<第12話>
皇太子であった古人皇子は、後援者であった蘇我毛人、入鹿父子が滅んだ後、敵意がない意思表示として皇太子の地位を捨て出家し吉野山に隠棲した。
軽皇子が万事思い通りにいって喜んでいる一方、葛城皇子は苦い顔をしていた。
葛城皇子は鎌足を呼んで言った。
「あの時、古人大兄を取り逃したのはまずかった」
本当なら古人皇子も同時に殺害する予定だったのだ。しかし、蘇我入鹿を殺害するのに手間取っている隙に、古人皇子は宮殿から逃げ、自宮に立て篭もって難を逃れたのだ。
「天皇は、出家して吉野の山奥に隠棲したのだから放っておけ、と私におっしゃいました。蘇我大臣という後ろ盾を失った今、誰も古人大兄を立てようなんて言い出すものはいないのだから、と」
「だから叔父上は甘いのだ。この先誰がどう動くか判らぬ。反乱の芽は早いうちに摘み取る。そうだろう、鎌足」
そうして、軽皇子が即位して三ヶ月後、前皇太子古人皇子は謀反の疑いをかけられた。新皇太子葛城皇子の命令で息子とともに処刑され、妃妾は自害した。
「これが定石だろう」
確かめるようにそう呟く葛城皇子を鎌足は危なげな目で見ていた。
今まで鎌足は、皇子たちの名に傷をつけないよう、表面だって彼らが出ないように仕組んできた。上宮一族を滅ぼす命令をしたのは天皇、実行したのは蘇我入鹿。葛城皇子が白髪部皇子に毒を盛ったのは予定外だったが、明確な証拠があるわけではない。
それなのに葛城皇子は自らの手で蘇我入鹿を殺害してしまった。天皇となる人間は自分の手を血で汚してはならないのだ。葛城皇子を天皇にしようと言う宝皇女や鎌足の思惑を、彼はどんどん裏切っていく。
古人皇子の妻のひとり、手嶋姫王とその娘、倭姫王だけは殺されず、宝皇女の元に引き取られた。父親が死んだことが理解できない幼い倭姫王が、父と会いたいとぐずるのを、周りの皆は涙を堪え見ていた。
采女らが涙を見せぬよう耐え忍ぶ姿を見ていた葛城皇子は、自分の体の奥底に熱い炎が生まれるのを感じた。
人が最も大切な愛する人を失った悲しみがどんなに辛く美しいものか。
想像すると、皇子の中の熱い炎が全身を溶かして蜜となりとろけていく。
「ああ、なんといたわしいことよ」
皇子は恍惚の表情を浮かべた。