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<第02話>

 舒明天皇の世、若い中臣鎌足は野心家だった。

 鎌足は古くから神道祭祀を司る中臣氏の出身だった。神祇伯にあった中臣御食子の嫡男としての教育を受けて育ち、幼い頃から秀才と名高かった鎌足。将来が楽しみだと言われ続け、自身もそう思っていた。

 しかし、大人になると事情は違っていた。父親の御食子が死んだ後、鎌足は中臣家を継いだが、一族の中でもまだ若かったこともあり、神祇伯には叔父の中臣国子が就いた。

 世の中は家柄と年齢が全てであった。どんなに能力があってもどんなに頑張っても、中級貴族の中臣氏である限り神祇伯以上にはなれないし、年長の叔父たちより先に出世できない。鎌足は、大臣はおろか政治の枢要な地位に就くことも不可能なのだった。

 無能な大臣蘇我毛人や凡庸な豪族がこの国の政治を仕切っていることが、鎌足は我慢ならなかった。そして自分が、その無能な者たちに、対等に意見を言うことすら許されない状況が口惜しかった。いつか絶対のし上がる、そう思っていた。

 豪族が権力を手に入れるには、天皇の近侍になり、天皇の岳父になることが一番手っ取り早い。蘇我氏もそうやって大臣の地位を手に入れた。それに倣えばいい。

 そうして鎌足は出世するための計画を立て、皇子たちに近付いた。

 まず近付いたのが、皇后宝皇女の実弟、軽皇子である。宝皇女が皇后に立てられた祝いに、実弟である軽皇子の宮を訪問した。

 鎌足は、人心の掌握術に長けていた。鎌足は軽皇子より十六歳も年下だったが、幼い頃から宮に籠もりがちで人付き合いの苦手な軽皇子が、人懐こい鎌足に心を開くまで、さほど時間は掛からなかった。軽皇子の宮ですごろくや囲碁で遊び、一緒に歌を詠み、楽しむようになった。鎌足を全面的に信頼する皇子に対し、鎌足もその気持ちに応えようと思った。軽皇子が結婚し、息子が生まれた時も、鎌足は自分のことのように喜び祝福した。親子ほどの年齢差ではあるけれど、軽皇子にとって鎌足は初めての友と言える存在となった。


 軽皇子と親しくなった鎌足は頻繁に宮へ呼ばれるようになり、宿直もするようになった。

 ある冬の夕べ、軽皇子の宮には、中臣鎌足が夕餉に招かれていた。雪見酒を楽しもうという趣旨だった。

 鎌足は、軽皇子の様子がいつもと違った風に感じた。酒も進まず、鎌足の話も聞こえていないようだった。

 やがて、軽皇子は耐えられなくなったように言った。

「その、そなたは、我が天皇になれると思うか」

 鎌足は心の中でニヤリとした。

 先日、宮を訪ねた時に、鎌足は軽皇子の舎人に、ここだけの話だが、とこっそり言った。「軽皇子は本当に博識でいらっしゃる。次の天皇に皇子がなってくだされば、国はもっと発展するだろう。皇子が望むなら他の豪族たちに勧めたいところだが、皇子はそのようなことを望んでいなければあきらめよう」と。その言葉を舎人から伝え聞いたらしい。

 鎌足は素知らぬ顔をして言った。

「はい。皇子は正当な天皇家の御生れで、何より聡明でいらっしゃいます。皇子にそのお気持ちがあるのなら、皆も是非、天皇としてお迎えすることでしょう」

「そうか、ふぁ、ふぁ」

 軽皇子は相好を崩して盃をあけた。

「ただ……」

 軽皇子は手を止めた。

「二、三、問題がありまする」

 皇子の笑顔が消えた。

「なんじゃ、その問題とは」

「ひとつは蘇我大臣をどう説得するかです。大臣はいずれ古人大兄を天皇にするおつもりです。しかし、古人大兄はまだお若く、もし古人大兄が適齢になる前に天皇のお体に何かあれば、それまでの中継ぎと言う形でなら何とかなりましょう」

「ふむ、で、他の問題は」

「もうひとつの問題は、山背大兄皇子のことにございます」

「山背大兄皇子?」

 軽皇子はピンときていないようだった。

 元々、他の皇族との交わりも少なく、人間関係に疎い皇子、山背皇子の現状もよく知らなかった。

「亡き上宮太子の大兄皇子で、今上天皇と皇位を争いました。今でも上宮太子を慕い山背大兄を推す豪族は少なくありません。軽皇子と同様、山背大兄もその気になったら天皇になり得るということです」

「……」

 軽皇子は、言葉を失って青ざめた。

 本当にこの皇子はわかりやすい、と鎌足は思った。

「もし皇子が本気で天皇になりたいとお考えならば」

 鎌足は、皇子に顔を寄せた。

「策を立てる必要がありまする。何卒、この鎌足にご命令くださいませ」

 そう言って鎌足は後ろに下がり、両手を床につき頭を下げた。

「皇子が位に就くお手伝いを是非この鎌足めに」

 そのようなことをされ、軽皇子は悪い気がしなかった。

「そなたの気持ち、ありがたく受け取る」

「しかしまあ、今宵は遅い、続きはまた今度として、今宵は休むがよい。宿直の支度が整っておる。そなたの日頃の気遣いを労おうと思う。我がもてなしを受けていっておくれ」

 皇子はそう言って奥へ消えた。

 我がもてなし……?

 何を言っているのか理解できないでいる鎌足を、女官が案内する。

「中臣連はこちらの部屋へ」

 廊下を渡って案内された部屋へ行くと、布団が敷いてあるその横、薄ぼんやりした灯りの中に、薄絹の着物を着た女性が座っていた。

 その姿を見て、鎌足は絶句した。軽皇子の妾の采女である。

「誠に申し訳ありませんが、今宵はやはり自宅へ帰ろうと思います」

 鎌足は接待を辞退しようとした。

 女官が部屋の出口に立ちふさがる。

「皇子のせっかくのお気持ち、受け取れないと申されますか」

「あ、いや」

「私が皇子に叱られます」

 これは腹をくくった方がよいと、鎌足は接待を受けることにした。

 突拍子もなかったが、これが他人との親しい交際に慣れていない軽皇子の親愛の表現であった。

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