第53話「ヴィクトリア宮殿への強襲。…そして、陽動と待ち伏せ」
ヴィクトリア宮殿は上空からは、『□』の形をしている。
宮殿の中央は庭園になっていて、井戸と噴水があるはずだ。その宮殿の隣にあるのが、政治犯などを収容する地下牢獄だ。
その牢獄に入るためには、宮殿から伸びる一本の橋を渡るしかない。
大理石で作られた白い石橋が、唯一の移動手段だ。死刑囚にとっては、この橋に作られた小さな窓から見える風景が、最後の景色となる。
「じゃ、行ってくる」
ミクは着物の袖を縛り付ける。
軽く手を上げて、そのままラグナロクの背中から飛び降りた。彼女には、宮殿の外で騒ぎを起こして、敵の陽動をしてもらう作戦だ。
「俺達も行くぞ」
「うん」
ボクはコトリのほうに振り向いた。
「じゃ、コトリ。手はず通りにね。ミクがピンチだったら助けてあげて」
「…うん。わかった」
こくっ、とコトリが頷くと、ジンのほうへと歩いていく。
「…ジン。気をつけて」
「おうよ。…じゃ、行こうぜ。ユキ」
「うん」
ボクはジンに促される格好で、ラグナロクから飛び降りた。
凄まじい風を切る音が、ボクの耳を貫く。
あまりの風圧に、目を開けていられないほどだ。
「着地はどうする!」
少しずつ近づいてくる地面に、ジンが叫ぶ。
「任せる!」
「了解! ちょっと荒っぽくなるぜ!」
ジンが叫ぶと、ボクの体を掴んで抱え上げる。
そして、そのまま宮殿の屋根へと着地した。
ズドンッ!
バキバキバキッ!
大理石の屋根が砕けて、無数のヒビが周囲に走っていく。
「よし。着地成功」
「…頼んでおいてなんだけど、もうちょっと穏便にできなかったの?」
「仕方ないだろう。この方法しか思いつかなかったんだ」
「でも、宮殿の兵士に気づかれたら」
「それは大丈夫そうだぜ」
そう言って、くいっと顎を広場のほうに向ける。
眼前に広がるサンマルコ広場。
その中心には、黒い装束を着たアサシン集団が列を作っていた。あれは、ミクの呼び出した式神だ。突如として現れた謎の軍勢に、宮殿の兵士たちは慌てて飛び出していく。
「陽動は成功だな」
「うん、そうだね」
ボクたちは身を翻して中庭へと向かった。
ジンの肩に乗って、壁伝いに下まで降りていく。兵士たちは正門から広場に向かっているようで、中庭には誰もいなかった。
松明が等間隔に置かれているほの暗い空間。
中心には大きな噴水。
その傍には、真水を溜めるための井戸が設置されている。
…異様な静けさだった。
「誰もいないみたいだな」
「…」
兵士に見つからないことに越したことはない。
たしかに順調だ。
だが、なんだろう。妙な危機感が拭えない。
「…静か過ぎない?」
「だな。なんとなく嫌な予感がするぜ」
そう言って、ジンが広場へと無防備に歩いていく。松明の明かりに照らされて、銀色のたてがみが鈍く光る。
「ちょ、ちょっと、ジン! 見つかっちゃうよ」
「…そうだな」
ジンは淡々と答えると、噴水のほうをじっと見つめる。
ボクが小走りで後を追い、ジンの見つめている方向に目をやった。そして、そこにいるものを見てー
「え?」
言葉を、失った。
噴水前に何かいた。
暗くてわからなかったが、何か巨大なものが蹲っているように見えた。
「…侵入者か。ならば、排除せねばならない」
地に響くような声だった。
同時に、ボクの背中がぞくりと震える。
この声は―
「やれやれ。これは面倒になったな」
ジンが呆れたように呟く。
その人物は、巨大な大剣を携えながら、ゆっくりと近づいてくる。赤褐色の皮膚が松明に映えて、まるで燃えているかのようだ。
「ゲンジ、…先輩」
ボクは目の前にいる男の名前を呟く。
ゲンジ先輩は眉間を寄せて、忌々しそうにボクたちを睨んだ。
「…外の騒動も、お前達の仕業か?」
「さぁな。自分で確かめに行けよ」
ジンが挑発するような口調で答える。
「…お前達は何をしにきたのだ?」
「それはアンタに関係ないだろ。邪魔すんなら、ここで叩き潰すぞ」
「…我と戦うというのか? 無駄なことを」
「あ?」
「誰であろうと、我を殺すことはできない。銃弾を受けようと、刃で貫こうと、この体は傷すらつかんのだぞ」
「んなこと、わかってんだよ。それでも男だったら、通さなくちゃいけねぇ筋ってもんがある」
「無駄だとわかっていてか?」
「無駄かどうか決めるのはアンタじゃない。この俺だ」
ジンは軽く腰を落としながら、戦闘態勢に入る。
溢れんばかりの闘志がみなぎっていた。
「…なぁ、ユキ。この獲物は俺がもらっていいか?」
「いや、ダメだ。ボクも一緒にやるよ」
腰の銃『ヨルムンガンド』を取り出しながら、ジンの隣に立つ。
相手はゲンジ先輩だ。
ミクでさえ圧倒されたのだ。いくらジンでも、一人で勝てるわけがない。
「…ユキ。お前は、あの子のとこに行ってやれ」
「え?」
ジンがボクを押しのけるように前に出ると、宮殿の扉を指差す。
「無駄な時間にはできないだろう。それに、俺はコイツが気に食わない。個人的にも、一人でやらせてくれ」
ギラリと、鋭い牙が口から覗く。
苛立つように歯軋りさせながら、鋭い目つきでゲンジ先輩を射抜く。
「…ジン」
ボクは手の中にある銃を握り直す。
だけど、軽く息を整えて。宮殿の扉へと体の向きを変えた。
「…負けないでよ」
「…負けるかよ」
その言葉を聞いて、ボクは駆け出した。
その直後、鋼と鋼がぶつかるような激しい戦闘音が、暗闇から響いていた…




