<第04話>
葛城皇子と親しくなる前に、舒明十三年(西暦六百四十一年)十月九日、天皇が薨去した。予想より少し早かったが、とうとう鎌足が待っていた日が訪れたのだ。
蘇我毛人大臣の屋敷で開かれた皇位を決める会議では、古人皇子はまだ若すぎるため、山背皇子を立てる案が浮上した。これは鎌足の予想通りである。
それに対し、鎌足は軽皇子に策を授けた。
まず姉の宝皇女に、天皇になるよう、説得を指示した。宝皇女は乗り気ではなかったようだが「全ては姉上のこの先の生活の安泰と、葛城皇子のためである」と軽皇子はなんとか説き伏せた。
次に、軽皇子は妃の阿倍小足媛に話をする。小足媛の父親は、蘇我毛人大臣の右腕、阿倍倉梯麻呂である。倉梯麻呂は毛人の妻の兄でもあり、政策には毛人と倉梯麻呂ふたりの意向が強く反映されていた。
小足媛から父親に「皇后を中継ぎの天皇として立てたらいい」と伝えさせるのだ。小足媛は軽皇子の長男、有間皇子を産んでいる。そもそも倉梯麻呂も、皇后となった宝皇女の実弟である軽皇子に、何らかの期待をしていたから娘を嫁がせたのだ。宝皇女が天皇になれば、軽皇子、その妃の小足媛と有間皇子の将来が期待できるものとなり、阿倍氏の立場もさらに良くなる。必ずこの話に乗ってこよう。
そうして倉梯麻呂の働きかけもあって、皇后宝皇女が中継ぎの天皇として即位することが決まった。皇太子には当初の予定通り古人皇子を立て、五年後に譲位する約束となった。
「で、次は何をやるのじゃ」
晴れて天皇の弟の身分となった軽皇子は浮かれていた。それまでの人生、自分が天皇になるなど思いもしなかった軽皇子だが、今ではすっかりその気になっていた。
「早いところ、姉上に譲位してもらおうぞ」
「まだ機が熟しておりません。今そのような動きをしたら、逆に大臣にこちらが滅ぼされてしまいます」
「ならどうするのじゃ。このままなら古人大兄が天皇になってしまうぞ。そうだ、いっそ古人大兄を暗殺してしまうのはどうだ」
この皇子は軽率すぎる。やはり計画を全て打ち明けるべきではない、ひとつひとつ進めていこう。
そう鎌足は思った。
「今、古人大兄がいなくなっても、まだ山背大兄がおられます」
「山背皇子はもうないだろう。そのために姉上が天皇になったんじゃないのか」
「大臣にとって、身内の古人大兄を天皇にするのが一番です。しかしもしその前に古人大兄に何かがあったら、次には軽皇子よりも、大臣と血縁関係にある山背大兄を選ぶでしょう。ですから、今、古人大兄を滅ぼすのは得策ではないのです」
「ならば、山背皇子を先にやっつけよう」
「え」
鎌足は驚いたふりをした。この答えを誘導したのだ。
「山背皇子を滅ぼせばいいのだ。何か方法はないか、鎌子」
軽皇子はさらっと言った。
「鎌子、山背皇子を滅ぼす策を考えよ」
軽皇子は時として残酷だ。彼には親しい人間にはとことん親切だが、そうでない人間を何とも思わない節があると、鎌足はこれまでの交際で感じていた。
「……では、蘇我入鹿臣を利用しましょう」
鎌足は考えていた計画を一歩進めることにした。
「天皇に、山背大兄が次の皇位を狙っていると讒言するのです。そして謀反の罪を着せ、入鹿臣に討伐させるのです」
「入鹿臣にか」
「ええ、入鹿臣にです」
鎌足と軽皇子は人を使って、諸所から宝皇女に「上宮大兄皇子が二心を抱いている」と言う話を吹き込んだ。自分の息子に後を継がせたい宝皇女が、軽皇子と同様に上宮家に対して危機感を抱いていることは承知の上である。自分の夫が即位した時の、山背大兄皇子との皇位争いを忘れてはいない。彼女の不安を煽り、蘇我入鹿に山背皇子を処罰する命令を出すよう誘導する策だ。
その一方で、鎌足はその先の作戦についても進めていた。