<第09話>
鎌足と軽皇子の工作が身を結び、とうとう宝皇女は動いた。蘇我入鹿に山背皇子討伐を命じたのだ。
蘇我入鹿による山背皇子討伐隊は、思い通りに、いやそれ以上の働きをした。山背皇子だけでなく、上宮家の男子全員を滅ぼしたのである。鎌足が立てた計画では、山背皇子とその嫡男だけを滅ぼすはずだった。
「葛城皇子だそうだ」
軽皇子が言った。
「葛城皇子が姉上に、山背皇子だけでなく上宮家一族はこの先何かと目障りとなろう、今のうちに災いの芽は摘んでおくべきだと進言したらしい」
確かに皇統をこちら側ひとつにまとめるためには正しいことかもしれない。ただ、それをしたら逆に反発を招くと、鎌足は危惧していた。
「葛城皇子が……」
将軍は巨勢臣徳太だった。豪族は常に次の天皇のことを考えている。どの皇子につくべきか、情勢を見ている。どうやら巨勢臣は次世代の天皇は葛城皇子だと見ているようだ。
それから間もない夕、鎌足は南淵請安の庵を訪ねた。残照に照らされる部屋の薄明かりの下、請安は書物を読んでいた。
「このような時間に珍しいな」
請安は何かを感じ、他の弟子たちを遠ざけた。
「請安先生は大陸の国での王位争いを見てこられたのですね」
「うむ。俺が渡って十年足らずで隋が滅びたからな」
「以前おっしゃっていた太子以外の王子を全員滅ぼす話ですが」
「面白いな。先日も葛城皇子が同じことを訊きに来た。大陸では王の妃や妾が自分の子を王位につけるためにどんなことでもすると話したら、詳しく聞きたがった」
「葛城皇子」
鎌足の不安が現実となった。
「上宮家の男子が皆滅ぼされたと聞いて、ああ、葛城皇子がやったなと思った」
「やはりそうですか」
「王子だけではない。大陸の国では、王が絶対権力を持つために、力を持ちすぎた家臣は殺される。この国のように権力を持った家臣をのさばらせておくとやがて国を乗っ取られる。そういった話をしたら、葛城皇子は憤慨しておった。なぜ日本では許されるのかと。なぜ大臣は殺されないのかと」
「……」
「葛城皇子、あの男は危うい。鎌子連なら理性的に考え計算して行動できるが、皇子は感情に支配される」
「私も気になっております。……請安先生は百済の王子豊璋様のことをご存知ですか」
「会ったことはないが噂には聞いている。葛城皇子はだいぶ豊璋とやらに肩入れしている様子だな。自分と立場が似ているとかなんとか」
「……」
「俺は百済の人間を心から信じてはならないと思っている。葛城皇子は貴公ほど賢くないし、未熟だ。おかしな思想に感化されるかもしれぬ。貴公、葛城皇子を気にしておいたほうがいいかもしれぬ。なんだか危うく見えるがな」
請安も鎌足と同じ心配を抱えていた。
「これで我が息子、葛城皇子が一歩、天皇に近付いたのね」
宝皇女は言った。もし今後、皇太子古人皇子に何かあった場合、葛城皇子が皇太子になるのは間違いない。
「そうそう、あの者にも褒美をあげよう。神祇伯。それでいいかしら」
しかし、鎌足は「私のような若輩者がそのような職に就くのは恐れ多い」と神祇伯を辞退した。
「神祇伯になど就いてしまえば大臣になれないではないか」
鎌足は本気で大臣になるつもりだった。
その直後、鎌足と軽皇子は病と称して鎌足の別荘に籠り、次の作戦を練った。