第39話「王家の名を背負う者として」
どちらも助けるというのは、たとえ英雄であろうと不可能だ。二つの命はそれぞれがあまりにも遠い離れた場所にある。差し迫られたのは家族の命か、親友の命か。フィーリアにとっては辛い選択だ。
ドゥクスにしてもリーススにしても彼女の命を救うために動いたのは紛れもない事実で、天秤にかけなければならない、あまりに残酷で非情な現実だった。
「……リーススを救ってください」
短い思考の後に下された決断は、兄ではなく親友の命だった。
「本当にいいんだな、フィーリア」
「はい。……目の前にある命を救わず王家を存続させるために動けば、それはきっとボクたちクレスクント王家にとって最もたる恥だと思うので」
ドゥクスなら選んだ答えだ。自らの命を捨ててでも、誰かのために命を懸けられる男が、我が身のために民を犠牲にしたとなれば、どれほど傷つくか。
クレスクントの名を背負う者が選ぶ道はただひとつだ。決意の籠った眼差しを受けて、クラヴィスは『敵も多いわけだ』と納得する。彼らはあまりにも輝いている。権力を欲しがる者にとってこれほどの邪魔者はいないだろう、と。
「良かろう、お前の頼みは聞き届けた。リーススのところへ向かうぞ」
「……はい! 案内しますのでついて来て下さい!」
駆け足で向かった先には、大きな民家がある。クラヴィスが道中に訪ねたのはオーリムの村長が暮らす家だ。村人たちは大勢集まっており、フィーリアが彼女を連れてくるのを不安そうに待っていた。
「英雄様! よくぞ来て頂きました、リーススが……!」
「分かっている、騒がなくていい」
彼らを安心させるには、たったひと言で十分だ。
「大切な家族なんだ、必ず救ってみせよう」
竜さえ殺す大英雄の言葉は彼らに安堵を招く。ホッと胸をなでおろして、良かったと口々に言った。小さな村で長く暮らす者たちは血が繋がっておらずとも親戚のように振る舞うもので、特にリーススは若くして誉れある調査団の副団長補佐であるため彼らにとっても心から自慢できる最愛の隣人だった。
「それより、こっちを急いだからさっきの男を痛めつけてやりはしたが、始末していなくてね。もしかしたら逃げるかもしれない。見て来てくれないか?」
「英雄様の言う通りにしますとも。なあ、皆!」
村人たちは怒りに満ちた表情で家を出ていく。後はファルサがどう扱われるかなど、彼ら次第だ。いなくなった事にされて死ぬか、それとも運よく生かされるか。どちらにせよ、まともな末路は待っていない。
残ったのは、一番年老いて体力のない村長だけだった。
「部屋に案内します、英雄様」
「ああ、頼むよ」
連れて行かれたのは使っていない寝室だ。来客があったときのために用意してあるが、オーリムの村は観光地でもないので、商人以外が来る事は滅多とないのもあってリーススをすぐに安静にさせる事ができた。
止血は済んだが顔色は悪く、呼吸も浅く殆どしていない。見目にはどう考えても死ぬ寸前で助かる見込みなどないふうにしか思えなかった。
「村長殿、少し部屋を出ていてくれるか」
「えっ。しかし……」
「今回ばかりは大目に見てくれ、ちょっと特別な事をするから」
「はあ、わかりました……。ではリーススをお願いします」
深く頭を下げて、今はクラヴィスを信じるしかないと村長は複雑な表情で部屋をあとにする。彼女はそれからサーベルをフィーリアに持たせて袖を捲った。
「おい、そのサーベルをちょっと構えてくれるか」
「いいですけど、何をするんですか?」
「黙って見てろ。お前だから許してるが、普通は見せたくない」
刃に腕を擦って血を流す。傷はあっという間に塞がったが、流れた血を手ですくってリーススの口に垂らしていく。
「私の血には治癒力を高める効能がある。人魚の肉を喰らったのが原因だろう。解毒作用はないみたいで、万能薬とはならないが」
リーススが弱々しい力で呑み込んで、一分も経てば顔色が良くなり始めて呼吸も安定する。しばらく様子を見てから彼女の頬をぺちぺちと叩いた。
「起きろ、聞こえるか。調子はどうだ?」
「……不思議です、ひと晩よく眠ったみたい」
やんわりと目を開くリーススが、小さく微笑む。
「うむ。傷はどうかな、もう塞がってると良いんだが」
包帯の上から手でぎゅっと押す瞬間、フィーリアがぎょっとして「怪我人ですよ!?」と大きな声を出したが、リーススはなんともなさそうな顔だ。
当然、傷などとうに塞がっていた。クラヴィスの血は傷であれば死んでいない限りは回復の見込みがある。リーススのように刺されて多量の出血によって死にかけているくらいならば、ほぼ確実に生還させられた。
「全然痛くないわ……。ありがとうございます、クラヴィス様」
「問題ないなら良い。私は次の仕事に向かう」
「あ、待ってください。もう元気になりましたから私も一緒に」
ベッドから起き上がろうとして、クラヴィスに手で制された。
「ここにいて休んでいろ。今回ばかりは後の仕事を私が引き継いでやる。腹立たしい連中に、私からの報復をくれてやりたくなってね」
笑顔だが瞳の奥には明らかな怒りが宿っていた。
「フィーリア、お前も此処に残ってリーススが無理をしないよう見張っていろ。私の血で助かったとはいえ深手を負ったんだ、体力的な問題は解決できていない。せっかく助けてやったのにまた怪我でもされたら気分が悪いんでね」
「……わかりました。あの、どうかご無事で」
サーベルを返して信頼の眼差しを送った。本来なら同行してドゥクスの元へ向かいたい気持ちもあるが、王家の存続のために兄の命を見捨てるならば、自分はここで生き残る必要がある。全てはクラヴィスに託すしかなかった。
「良い報告は期待せずに待ってろ、綺麗さっぱりに仕事が済んだら迎えに来る。だからお前こそ無事でいろよ。何かあればすぐ逃げろ、分かったな?」
頼りになる護衛には裏切られた。ベラトールもいない。しばらくの間、彼女を守れるのは自分自身だけなのだ。不安はある。だが力強い表情で返す。
「お任せください、クラヴィス。ボクは調査団副団長ですから!」
「ハッ……。言うようになったな、期待しておくよ」




