第6話「ようこそ、ゲームの世界へ」
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…真っ暗だ。
ふわふわとした浮遊感がボクの体をつつむ。
なんでだろう。頭がぼんやりする。
ここはどこだろうか?
ためしに手を伸ばしてみるが、何もつかめない。
どうしようかと考えていると、ふと人の気配を感じた。
ボクは慌てて辺りを見渡す。
そこにいたのは、一人の少女だった。
長い黒髪の少女が黙ってこちらを見ている。
顔は、…よく見えない。
だけど、どうしてだろう。
なぜか知っている人物のような気がした。
声をかけようとするが、声が出ない。
手を伸ばそうにも、届きそうにない。
少女は一定距離を開けたまま、ボクに近づこうとはしなかった。
だからといって、離れるわけでもない。
距離をとったまま、黙ってボクのことを見つめている。
…そこで、ボクの意識は再び途絶える。
――◇――◇――◇――◇――◇――◇――
「…えっ?」
ボクはただ呆然としていた。
古い石畳。
赤いレンガの壁。
石畳の道にそって流れる川。
日本ではない。
明らかに外国の、それも中世のヨーロッパのような町並みが目の前に広がっている。…どこかで見たことある景色だった。
「…これは」
ボクは目を丸くさせながら、周りの風景を見てみる。人通りの少ない通り。それでも、ボクの目の前を通る人を見て、再び思考が停止してしまう。
長い耳。整った顔立ち。魔法使いが着るようなローブを身に着けていた。まるでエルフのようだ。
次は子供だった。毛むくじゃらの髪に犬のような耳がついている。鼻をヒクヒクさせながら歩く姿が可愛らしい。
その次の人は、…人と呼んでいいかわからなかった。鱗のような青い肌。長い下をチロチロさせながら、大木のような木材を軽々と担いでいる。まるで蜥蜴人みたいだな、と冷静に考えていた。
…どれも見覚えのある種族だった。
…画面越しの話だけど。
しばらく言葉を失っていると、遠くのほうで鐘が鳴った。広場の入口にある時計塔。その頂上にある鐘が時を知らせていたのだ。
…見覚えのある時計塔だった。
…というか、さっきまで画面越しで見ていた。
「は、ははは」
もう、笑うしかなかった。
見覚えのある種族に、見覚えのある種族に、見覚えのある風景。
そして、見覚えのある世界観。
これはもう、間違いない。
ボクの目の前に広がっている世界は、オンラインゲームである《カナル・グランデ》の世界そのものだった。
「…待て待て、冷静になれ。状況を確認しよう」
ボクは自分に言い聞かせる。とても落ち着ける状況ではないが、幸いなことにここは全く知らない世界ではない。もし、この町が《カナル・グランデ》と同じ構造になっているのなら、大方の地図は頭に入っている。さすがに細かい路地までは覚えていないが、ボクのいる場所からなら迷うことなく自分の借りている部屋に戻れるはずだ。そうすれば、安全な寝床を確保できるし、使い切れないほどの金貨だってある。
「うん、大丈夫だ」
ボクは両手を強く握り締める。パニックを起こさないように気をしっかりと持つ。無意味に叫んだって、良いことなんて一つもないんだ。
自分に気合を入れて、大空を仰ぎ見る。
心地よい風が髪を揺らして、目の前でさらさらとなびいていた。
…その時だった。
ボクは決定的な違和感に気づいた。
「あれっ? ボクって、こんなに髪が長かったっけ?」
ボクは自分の髪に手を伸ばした。
指の間をするりと抜ける、さらさらの黒い髪。きっと、女の子だったらこんな髪に憧れるんじゃないかな。
…嫌な予感がした。
…とてつもなく、嫌な予感がした。
「は、ははっ。これじゃ、まるで女の子じゃないか」
自嘲気味に笑いながら髪から手を離して、自分の頬に触れる。
ぷにぷにと柔らかい肌をしていた。まるで、自分の肌じゃないようだった。
「…」
ボクは黙り込んで、恐る恐る自分の体を見下ろした。
そして、見てしまった。
男の自分にはあるはずのない、柔らかそうな2つの膨らみを。
「っ!」
焦った。
とにかく焦った。
全身をくまなく触って、自分の体がどうなっているのか知りたかった。だけど、柔らかい感触があるだけで全身まではわからない。
鏡などないのかと辺りを見渡す。
その時、目の前の少女と目が合った。
「えっ」
風に舞う長い黒髪。
戸惑ったような黒い瞳。
凛とした顔立ちは大人のようであり、幼くも見える。
身長は低い。
たぶん150センチくらいしかない。
体の線は細く、ほっそりとしているが、胸だけは大きく膨らんでいる。腰のラインも綺麗な曲線を描いていて、少女の色気という危うさを併せ持っていた。
誰がどう見ても、そこにいたのは美少女であった。
ボクが右手を上げると、少女も手を上げる。
ボクが乾いた笑みを浮かべると、少女も呆れたように笑った。
…というか、目の前にいるのは店の窓に映っている自分だった。
「は、ははは」
引きつった笑みを浮かべる。
それから、数秒後。
ボクは人目も気にせずに叫ぶのだった。
「きゃーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
その声もまた、可愛らしい女の子の声だった。




