第21話「何かを得るためには」
雨脚が強まり、幌を叩く音がいっそう激しくなる。初めてクラヴィスを殺そうとした夜もひどい天気だったのを思い出した。
元々クラヴィスは上流階級に名を連ねないものの、竜討伐以前から地位のある人物だった。どこの出身とも問わずして、彼女が腕利きの傭兵であり、騎士でもないというのに貴族に護衛として雇われていたからだ。
しかし、彼女の名声が高まるにつれて疎ましく思う人間は増えた。たかだか傭兵如きが、そのうち爵位を与えられてもおかしくない、と。さらにいえば彼女は社交界に流れては困るような多くの情報に通じていた。
守秘義務は絶対に守ると言って、事実それらを口にした事は今でもないが、疑り深い貴族たちが鵜呑みにする事はなく、結託して口封じを狙ったのだ。
しかし、何人かの暗殺者が返り討ちに遭った。まさか不死身とは誰も思うまいに、襲い掛かって逆に首を斬られた者たちは数えればきりがない。その事実を知る者もおらず、ベラトールでさえ彼女を『ただの腕が立つだけの女』だと見くびって、喉元に刃を突き付けられたのだから。
『まったく、同じ事の繰り返しで飽きたよ。ところでひとつ提案なんだが、私につくか、ここで死ぬか選んでみないか。その表情ひとつ変えない豪胆ぶりが気に入った。────命が惜しくないなら薄汚い貴族よりも私に忠を尽くせ』
ああ、その言葉が、どれほど背中に乗った荷を降ろしてくれただろうか。命などもとよりなかったものだ。組織に加わるときに殺した数────十九人。それまでに連れて来られた者たちの誰よりも多く殺した。
血の繋がった兄でさえ手に掛けて、こんな仕事をいつまで続けていればいいのかと葛藤に駆られた事もある。未来と歴史に妄信的な組織の頭痛がする世迷言を聞きながら、何を感じて生きて行けばいいのか。
ただ金を貰って、人を殺して、金を貰って、人を殺す。その繰り返し。飽きたと言われれば、自分もそうだと答えた。馬鹿馬鹿しい日々の蒙昧が、自らを死んでいるのと何も変わらないと告げて来た。
だがクラヴィスは違った。手を汚す事に一切の躊躇はなく、言い訳もない。彼女は今を生きている。血に塗れながら『それがどうした』と言わんばかりに堂々としていて、これこそ求めていた答えだと知った。
私の手は既に汚れている。取り返しのつかない事をしたのだ。……だからどうした。そういう生き方しか知らなかった。だったら堂々と私らしく生きて行けばいい。恥などどこにもない。時代に左右され、人々に左右され、選ぶ権利など最初から生きるか死ぬかのどちらかしかなかったのだから。
「さ、身の上話など大して聞かせるものではありません。純粋な方には毒です。村までしばらくありますから、少しお休みになられては?」
「……うん。そうですね。色々ごめんなさい」
申し訳なさそうに俯き、そして自分が恨めしくなった。フィーリアにはまったく分からない世界。傷つく事を知ったのも、恐れる事を知ったのも、世の中に救われなかった人々が多いと知ったのも、ほんのつい最近だ。
彼らが飢えに苦しみ、己の血を飲んででも食いしばって耐えてきた現実に気付きもせず、毎日のように美味しい料理と温かな寝床に包まれて生きていた彼女が、初めて濁った現実を見つけて拾いあげた。こんなにも辛い思いをしている人々がいるのに、なぜ気付けなかったのか。なぜ何もしてやれなかったのか。
あまりに悲しくて泣きそうになって、顔を隠す。
「……人はなぁ、フィーリア。不公平で平等に作られているんだよ」
あくびをしてきていた毛布を片手に丸めてフィーリアに軽く投げた。
「もうよろしいのですか、クラヴィス様」
「ああ、元気になった。三十分くらい寝たかな」
くあっ、と大きめのあくびをしてから首を傾けてぽきりと鳴らす。
「自分たちの境遇が地獄の底から始まろうと、天高い場所から始まろうと変わらない。驕れば地に落ち、抗えば天へ辿り着く事もある。今も何かが救ってくれると信じて抗う者たちがいる。諦めた者から消えていく。お前は、その誰かが待つ場所を見つけて光を与えればいい。たとえ遅かったと詰られても気になどするな。遅かろうが早かろうが、見て見ぬふりをするよりずっと良い」
決して平凡とは言えない人生を送って来たクラヴィスには、フィーリアはまだまだ幼く映る。これから成長していく娘が、俯いてばかりでは面白くない。ささやかな先達としてのアドバイスを送った。
「ボク、もっと強くなりたいです。調査団の一員としても、一人の人間としても。体も心も、今よりずっとずっと強く。そして正しい人間でありたい」
「なれるとも。保証はしないが」
荷物から葉巻を取り出して吸う準備を始める。
「戦って得られるとは限らないが、戦わずして得られるものはひとつもない。お前が願うのなら、その願いにむかって邁進する事だな」
吸い口がぱちんと切り落とされた。
「そうやって不要なものが削ぎ落とされ、仕上がっていくのが人間だ。アルボスに着くまで時間があるから、休憩のときに少し鍛えてやろう」




