第36話「裏切り者」
フィーリア・クレスクントの腕は確実に上達していた。クラヴィスに痣だらけになるまで殴られた事を思い出すと、少しだけ泣きそうになる。なんとも痛く、そして容赦がなかった。
だが、そのおかげで彼女は今、明らかに腕の立つ男たちを相手に互角以上に戦える。たった一人で十人を前に臆したりもなく。
むしろ彼らの方が動揺しているくらいだった。
「どういう事だよ……たかがガキ一人捕まえる簡単な仕事だろ?」
「こんな小娘に馬鹿にされちゃ商売あがったりだ、さっさと捕まえるぞ」
明らかな焦りの前に、彼らの動きは単調になる。フィーリアにはあまりに鈍い動きに映り、隙を縫って確実に傷を与えていく。殺しはしないが、殺しても構わないという強い気持ちで戦いに臨んだ。
「まだやるのかい。どっちが強いかは明白だろ」
腹立たしいが、その通りだと男たちは唇を噛む。十人もいて、残ったのは三人だけだ。しかも、今飛び掛かれば二の舞になるかもしれないリスクまである。傷ついた仲間など必要ない。見捨てるつもりで、示し合わせたように扉の鍵を開けて外に出ようとする。自分たちさえ助かればそれでいい。
しかし彼らは、開けた瞬間に、外に立っていた男を見てどきっとする。心臓が握りつぶされそうなくらい緊張感が漂った。
「おや、随分と派手にやらかしてくれたようだな」
先頭にいた男が切り伏せられる。調査団の制服に、些か派手な羽織りを纏う大柄な男。金色のオールバックに薄青の瞳が特徴的で、玄関に立った男を見るなりフィーリアがぱあっと顔を明るくした。
「ファルサ団長! 良かった、間に合ったんですね!」
彼は小さく頷いて、尻込みする男たちを逃がすまいと素早く斬り捨て、場が安全になったのを確かめてから剣を腰の鞘に戻す。
「これまで大変だっただろう。我々の到着が遅ければ大怪我をしていたかもしれない。……だが、見たところ腕をあげたようだね。まさか無事だなんて」
「エヘヘ。頑張りましたよ、クラヴィスに鍛えてもらいましたから」
駆け寄って目の前に立ち、どん、と胸を叩いて自信たっぷりな顔をする。ファルサは彼女に優しく微笑みかけてそれは良かったと口にしながら────。
「おかげで始末する手間が省けた」
大きな硬い拳がフィーリアの腹を突く。油断して力を抜いていた彼女の体には強く響き、思わず胃の中にあるものを吐き出しそうになって口を両手で押さえてうずくまる。痛みと苦しみが同時にやってきて目に涙を浮かべた。
「ど、どうして……団長……?」
「分からないかなぁ、フィーリア。最初から全部仕組んだ筋書き通りに物事は進んでいる。私は単純に王族とは違う派閥にいてね」
屈んで彼女の髪を掴み、心優しき美男などどこにも感じさせない冷たく歪な笑みをみせた。彼は心底からフィーリアを嘲弄する。
「世間知らずの小娘ひとりを捕まえれば、大きな報酬も出る。副団長を任せてやれば単純に受け入れて俺の事を信用してくれただろう?」
彼の背後には、同行していた調査団の腕利き二人が入ってくる。
「団長。リーススは黙らせておきました。死体はどうなさいますか」
「そのへんに捨てておけ、犯人など分からん」
「分かりました。ではフィーリアを連れて行きましょう」
「ああ、早く出発しよう。いつまでも居座っては噂になる」
ゾッとした。調査団の中に裏切者がいた。その筆頭が敬愛の念さえ抱く団長であったとは思いもよらなかった。そのうえ彼らの話を聞き、リーススが口を割らないように始末したのだと分かり、彼女は激昂する。
苦しさにうずくまったまま、傍にあった剣を手に取ろうとした。
「おおっと、動くなよ。君がどういう子かは分かってる」
静かに伸ばした手を固いブーツが強く踏みつけた。
「うぐああぁっ……!!」
あまりの痛みに声が出ると、他の団員から口を押えられる。
「これはすまない、俺とした事が強く踏み過ぎたね。だけど君は判断力に優れ、権能でも並以上ある。副団長に任命したのも、何も計画のひとつだったからだけじゃない。本当に実力を見込んで選んだんだ。仕事もよくしてくれた」
拳をぎゅっと握り、冷めた瞳がフィーリアを見下ろす。
「最初は陛下だけ狙えれば良かったが、調査団というのは誰もが優秀で困ったものだよ。俺が手に掛ければ足がつくから他の奴に任せようと、どう上手くやったものかと何人も誘拐させては殺してたんだがね。君たちはあと一歩のところまで何度も手を伸ばして来るから後始末が本当に大変だった」
玉座に手を伸ばそうとする者がいる。クラヴィスから聞いていた通りだ。全ての計画の実行にはファルサが関わっていたが、彼がドゥクスを狙うメリットはない。違う派閥の人間が、彼と結託してクレスクント王家を引きずり降ろそうとしている。新たな基盤を創ろうとしている。
「……そ、そうか……公爵家だね、後ろ盾は……」
「聡明だな、その通りだ。しかし陛下の暗殺は難しくなった」
大きな、はあ、というため息が部屋を漂う。
「確かに俺は信用に足る人物の力を借りて、君を王宮から遠ざけるよう進言した。どちらかを殺せば、どちらかの守りは堅固になる。だから引き離して、どちらも始末してしまうつもりだったんだが、まさか英雄閣下のお出ましとは」
踏んでいた手を放して、彼は傍にいた団員二人に顎で指示を出す。力の抜けたフィーリアは両腕を抱えられて無理やり歩かされた。
「結局、こうやって生け捕りにして、裏側で操って自然に玉座から降りてもらう方が楽だと判断してね。俺も心苦しいよ。もし君が王族でなければ、本当に大切な部下として扱った。本心だ。だが、立場はそれを許さないだろう?」
用意してあった馬車に乗るよう言われて歩く最中、ふと茂みに倒れて動かなくなっているリーススの姿を見た。胸をひと突きにされたのか、見目にはよく分からないが、傍に転がったカンテラが彼女の血塗れの服を照らす。
「リースス、ごめん。ボクのせいで……」
「君のせいじゃない。時代が彼女を殺したようなものさ」
「っ……! よくも殺しておいてそんな事を……!」
「だからだよ。政治とは常に世界を動かす。人の命も簡単に奪う」
彼女の肩をポンと叩いて、くすっと笑う。
「運が悪かった。リーススも君も同じだ。用が済んだら同じところへ送ってあげるから何も心配はいらない。痛みもないようにしてあげよう」
馬車に近付き、荷台に乗せようとした直後だった。
「おお、やっと来たか」
月明かりが御者台にふてぶてしく座る女の白い髪を美しく魅せる。咥えた煙草の火が、うっすらと女の顔を照らした。浅黒い肌。眼帯をした鋭い目つき。およそ普通の人間とは思えない雰囲気を漂わせながら────。
「で。私は何をしたらいいか教えてくれないか、依頼主さんよ」




