不毛
打ち捨てられた砦跡。
崩れた外壁や亀裂が幾つも入った通路の部分は、苔や蔦で覆われており、殆ど自然と一体化したような見た目だが、辛うじてそれが人工物だったのだと窺える。
風化の形跡を見て作られてから優に数百年は経っており、考古学者の話では、ガーデインが成立するずっと昔に存在していた文明の忘れ形見だと言う。
これとは別に発見された、人の住んでいたであろう集落跡。
この砦よりも、もっとずっと形跡がなくなるまで破壊されており、痕跡のみしか残ってはいないが、この天然の要塞とも言える大森林の中で確実に人の文化が根ざしていたと言う。
その集落では、魔物との共生を可能にしていた。この砦は、大森林に棲息する外敵に対してではなく、この森林へと攻め込む同じ人類に対して築かれたものだという説もあるが、定かでは無い。
結局、歴史なんて人の願望の産物でしかない。という、冒険者でありながらやけに博識だった友人の言葉を思い出しながら、リディアはその遺跡の中へ足を踏み入れる。
「こりゃ、酷い有様だ」
辺りに溜まっている、咽せ返すほどの死の臭い。ここまで濃密なのは戦場以来だと、リディアは一人吐き気を催すとばかりに苦々しい顔を浮かべる。
それは彼女が、忘れたくても忘れられない記憶の一つだった。
その臭いに反して、白骨化した死体の一つもないことから察するにおそらく食物連鎖に組み込まれりでもしたのだろうと、誰に似たのかどうでも良いところに考えを巡らせる。
共生なんて話馬鹿らしくなってくると感じ、勝手に感傷に浸るぐらいには、今日の彼女の様子は端的に言って変だった。
「ま、死に場所としては相応しいか。あんたもそう思うだろ」
細やかな月明かりだけが、静かに辺りを照らしている。そんな神秘的な場所で、とても似つかわしく無い内容の同意を求める。
当然、答えは返ってこない。が、それこそが答えだとばかりに、リディアは絶えず会話らしきものを続ける。
「事情は知らないよ。そもそもあんたが私に固執してる理由も、心当たりすら無いんだから。ただ、こっちにも事情ってものがあんのさ。そこら辺、色々察してくれると助かるんだけどねー」
『スカルド』に例えられるほど、脳筋で喧嘩っ早いリディアにしては、珍しいほどに消極的な提案。
その弱々しい声音から、戦闘を望んでいないのが窺える。
が、相手も相手で、その日は珍しいぐらいに好戦的だった。
「………やっぱり、闘うしか無いのかい?」
「ああ、仕方がないな」
スラリと、影から浮き上がるようにして現れた細身の男は、他に選択肢はないとばかりにリディアの問いに即答した。
どちらにとっても利がない闘い。無駄に傷つけるだけで、お互いに無意味な時間だと感じている。
だが、引かない。どちらも武器を構え、臨戦の態勢を取る。
双方譲れない目的が、何より冒険者としての矜持がそうさせた。
真四角の形になるように築かれた外壁に、堅牢な門扉が取り付けられた、遥か昔よりよく見られた形の砦の内部で。
あろうことか、リディアはステイルに背を向ける。
が、その隙をステイルが突かないところを見る限り、余裕からの行動、舐めプでないことは察せれた。
リディアはそのまま、懐から取り出した白銀貨を空中へと、高く高く指で弾き飛ばす。
目が飛び出るほどの金額で行われたコイントス。弾かれたコインは最高到達点まで勢いよく到達すると、後は重力に従ってヒュルヒュルと落ちていく。
そして、視認できる高さまで降下したところで、ステイルは番えていた弓矢でそのコインを貫き落とした。
勿体無い、と感じる間もなくリディアが先に動く。
この狭い場所に弓矢という不向きな武器を持って来た相手を咎めるように、容赦なく鞭をしならせて、振り返りざまにステイルのいた場所の地面を陥没させる勢いで抉る。
その間、わずか数秒。決闘のルールである離された15メートルの距離を、一瞬でゼロにする掟破りの一撃。
が、そこに既にステイルの姿はない。その不可避の一撃を綺麗に避けた上で、更に視界からも消えてみせた。
が、慌てた様子はなくリディアは即座にその場を移動する。その判断が正しかったとばかりに、どこからともなく飛んできた弓矢が元いた地面へと突き刺さり、あろうことか爆発してみせる。
その殺意の高い一撃は、突き刺さった周辺の地面を焦土と化し、その威力の高さを窺い知れた。
物質に魔力を刻んで間接的に魔法を発動させる、魔力印と呼ばれる高等技術。
学園で習う課程の中でもかなり高度なところに位置しており、扱える冒険者は全体を通しても、片手で足りてしまう。
そもそも冒険者の殆どが無学であり、学園でこの課程を修了した者も冒険者なぞには就くはずがなく、大多数が宮廷召し抱えの魔導師と呼ばれる職に就くためだった。
刻んだ魔力はものの数秒で発動してしまうので、戦闘の最中にリアルタイムで魔力印を刻む必要があり、使い勝手の悪い面もある。
が、それを使いこなしでもしたら。
攻撃を大袈裟に避けながら、リディアは魔力印の厄介さを改めて痛感する。爆発の範囲を予想できず、攻撃の余波を浴びた跡が、幾つもできていた。
自然と荒くなる呼吸。予想以上にスタミナを消費している。だか、それも仕方ない。
ただ飛んでくる弓矢を避けるだけでなく、どれほど避ければ良いのかの択を常に迫られ続けている状況。非常に広い範囲に爆炎を散らすものもあれば、なんなら爆発しないものも混ぜられた攻撃。
弓矢を察知し回避しながら、その択の正解を選び続けることへのストレスは、想像だに難くない。
何より、未だ相手の姿を捉えられていないことに苛立ちがつのる。
勿論、弓矢を放つタイミングでは姿を現す。だが、その弓矢の爆風に気を取られ目を逸らすとまたすぐにいなくなる。その繰り返しにリディアは深くため息を吐いた。
「分かってはいたけど、ここまで面倒くさいなんてね……」
身体能力では確実にリディアが上をとっている。だが、幽鬼のように神出鬼没なステイルに対しては、そんな数値無意味でしかない。
いくら距離を詰めようと、嘲笑うみたいに消えていく。そしてその直後、背後から弓矢が飛んでくるのだから笑えない。
この狭い空間で更に弓なんて武器でよくそんな立ち回りができる、と勝負の最中、素直に感心さえしてしまう。
しかし同時に、無駄な労力だとリディアは感じていた。
立ち止まっているリディアに対して、今度は三方向から弓矢が迫ると言う奇天烈な攻撃が仕掛けられる。
弓矢を同時に放つことはさほど難易度の高いことではない。なんなら、弓師の初級の技能とさえ言えた。
しかし、これに魔力印が加わるとなると、途端に凶悪な技に化けてしまう。爆破による範囲攻撃、このタイミングではどこへ避けようとも被弾は避けられないように見えた。
しかし、リディアは動じない。なんてことはないように、三方向から飛んでくる弓矢それぞれに、魔力を送り込んだ。
全て、着弾することもなく空中で爆発四散するのを見て、リディアは自分の考えの正しさを知る。
花火玉のように芸術的なまでに爆破の大きさを調整された魔力印。だからこそ、些細なズレでそれは機能しなくなる。
無理矢理魔力を送り込むなんて、もってのほかだった。
ハッキリ言って、リディアの読み通り、魔力印最大の弱点にして欠陥はその脆弱性だった。
だが、実質的にその弱点はあってないようなものだった。
飛んでくる物体に魔力を送り込むなんて芸当、そもそもできる奴の方が少ない。
魔力とは、目に見えない概念の産物でしかない。自分の中にあるそれを自由に動かすことさえ精一杯。
机の上に置かれている物に直接手を触れて魔力を送り込む、程度のことさえ才能の差がハッキリ出る。
それを、空中を飛来してくる、弓矢ほどの小さい的に、三方向同時で、となると天才の域を超えてくる。
今のリディアの動きで、ステイルは主な攻撃手段の一つの価値を大幅に失ってしまった。しかし、それを誰が責められようか。
冒険者にして魔力印を手足のように扱うステイルという天才にとって不幸だったのは、自分以上の天才を相手にしてしまったことだ。
「はー……やっと姿を見せたね。諦めてくれたのかい?」
「まさか。ただちょっと、驚いただけだ」
ただ、その不幸を前にしてステイルは未だ余裕の笑みを浮かべる。
それに呼応するように、リディアも笑みを見せた。
死級冒険者という、最高到達点同士の闘いは終わりを見せない。その闘志が、オーラが、余波となって森全体を動かすようだった。




