第11話「自由の象徴」
どんな質問でも答えると言ったかぎり、違えたりはしない。あまりに馬鹿げた問いだと思ったが、仕方なくクラヴィスは答える。
「いないよ。これまでも、これから先も。誰かを愛するなど私には時間の無駄だ。煙草も酒も独りだから自由が利く。分かるだろ?」
誰かと一緒にいれば、先ほどのように止められる事もあるだろう。そんな煩わしい思いなどしてたまるか。クラヴィスが思い返してむすっとした。
「そういうお前こそどうなんだ。調査団に入ったにしても、もう婚約者がいてもおかしくない歳だろう。デビュタントは楽しめたか?」
「いえ、ボクは……。元々、体を動かすのが好きだったので」
少し恥ずかしそうに彼女は笑った。
「誰かを好きになるとか、調査団に入ってからは全然無縁なんです。気になる人はいるんですけど……まだあまり話した事が無くて」
「ほお? いったいどこのどいつだ、気になるじゃないか」
聞き耳を立てていたベラトールまで振り返って「それは私も気になるところですね」と興味の視線を投げかけた。言うべきじゃなかったかも、とフィーリアはもにょもにょと小さな声で「だ、団長です」と絞り出すように答えた。
誰よりも強く、キレ者で、仲間からの厚い信頼がある。副団長に選んでくれたからだけではない。心から尊敬できる相手だと語った。
「初々しいな……。なあ、ベラトール。お前は結婚したときこんな感じだったか?」
「御冗談を。私は大して何も感じませんでしたよ」
二人の会話にフィーリアが目が飛び出そうなほど驚いた。
「えっ、ベラトールさんって結婚してるんですか!?」
「申し込まれたので、受けたまでです。もう別れましたが」
「そうなんですか……。どうして別れたんですか?」
ぐいぐい来る小娘だな、とベラトールは内心に思いつつも。
「死別です。とはいえ私がこの手で殺したのですが」
「うわぁ……いきなり話が危ない方向へ全力疾走した……」
「いえ、相手が暗殺者だったので」
「否定する要素ありました? でも、暗殺者って……」
自分でさえ差し向けられたのだから他の誰かが狙われる事があっても不思議ではないのだが、それでもフィーリアには未だに信じられなかった。
「コイツも元々は暗殺者としてよく出来た男だったんだ」
いつの間にか目を離した隙に葉巻を吸っているのに気付いてフィーリアが注意しようとしたが、彼女の話が気になって言葉を喉の奥に留めた。
「元々は貴族に雇われる腕利きでね。手段を問わずあらゆる殺し方で────私の命を狙ったのが最後の仕事だったな」
懐かしむように、仄かにベラトールの口角があがる。
「あれは傑作でしたよ、王女殿下。毒を飲ませ、心臓を貫き、額にもナイフを刺した。なのにクラヴィス様は立ちあがって、私にこう言ったのです」
続けざまに彼女が再現するように言葉を口にする。
「────『命が惜しくないなら薄汚い貴族よりも私に忠を尽くせ』。今思えばクサい誘い文句だが、あのときのお前は実に嬉しそうだった」
「おそらく人生で最も微笑んだ瞬間でしょう」
暗い部屋の中。ぶどう酒を嗜むクラヴィス相手に毒を盛り、闇討ちを仕掛け、何をしても死ぬ様子のない人間を初めて見た。それまで白黒だったベラトールの人生が大きく動き出した瞬間だった。
「私の人生は大きく歪み、大きく狂い、正しく定まった。その証がこれです、王女殿下。だからこそ私は彼女を閣下と呼ぶのです」
ずっと首から提げていたのか、司祭服の如き黒い服の中からするりと引っ張り出したのは紋章だ。杖に跨る魔女が刻まれている。
「……クラヴィスの帽子にもありますけど、それは?」
同じデザインなのが気になって尋ねる。クラヴィスは帽子を脱いで、ひょいっとフィーリアの足下に投げてみせた。
「大陸では魔女は自由の象徴だろう? 箒に跨って空を駆けまわり、人ならざる力を以て旅をする。子供のおとぎ話だと馬鹿にしていたが、今の私にはぴったりだ。そしてこれは絶対的な証として何人かが持っている」
「絶対的な証……ですか?」
どういう意味なのか。彼女は答えなかったが────。
「いつか全員に合わせてやろう。お前が最後まで生きてたらな」
「へへっ……楽しみです。そのためには生き抜かないとですね!」
「良い返事だな。さあ、良い子はそろそろ寝る時間だ」
毛布を渡されてフィーリアはまだ話していたい気持ちを抑えて「は~い」と緩い返事をして包まり、目を瞑った。寝つきが良いのか、車輪の転がる音を子守唄代わりに、すぅすぅと穏やかな寝息を立て始める。
「可哀想な方ですね。王族でさえなければ平和に生きられたものを」
「情をやるなよ。可愛がるのは勝手だが最後まで飼うわけじゃないんだ」
「犬や猫みたいな事を仰います。ですが、私よりも気に入られた方が」
「……フッ、違いない。こうも純粋なものを見ていると羨ましくなるよ」
揺れる馬車の中を立ちあがり、御者台へ寄っていく。咥えていた葉巻を指でくるりと逆さに持てば、ベラトールに差し出して微笑む。
「たまには吸ったらどうだ、昔を思い出せるぞ」
「殺した女の臭いをですか」
「それもまた悪くない。気分が良くなる」
差し出された葉巻を咥え、煙を深く、ゆっくり吸い込む。口の中にしっかり溜めてから、咥えたまま吐く。
「────あぁ、確かに悪くないものですね」
「だろ。私たちみたいにくすんだ人間には丁度いい」




