6.将軍の友人
でもよお、とユーシーは続ける。
「今年は難を逃れても、来年も再来年も、一生そいつに嘘ついて誤魔化して生活していくのか? さすがにそれは無理じゃねえか? 嬢ちゃんは嘘が得意なほうの人間でもなさそうだし」
『余計なお世話ね』
「とにかく、話してみることだな。色恋の問題は話し合えばどうにかなることも多いんだよ。……ならねえこともあるが」
最後のひとことに、ぐっさり刺されたような気分になった。ユーシーがどれくらい生きたのか知らないが、その人生では別れもたくさん見ただろう。ユーシー自身も何か経験したのかもしれない。
『……ユーシーは? 結婚とかしなかったの?』
「そういうモンとは縁がなかったな。家もなかったし」
『家もなかったの!? どこで寝るのよ!』
「そのへんの草むらで。言っておくが、別にオレが珍しいわけじゃねえぞ。家も家族もねえ奴のほうが戦いには向いてるんだよ。護るものが少ないと楽だ」
私の想像の何倍も、ユーシーは大変な時代を生きていたらしい。
戦場が日常で、草を寝台にして寝る生活なんて心も身体も休まらないだろう。ユーシーの国の現在が、そんな横暴なままでないことだけを祈る。
「どっちが恵まれてるかは知らねえが、豊かなのは圧倒的に嬢の国だろうな。時代が進んだっつうのもあるし。こんなふかふかの寝台で寝られて、お世話されて暮らせるなんて……死んでもいいなァ」
『死んでるでしょ』
「うるっせえ。今日だけ生きてんだよ」
そう言って、ユーシーはふんと口端を上げた。悪戯っぽい笑みだ。ユーシーは生前どんな顔だったのだろう、とぼんやり考える。豪胆な顔をしていそうだ。
間違えても、カイのような優しげな顔つきではないはずだと考えて、自分の思考を笑いたくなった。
ああ、私はカイが恋しいんだ。どうして私はこんな状態で、ユーシーなんかと二人でいるのだろう。
しばらく黙っていると思えば、ユーシーは静かに目を閉じていた。寝てはなさそうだが、やはり身体がだるいみたいだ。枕元に置いてあった木刀をなぜか抱きしめて寝転んでいる。
朝が訪れて、離れの中もばたばたと騒がしくなり出した。
ここは、私の寝台が置いてある大広間と、調理場とお風呂場、それと空き部屋が二部屋のみなので、使用人の働く足音が聞こえやすい。だからなのか、私はこの家をずいぶん気に入っていた。
もし、もしもカイに婚約を破棄されて一生独身だと決定したら、ここにひっそりと一人で住んで、兄の仕事の手伝いでもしようかと考えているくらいだ。
ユーシーはのろのろと起き上がって、軽い運動を始めた。
この大広間はユーシーが暴れるための部屋でもあるので、運動のしやすいように作ってある。できる限りこの部屋の面積を広く取って、天井は高く、床には滑りにくい素材を使って、絨毯は敷かずに剥き出しのままだ。
木刀は長いものと短いものが何本かずつ壁に立てかけられていて、花瓶や骨董品、美術作品など割れやすいものは一切置いていない。寝台も屋敷にあるような天蓋つきのものではなく、至って簡素なものだ。
ユーシーは木刀を振り回し始めた。
不思議なもので、私が振った時には何の音も鳴らないが、ユーシーが振るとぶおんぶおんと凄まじい音がする。それに、動きがとても速い。当たったら確実に痛いだろう。
同じ肉体なのに、力の使い方がまるで違うらしい。
「嬢、明日は全身をよく揉んでもらえよ」
『ええ。思う存分暴れてちょうだい』
誕生日の次の日に、節々が痛くなることには慣れた。明日はマッサージ師を家に呼んである。ユーシーは年々身体の使い方への理解を深めているようで、身体の痛みも強くなってきている。
「おい、この無駄な胸はなんなんだ? 贅肉だろ。削げねえのか」
『削いだらだめに決まってるでしょう!? それにそこまで大きいってほどでもないわ、ふつうよフツー!!』
激しく動くと揺れるのが気になるらしい。貴族社会では、そういう部分の豊満さも多少求められるので仕方ないだろう。
コルセットをつける? と訊くと、それはそれで窮屈なのがいやなのだそうで、ユーシーは首を振る。
仕方ないと言わんばかりに、ユーシーはそのままの格好で素振りを再開させた。シャツとズボンという淑女らしくない服装で、ぶんぶんと思いのままに木刀を振り続けるユーシーを眺めていると、扉をこんこんと叩く音が響く。
ユーシーが扉を開くと、家政婦が頭を下げて待っていた。
「おじょ、」
「……くそ、女か」
頭を上げた家政婦は、木刀を持ってえらそうに立つ〝私〟を見て言葉を止めた。ユーシーは〝勝負〟を仕掛けようと思ったのに相手が女性だったことが残念だったようだ。
しかしここで勤めて長い家政婦は、すぐに意識を取り戻す。
「……ではなかったのでしたね。ユーシー、ジェイコブが来ましたよ。入れてもよろしいですか?」
「おっ、来たか! 早く呼んでくれ」
この離れに呼ばれている人間は、この日の〝私〟が私ではなく、ユーシーであることもじゅうぶんに認識している。誰をここに連れてくるのかは両親が面接などをして決めており、書面上で「このことは内緒にするように」と契約を結ぶ。血判も求められるそうだ。
この契約に違反をして誰かに口外した場合は退職、そして多額の罰金を背負わされるらしい。本当かどうかは怖くて聞いたことがないが、そういう噂がある。
ジェイコブも血判を求められたうちの一人らしい。彼の祖父は私の家の庭師をしていて、ユーシーが五歳のときに〝勝負〟をした相手である。
その孫である現在十四歳のジェイコブは騎士を目指しているそうで、四年ほど前からユーシーと手合わせの稽古をするためにこの離れにやってきている。
ジェイコブは平民なので剣術を行う人が周りに少なく、ユーシーは絶好の練習相手なんだそうだ。
しばらくすると、ジェイコブが扉からひょこっと顔を出した。
「ユーシー! 久しぶり」
「よお。ちょうど一年ぶりだな。元気だったか」
「一回も風邪ひかなかったよ! すげえだろ!」
ジェイコブとユーシーの微笑ましいやり取りを後ろから見つめる。四年前は〝私〟よりも身長が小さかったジェイコブだったが、今はほとんど同じくらいだ。だからユーシーがわしゃわしゃとジェイコブの頭を撫でるのもいまいち様になっていない。
少しおしゃべりをしてから、ユーシーとジェイコブは木刀での稽古を始めた。ジェイコブは必死に打ち込んでいるが、ユーシーは余裕綽綽といった様子で受け止めたり、流したりしている。
しばらく打ち合って、今度は休憩がてら反省会だ。毎年見ている流れで、二人は毎年これを一日中やっている。飽きないのかと不思議に思うくらいだ。
この二人をどのくらいの時間眺めていただろうか。扉の外からばたばたと走る足音が聞こえてきた。私の家は仮にも侯爵家だから、音を立てる走り方をする人は使用人を含めても居なかったはずだけれど、どうしたのだろうと首を傾げる。