第44話「小さな希望」
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時は過ぎ、もう期限の一年まで、あと一ヶ月もない。フィーリアは想像よりずっと元気だったが次第に体力が落ち始めて、残り二週間となった頃、もう立つ事さえ難しくなっていた。ベッドに横たわり、いつも疲れた顔をして、あれこれと侍女に交じって世話を焼くクラヴィスを見て笑った。
「いいのに、ボクばっかり。忙しいでしょ?」
「お前といる以上に大事な用なんかないさ」
優しく手を握ると、やせ細った指が頼りなく握り返してきた。
ルヴィからの連絡はまだない。一年の間に、国は大きく変化した。モノマキア大陸からアドワーズ皇国の使節団がやってきた事が始まりだ。
「驚いたね。マーテル大陸にたくさんの魔族がやってくるようになって、今や一大観光都市になっちゃったし、新しい技術も入ってきたから」
「ああ……。良いのか悪いのかは分からんが」
魔法だ、魔力だといまいちピンとこない話ばかりだが、それらを応用した技術のおかげでクレスクント王国は新たな文明を取り入れた先進国となった。魔力浸食症については『直に魔力を取り込むような事をしなければ問題ない』らしく、フィーリアだけが希釈した竜の血によって運悪く罹ってしまった以外、特に誰かが病に伏せたという話は今のところ聞こえてこない。
マーテル大陸は魔力や魔法といったものはおとぎ話か、あるいは大昔の──何千年も前の──オカルトか。そのいずれかでしか捉えられないほど無縁だ。魔族という新たな種がやってきても、それはほとんど変わらない。
ただ、革新的な技術の流入によって生活の質は遥かに向上したと言える。暖炉の火は以前よりずっと薪が燃えやすくなって使い勝手が良くなったし、きれいだった水はさらに美しくなった。嵐が来れば結界が町を守ってくれた。
恐ろしいと同時に素晴らしい存在でもあるのだと、人々は一年もない短い期間で彼らをあっという間に受け入れ、交流も深まっている。
「良かったな、フィーリア。お前の功績だと皆が讃え、感謝している」
「みんなのおかげだよ。ボクはただの看板さ。表向き良く見せるための」
「そんな事はない。クレスクントの女王として、お前は十分に働いた」
「だといいなあ……。ねえ、ボクが死んだらクラヴィスはどうするの?」
尋ねられて、クラヴィスも腕を組んで深く考え込む。
「お前が死んだら……まあ、この王国にいる理由はないな。もちろん、お前との誓いは守る。この国を見捨てたりはしないから、もし戦争が起きるとなったら喜んで力は貸すとも。だが、基本的には旅でもしてるさ」
「ふふ、そーなんだ。お墓の世話まではしたくないって?」
「誰もそんな事は言ってない。もし墓が建ったら定期的に来るよ」
そうならない事が、今のいちばんの願いだ。叶わないとしても。
「今日はいい天気だね。昨日まではひどい雨だったのに」
「夜中のうちに晴れたようだ。散歩でもするか?」
「ハハハ、そんな元気ないかも。ごめんね、最近は寝てばっかりだ」
「気にするなよ。……大丈夫、何か良い解決方法が見つかるから」
「だといいなぁ~。もしもだけど、生きられるなら、その方が良いもんね」
気丈に笑ってはいるが、かなりの疲れが目に見えて分かる。歩かせるのも可哀想なほどでも、彼女はいつだって最善を尽くそうと努力してきた。
ベラトールにも手伝ってもらって、あらゆる薬草を探したが、効果を示すものはひとつもなかった。半年で諦めて、生きられるか、それとも死ぬしかないのかの宣告を待つだけの日々はクラヴィスにはかなりの苦痛だった。
絶え間なく湧いてくる無力感。自分へのいら立ち。目の前で消えそうな命の灯火を見つめている事への悔しさ。これが自分だったら良かったのにと、何度呪ったかさえ分からない。希望はいまだ見えてこなかった。
「失礼しま~す! 元気かしら、お姉様!」
「ん? ソロルか。珍しいな、ジェミニはどうした?」
「今日は買い出しよ。新しく都市に家を買ったでしょう」
モノマキア大陸で竜討伐に貢献したとして、戦った者たちは皆が報酬を得た。その使い道に双子が決めたのは、拠点をオルニットから王都に移して、以前よりも少し大きな宿を経営する事だった。
『小さな英雄たちの経営する宿』と銘打って客を掴もうとジェミニは準備の買い出しをひとりでして、ソロルはクラヴィスたちの様子を見に来た。
「最近元気がなかったでしょう。もう一ヶ月もないもの、私たちだって不安だわ。それはそうと、実は来る途中で伝言を頼まれたの」
「伝言か、悪いな。それで、誰から?」
ソロルはうーんと小指をあごに添えながら。
「アドワーズからの使節だとか言ってたわ。ルヴィお姉様から頼まれて商品の紹介に来たとかなんとか……。とても大きくて奇抜な人だったのよ」
「分かった。じゃあ今頃は謁見の間で待たせているという事か」
「行こうか、クラヴィス。初めて会う人かな」
大きいと言われれば、エスタもクラヴィスより背が大きいが、奇抜と言われると想像がつかない。ひとまずフィーリアの着替えを手伝ってから、車いすに座らせて謁見の間へ向かった。
だが、彼女たちが待たせてしまったと思しき使節の姿が見当たらない。最初から誰も通していないとばかりの、しんと静まり返った空気が広がっている。
「……誰もいないが?」
「おかしいわね。私は確かに会ったのよ」
「お前が嘘を言うとは思っていないが、じゃあどこに────」
ふと、二枚扉から玉座までまっすぐ敷かれた赤い絨毯の上を、とてとて歩いてくる人形に目を奪われた。それは前までやってきて膝をつく。
「わあ、可愛いね。なんだろ、この仕掛け人形?」
「わからんが触るなよ。爆弾かもしれん」
人形の背中が突然膨れ上がり、ぱんっ、と破裂音を響かせると色とりどりの紙吹雪が宙を舞う。全員が一瞬視線を上に向けた直後、目の前にはクラヴィスよりも倍ほどありそうな巨躯を持つ道化師が現れた。
「初めまして、皆々様方! アドワーズ皇国からの使節としてまいりました、ゴグマ・ファリと申しますゥ。あ、この格好は趣味ですのでご容赦を!」
とても高らかな笑い声と共に挨拶をする道化師の姿に黙るしかない。とにかく驚かされて、クラヴィスも無言で目を見開いていた。
ゴグマと名乗る道化師が先端の折れたトンガリ帽を大きな筋張った真っ白な手でつまんで、床にそっと置く。わざとらしく『しィーッ』と指で制止して────パッと帽子を高く持ち上げると、中からルヴィが腰に手を当ててポーズを決めた姿で現れる。ちょっとした余興のように。
「ハーイ、久しぶりね! 元気してた?」
「まあ程々にな。それで、今日は……」
「ええ、前に話してた医者っぽい奴を連れてきたわ」
「患者より客席の反応を気にしてそうな奴だが」
「それでもできんのよ、色々と! とりあえず聞きなさい!」
言われてゴグマは大きな体で一歩前に出て、ぱん、と手を叩く。
「まあ、あれこれと含んだ言い方をしても仕方ないので、率直に言わせていただきますとォ……。すみません、残念ながら根本的な治療法はないようです」




