<第06話>
六日後に葛城皇子が請安塾に行くと、鎌足は請安に代わって講義をしていた。
葛城皇子には鎌足の講義の内容が半分も理解できなかったが、ただ、鎌足は多くを知っているし、とてつもなく賢いと感じた。
講義が終わり、皆が帰り支度をしている中、葛城皇子は最初に席を立ち足早に部屋を出て行った。
片付けを済ませた鎌足が、六日前に葛城皇子と話した石の場所に行くと、皇子が座っていた。
「そなたはいつもあのように皆に教えているのか」
葛城皇子は鎌足の講義に圧倒された自分を悟られぬよう、高飛車に言った。
「いいえ、今日は請安先生が体調がよろしくなく、急遽代役を買って出たのです」
「人に教えられるほどなのか。そなたほどの切れ者なら自分が王になったほうが早いだろうに」
葛城皇子は皮肉を込めて言った。
「確かに私には人より優れた知力があると思っています」
葛城皇子が口元を歪めた。鎌足は気にせず続けた。
「ですが、行動力がなく人徳もありません。どんなに優れたことを考えていても、それを行動に移さなければ何も考えていないに等しい、それが私の欠点だと思いながらも、なかなか克服できません。ですから、行動力と人徳のある御方に軍師としてお仕えすることにしたのです」
「行動力と人徳のある……それが叔父上だというのか」
「葛城皇子でもあります。正統な天皇家の皇子であらせられるお二人には、ここぞと言う時の決断力がおありになる。今後大いに役に立ちましょう」
葛城皇子は鎌足をまだ疑いながらも、自分の欠点も正直に話す鎌足に好感を抱きつつあった。
旻法師をして「鎌足臣は自分が教えた生徒の中で最も優れていた。それは蘇我入鹿よりも」と言わしめるほどの頭脳。葛城皇子は鎌足と話すほどに、莫大な知識量、明晰な思考に感服した。鎌足ならなんでも可能なのではないかと思った。実際に、軽皇子が天皇候補になるなど数年前までは誰も思いもしなかった。それが今では次に天皇になってもおかしくないと思われている。
「そうだ、そなた、山背皇子を知っているか」
「ええ、斑鳩の上宮大兄様のことですね」
「近頃、母上の宮で山背皇子が良からぬ企みを持っていると聞いた。そなたの耳には入っているか」
「いいえ、そのようなことは」
鎌足は空とぼけて言った。
「叔父上に訊いたら、山背皇子は入鹿臣の、まるで王か何かのような振る舞いに腹を立てているとか。だからご自身が天皇となって入鹿臣の横暴をやめさせたいと言っているとか」
「ほお」
「入鹿臣を押さえつけられるのだったら山背皇子が立っても良いと思わぬか。叔父上は嫌な顔をなさったけれど」
「私は、山背皇子が立っても今と変わらないと思います。山背皇子が今まで天皇になれなかったのはなぜか、お解りになりますか」
「うむ、いや」
「蘇我大臣が認めなかったからです。ご存知の通り、今は蘇我大臣が認めなければ天皇になれない時代です。つまり、山背皇子が天皇になるには蘇我大臣の後押しが必要なのです」
「ということは……」
葛城皇子は言葉を途切らせた。
自分の父親が即位以来ずっと大臣に頭が上がらなかったことが思い起こされ、葛城皇子は嫌な気持ちになった。
「つまりは誰が天皇になっても大臣の影響力は強いまま。大臣をどうにかしない限りは何も変わらないのです」
「大臣をどうにかしないと、か」
「山背皇子には無理でしょう。いいえ、他の誰もできますまい」
足下の石に座る鎌足は、真っ直ぐに皇子の顔を見上げ言った。
「皇子はいかがなさいます」
「我は……」
葛城皇子は、このまま大臣の世を看過するのかと問われている気がした。
「我は世を変えたい」
鎌足はにやりとした。