<第15話>
そうして白雉五年(西暦六百五十四年)十月、軽皇子は孤独のうちに崩御した。
その後には皇太子であった葛城皇子は即位しなかった。宝皇女が自ら重祚を宣言して天皇となり、葛城皇子は再び皇太子の地位に就いた。
葛城皇子は古人皇子の娘である倭姫王と婚姻し、彼女を皇太子妃とした。彼の本意ではなかったが、母親の頼みを受け入れた形だ。
いずれ葛城皇子が天皇になった時には皇族出身の妃を皇后に立てねばならない。蘇我氏のように皇后の外戚が権力を持つことを警戒する葛城皇子にとって、父方の蘇我総本家も母方の上宮家も滅び有力な後見がいない倭姫王は、皇后にうってつけの相手だったのである。
夫婦同然の関係の間人皇女のことは公然の秘密だった。他に天皇にふさわしい皇子がいないのに葛城皇子が即位できないのは、そのことが障害となっているからだった。もし葛城皇子が天皇になろうと思うのならば、前天皇の皇后であった間人皇女を罪人として処罰するか、或いは都から遠く離れた僻地の寺で出家させるかしなければ皆は納得しない。葛城皇子にはそれはできなかった。
葛城皇子の間人皇女への執着は、まるで父親のようでもあった。皇女が生まれた時からずっと自分の所有物のように大切にしてきた。幼い頃から彼女に読み書きを教え、草花の名前を教え、我が子のように育ててきたのだ。世の父親が娘を可愛がりすぎて他の男に渡したくないと考えるように、皇子は彼女を自分の部屋にしまい込み、自分だけのものにしておきたかったのである。彼女から離れるなど、考えられなかった。
「皇女と縁をお切りなされば天皇になれましたものを」
鎌足の苦言に皇子は言った。
「前にも言ったな。我は天皇になんぞなりたくはないのだ。皇太子のまま、そう、上宮太子のように世を動かす」
「皇子、今や貴方様以外天皇になる皇子はいないのですよ」
「……囲碁をしよう、鎌足。もし我が勝ったら妹とはきっぱり縁を切って我は天皇になる」
しかし、今までと同様、鎌足の圧勝だった。
「今度こそわざと負けるかと思ったが」
「皇子のお心を囲碁の勝負で決めたくはありません」
葛城皇子は苦笑した。
「それだから、そなただけは信用できるのだ……」
葛城皇子が天皇になるにはもうひとつの障壁があった。それは後嗣の問題である。
慣例として、天皇となるには正当な後嗣がいることが必要だった。正当な後嗣とは、皇族または身分の高い妃を母とする皇子のことである。例えば過去にも、上宮太子の父親である橘皇子(用明天皇)も、皇后が皇子を産んだ直後に皇太子に任命された。
葛城皇子には今、二人の息子がいる。一人は身分の低い采女を母に持つ大友皇子、もう一人は前右大臣蘇我倉山田臣石川麻呂の娘を母に持つ建王。葛城皇子は自分の後継としてどちらかに決めることができなかった。母親の身分が低い長男と、後継にふさわしい血統だが口がきけない次男。どちらも皆に認められるには難しい。
そうして正式な後継を決められないまま、葛城皇子が皇太子として母親の天皇の影となり政治を動かして数年が経ち、ある日、建王が夭逝した。
宝皇女は、母親の顔も知らず口がきけないこの孫息子を不憫に思い大層かわいがっていたので、大いに悲しんだ。
しかし、長男の大友皇子を一番に思っている葛城皇子にとっては好都合だった。
葛城皇子は鎌足に言った。
「そなたの娘、我にくれぬか」
「そのようなこと。私はまだ死にたくはありません」
鎌足は茶化して言った。鎌足はこれまで葛城皇子に娘を嫁がせようとしなかった。葛城皇子が外戚を滅ぼすのはわかっているからだ。皇子もそれは承知している。
「ははは、警戒しておるのか」
皇子は笑った。
「いや、我の妻ではない、息子のことだ」
「というと、大友皇子」
「うむ」
「しかし、そうなると私は大友皇子の岳父となり、権勢を振るうようになるかもしれませんぞ」
「そなたなら構わぬ。それよりも、大友皇子の後見が欲しいのだ。そなたも存じているように、皇子の母は身分が低く、母方の力はあてにできない。皆もそれを知っている。皇子には、他の豪族を納得できるほどの人物を後見につけなければ我の後継とするのは難しいのだ」
後見人は重要である。葛城皇子の父親である田村皇子も、蘇我大臣の娘を妻にして後見を受けたことで、他の皇子たちを差し置いて天皇になれたのだ。
今、葛城皇子は、鎌足をかつての蘇我氏のように外戚として権力を持たせる危険を顧みずに、長男大友皇子を天皇にしようと考えている。それほどまでに自分の息子、大友皇子が可愛いのだ。
「わかりました。私の力の限り大友皇子の後援を勤めさせていただきましょう」
葛城皇子も三十歳を過ぎた。息子の行く末を本気で考えるようになった。ようやく人の親としての気持ちがわかるようになったのだ。
亡き軽皇子からも一人息子の有間皇子の将来を頼まれている鎌足だったが、元々有間皇子を天皇にするのは難しいと思っていた。葛城皇子の、大友皇子を皇太子にしたい意向もわかった。しかし、それでも構わない。天皇になれずとも、有間皇子にはただ、無事に生きていてもらいたい。何とか有間皇子が生きられる策を考えよう。それで軽皇子も許してくれるだろう。
だがその年の冬、有間皇子が、後見の阿倍臣が京を離れている間に謀反の嫌疑をかけられ、処刑された。
「葛城皇子の本質は何も変わっていない」
結局、鎌足には何もできなかった。