<第13話>
さて、天皇となった軽皇子は、蘇我氏の時代から滞っていた制度改革を進めた。
古くからの豪族や地方の反発を恐れ、なかなか蘇我氏が進められなかった改革である。豪族同士のしがらみのない軽皇子なら、天皇の名で改革を進められる。あれほどの権勢を誇った蘇我大臣が、天皇家によって滅ぼされた効果は絶大であった。
京を飛鳥から難波へ遷都し、翌正月には国中から集まった豪族たちを前に新法を発布し改新の詔を発した。中央集権国家がここに樹立したのである。
軽皇子は豪華な宮を建設しはじめ、天皇としての優雅な暮らしを楽しんだ。
「次はどんな制度を作ろうか、のう、鎌子」
天皇になっても軽皇子の鎌足に対する全面的な信頼は変わらなかった。他の豪族も誰もが鎌足を天皇の重臣だと認めていたし、鎌足もその地位に満足していた。あとはこの地位を確実なものとして子孫に伝えていけばいい。
天皇を中心とした国家が成立し、争いの種もなくなり平和な世になった。
この時、鎌足は本気でそう思っていた。
そんな中、葛城皇子は浮かない顔をしていた。鎌足を宮へ呼ぶなり、言った。
「右大臣をどう思う」
鎌足は葛城皇子の真意を測り兼ね、慎重に答えた。
「良い御人だと思います」
右大臣である蘇我倉山田臣石川麻呂は、娘の一人を軽皇子の妻に、もう一人を葛城皇子に娶らせ婚姻関係を結んでいた。いずれそれらの娘が皇子を産むことがあったら、次世代の有力な天皇候補となろう。
「……」
「何か」
「蘇我馬子も毛人も娘が産んだ皇子を天皇の妃にすることで権力を増大させた」
「皇子のお妃のことを考えておられるのですね。確かにそうですが、右大臣はそのような御人ではないと存じますが」
「人は権力を手に入れると変わるとそなたも言っていたではないか」
「ですが今、右大臣は忠義を尽くしておられます」
「誰にだ?叔父上にか。右大臣は叔父上のために働きすぎている」
「……」
「叔父上と気脈を通じて我を陥れようと考えているのではないか」
「そのようなことは」
「我は信じぬ。そなた以外の者は誰も信じられぬ」
それから間もなく左大臣阿倍臣倉梯麻呂が病死すると、右大臣蘇我倉山田臣石川麻呂が皇太子葛城皇子によって謀反の罪で殺された。
二人とも軽皇子の妃の父として、軽皇子が頼りにしていた側近である。軽皇子は一気に二人の腹心を失った。空いた席には葛城皇子に忠誠を誓った巨勢臣、大伴連がそれぞれ左右大臣に据えられた。
石川麻呂が殺されたことは世間の人々にも衝撃を与えた。石川麻呂は葛城皇子の岳父でもあった。石川麻呂の娘を二人、妃にしている。葛城皇子は、歯向かう者は身内であろうと誰であろうと容赦なく滅ぼすということを世間に知らしめたのだ。
「外戚関係を結んだ豪族はやがて大きな力を持ち、かつての蘇我氏のようになるのだ。早いうちに潰しておかねばならぬ。そうだろう、鎌足」
葛城皇子の心の中には、蘇我毛人、入鹿父子の専横政治に対する嫌悪感が根強くある。両親が蘇我氏の言いなりとなっていたことが大きな傷となって残っているのだろう。彼はそうしてこの先も重臣を信頼できぬまま生きるのだろうか。
鎌足は重苦しい気持ちになった。
石川麻呂及び連座で処分された者たちの首が飛鳥寺の門前に晒された。
葛城皇子の妃のひとり、石川麻呂の娘である蘇我造媛は、父親と兄弟の首を見て、衝撃のあまり、心の病を患うようになった。
その後、石川麻呂は無実だったと証明するものが出てきて彼の名誉は回復されたが、失った命は戻らなかった。やがて蘇我造媛も、生まれたばかりの男子を含む幼子を残し、心を患ったまま死んだ。
「媛が……。おお、なんと悲しいこと」
葛城皇子は悲痛な叫びを上げた。
蘇我造媛が産んだ皇子、生まれたばかりの建王は、祖母である宝皇女の宮へ引き取られた。
「遺されたこの子らを大切に育てるのですよ」
宝皇女は息子の葛城皇子に言った。
その後、葛城皇子は媛の死を悼む歌を詠むように皆に申し付け、献上された歌を聞いては涙していた。
鎌足には、そんな皇子の姿が空々しく見えた。妻の死の原因を作ったのは皇子なのに、周りの皆もそう思っているだろうに、皇子の茶番に付き合っている。そんな気がした。
宝皇女は、生まれてすぐに母親と死別し母親の顔も知らないまま育った建王を不憫に思い、人一倍可愛がった。本来なら葛城皇子の大兄皇子となる建王だが、成長しても言葉を発することができなかった。人々は、建王が喋れないのは石川麻呂と蘇我造媛が祟っているのだと噂した。
「祟りなど怖くもなんともないわ。祟るなら我を祟ってみよ。我が身はこの通り、なんでもないではないか」
葛城皇子には建王の他に既に長男の皇子が生まれていたが、母親は身分の低い采女であった。もしいずれ葛城皇子が天皇になった時には、長男を皇太子にはできない。右大臣の娘から生まれたこの皇子を立てることになるであろうが、葛城皇子は喋ることができない建王を正式に自分の後継として認めなかった。
やがて難波に、天皇軽皇子の宮、長柄豊碕宮が完成した。それは今までの天皇誰よりも豪華な庭を持つ宮で、軽皇子は大満足だった。
ただ葛城皇子は苦々しく見ていた。
「面白くない」
「は」
ある日、葛城皇子は、軽皇子の一番の忠臣であるはずの鎌足を呼んで言った。
「あの男は調子に乗りすぎているな」
「は?あの男とは」
「叔父上だ。我らが天皇にしてやったのに、全て自分の手柄のように律令を発表したり、好き勝手やりおって。目障りだ。豪華な宮を建て、毎日毎日これ見よがしに宴を開き、調子に乗りすぎている。我は何も面白くない。もう飽き飽きだ。我はこのような退屈な世のために入鹿臣を殺害したのではない」
「まあまあ、のんびりお暮らしください。時が経てば天皇の座は自動的に葛城皇子の手に転がり込んできます。そうしたら思う存分好きにできましょう」
「我は、天皇になりたいわけではないのだ。国のことなど、どうだってよい。時々全てをぶち壊して滅茶滅茶にしてしまいたい衝動に駆られる。この国を壊してしまいたくなる」
「それはなんと乱暴なこと。どうぞ、お壊しください。そうしたら私が作り直しますから」
鎌足は明るく笑って言った。内心の焦慮とは裏腹に。