<第17話>
鎌足の予感は当たらなかった。
それから二年後、葛城皇子は帰京した。傷ついた姿で。
新羅出兵のため筑紫の港へ向かう途中、天皇宝皇女が薨去したが、葛城皇子はそれでも思い止まることなく皇太子の名で外征を進めた。しかし日本軍は新羅軍の前に大敗を期した。百済王豊璋は高句麗に逃亡し、二度と戻らなかった。
多くの兵を失い、しょげかえって飛鳥に戻った葛城皇子は、鎌足の姿を見ると項垂れた。
「そなたの言うことを聞いていればよかった。我はもう終わりだ」
彼にとって初めての敗北であった。
「そんなことはありませぬ。皇子はまだこれからです。この鎌足がついておりまする。約束したではありませんか。二度と他国に負けぬように国力をつければいいのです。私が皇子をお支えします」
葛城皇子は鎌足の前でむせび泣いた。
その後、葛城皇子は即位の礼を挙げぬまま政を執った。相変わらず間人皇女を妻のように扱っていたからである。
「このような状態では、他国に付け込まれます」
「わかっておる。だが、まずは防衛が大事なのだ」
葛城皇子には、鎌足の言葉に耳を傾ける心の余裕がなくなっていた。敗北の屈辱を忘れるかのように、意固地になっていた。
百済が新羅に滅ぼされると、葛城皇子は筑紫や日本海側に要塞を作った。また、遷都のために宮の建設も始め、多くの人民を工事に駆り出した。民衆の間に不満の声が聞こえた。
鎌足は南淵請安の言葉を思い出した。
「もしお前が国王で、自分の国を滅ぼしたいのなら、大々的に国の制度を改正せよ。それから土木工事を盛んにし、諸外国へ戦に出かければいい。さすれば、民は疲弊し不満が溜まり自然と国は滅ぼされる」
葛城皇子は民衆の反乱を見たいのだろうか。この国を滅ぼさせたいのだろうか。
鎌足はブルッと身震いした。
葛城皇子が何かに追われているかのように要塞作りや宮の建設に力を注いでいる中、間人皇女が病気となり、薨去した。
葛城皇子は気が狂ったように泣き喚いた。
「我はこの世で最も不幸な人間だ。我を愛してくれる人間は皆死んでしまう。我にはもう誰も愛してくれる者はいないのだ」
鎌足はそんな葛城皇子に心底から同情できなかった。
世の中にはもっと不幸な人間はたくさんいる。例えば自分。両親とは早くに死に別れ、叔父たちからは疎まれ、頼れる人間は誰もいなかった。自分自身で人生を切り開くしかなかった。盟友とも言えた軽皇子も石川麻呂も、葛城皇子に命を奪われ、長男は遠い異国に送らざるを得なかった。
鎌足から見れば、皇子は恵まれている。彼を支えようと力になろうとした人間は大勢いた。彼がもっと他人を愛し大切にしていたならば、人生は変わっていただろうに。
その後、間人皇女の喪が明けると、葛城皇子はようやく即位する決意を固め、近江へ遷都した後、天智七年(西暦六百六十八年)近江宮で即位した。
人民は遷都に不満を抱き、その声は鎌足の耳にも届いていた。だが、天皇となった葛城皇子をもう誰も止めることはできなかった。