な事に炎を操れるようになってね。面白いだろう?」
クックッと笑い、緩く吸い込んだ煙をあっさり吐く。
「お前たちは『人魚の伝説』を耳にした事がないか。遥かその昔、人魚の肉を喰らえば不老不死になれるというものだ」
突拍子もない話をし始めたので、彼らは聞き入った。恐怖心の中に好奇心を芽生えさせ、襲うつもりで構えた姿勢がじわりと緩む。
「人の顔をしている魚なんで誰も気味悪がって喰ってやろうなんて思わない。共喰いのようにも思うんだろう。だが、あるとき私は喰った。耳に残る『人魚の伝説』の真偽を確かめるために、奇跡的に出会ってすぐ殺し、捌き、生肉を喰らった。────正直、美味くも不味くもなかったな」
葉巻が半分に差し掛かり、彼女は男たちの続きが気になるという視線の集まり方にくすっとして────。
「あるとき、私は自分が老いを感じなくなったのを理解した。齢は二十五ほどで時を止めてしまった。それがざっと五十年前の話になる。人魚の伝説は本当だったんだ。実際に目にしてないお前たちには信じられないかもしれないが」
椅子からおもむろに立ちあがり、葉巻を咥えたまま軍服の上着を脱ぐ。真っ黒で肌にぴったり吸い付く半袖のシャツ姿。腕には傷痕が多くあった。男たちの視線はさらに釘付けになった。
「おかげで傷もすぐに治る。痕が残る事もあったが、私は巨竜討伐戦に参加して五体満足で生き残った。他の誰とも違って。だから運よく生き血を呑み、あの竜の首を刎ねたのだ。実に素晴らしい。あれ以来、私は完全に人間をやめたんだから」
立て掛けていたサーベルを手に、鞘を引いてからんと捨てる。
「生き血は生ぬるくてクソ不味かったが、あの高揚した気分は忘れられない……。今もなお滾ってくるほどだ。────どうかね、おとぎ話は満足して頂けたかな? ではそろそろ狩りの時間と行こう」
ようやく現実に帰ったときには、もう遅い。男たちが武器を構えた腕は、あげると同時に月明かりを反射させたサーベルの餌食だ。まったくの容赦なく、数人の首を瞬く間に刎ねた。
「あと三つ」
そう言って薄気味の悪い恍惚に包まれながら、さらに二つの首が宙を舞う。非道など知った事ではない。クラヴィスにとって敵対者は何をしても良い狩りの対象。狼が兎を狩るのに哀れみなど持たないのと同じ、退屈という名の飢餓を脱するための獲物としか見ていないのだ。
悲鳴や絶叫など意味を成さない。広い森の中、町は遠く、ただ吹く風に乗ってどこかへ吸い込まれるように消えていく。
「一人だけ残しておけば十分だ」
尻もちをついて、運よく残った男はサーベルの背で顎を持ちあげられる。冷たさの中に狂気を秘めた女が牙を剥いて笑う。
「さて、お前の飼い主の名は敢えて問うまいが、犬らしく伝言でも届けてもらおうか。私の言葉を丁寧に伝えて欲しい。賢い犬なら出来るだろう?」
恐怖のあまり男は笑みを浮かべて泣きながら、命乞いをするように必死な声で「で、出来ます! やらせてください!」と声を高くして叫ぶ。
彼女はサーベルをゆっくり下げて地面に雑に投げて転がし、男の前に屈む。
「飼い主にはこう伝えろ、フィーリア・クレスクントの死亡を確認した。クラヴィスから直接首をもらい受けたとね。もし私の頼みを反故にしたり、誤って伝えるような事があれば、そのときは────」
逃がさないよう髪を掴んで、男にぐっと顔を近づけて耳元で言った。
「どこに隠れても追い詰めて殺す。お前だけをじゃない。お前の大切な者を全員、そこらに転がった死体よりも惨たらしく死なせてやる。お前の目の前でな」