第8話「最後の戦いの前に⑤(神無月有栖と碓氷涼太)」
太陽が少しずつ傾き始めている。
この季節の日の入りは早い。もうすぐ夕方になってしまいそうだ。
ボクは少しだけ歩くスピードを上げる。今日が終わらない内に、メンバー全員と話がしたかった。あと残っているのは、有栖と碓氷君。そして、ギルドマスターである天羽会長だ。どうせ会長は夜になったら酒場で飲んだくれているので、最後に回しても問題ないだろう。
「えっと、有栖と碓氷君の家はこっちだったよね」
寂れた細い道を歩きながら、道に迷わないように太陽で方角を確認する。この国は建物でぎゅうぎゅうになっていて、細い道が迷路のようになっている。慣れた道じゃないと、すぐに自分がどこにいるのかわからなくなってしまう。
細い路地を抜けて、少しだけ大きな道に出た。
小さな教会の前に、ちょっとした広場があった。石畳の地面に、木のベンチが置いてあるだけの空間。そこに1人の幼女がいた。
「あら? 姉さま、こんな場所でどうなされたのですか?」
ピンク色の髪。
ちょっと舌足らずな可愛らしい声。もこもこのボアコートに身を包んだ姿は、まるで天使のようだった。
『十人委員会』の『No.5』
幻術士の有栖が広場のベンチに腰を下ろしていた。
「あ、ちょうど良かった。今から有栖の家に行こうとしていたところなんだ」
「そうなのですか? 珍しいですわね。姉さまが私たちの家まで来るなんて」
「うーん、そうかもしれない。ちょっと、有栖と話したいことがあってね」
「私とですか?」
きょとん、と首を傾げる。
だが、すぐに場所を譲るように、ベンチにもう1人座る場所を作ってくれた。
「ささっ、姉さま! どうぞ、こちらに座ってください。姉さまのお尻が冷たくならないように、温めておきましたから!」
「あ、ありがとうね」
ボクは有栖の好意に甘えることにする。彼女の隣に座って、人の気配のしない教会を並んで眺める。
有栖が幼女になってから、随分と時間が経ったような気がする。元々の姿が、ボン・キュッ・ボンのナイスバディーなので、今の幼い姿に違和感しかなかったのが、いつの間にか慣れてしまったようだった。
愛らしい幼女から『姉さま』と呼ばれていると本当に妹ができた気分だった。
「でも、有栖こそ珍しいんじゃない? 碓氷君と一緒にいないなんて」
「そうですわね。今はたまたま別行動をしていただけですわ。私と涼太は相思相愛なのですから」
えっへん、と威張るように胸を張る。
その様子は幼女が見栄を張っているようにも見えて、何というか抱きしめたくなるほど可愛かった。
「もちろん、姉さまのことも大好きですわ!」
「うん、ありがとう」
ボクは挨拶もそこそこにして、手早く本題を話し出した。有栖の精神年齢はボクよりも1つ上なので、軽く話しただけで内容を理解してくれた。
「はぁ? 元の世界に帰りたいか、ですか?」
「うん。ちゃんと皆の話を聞いておこうと思って」
「うーん、そうですわね」
有栖は考え込むように唸りだす。両手を合わせて口元に当てたり、ふいに立ち上がったと思ったら急に座ったり、最後には乱暴に頭を掻きだしてしまった。
「あー、わかりませんわ!」
「は?」
「ですから、自分が元の世界に帰りたいのかわからない、と言ったのです」
有栖は迷いのない目で言った。
「姉さまや涼太が帰りたいと言うならば、私もついていきますわ。もし、残りたいというのであれば、……残ってしまうかもしれません」
「それでいいの?」
「仕方ありません。私にとって、元の世界とはその程度の魅力しかないのです。家族や他人に気を使ってばかりの日常に、少し嫌気が差していましたから」
有栖は他人からの悪意に敏感で、そのために周囲が求める人間を演じてきた。そんな過去を持っていた。
「すみません。姉さまの期待に添える答えじゃなくて」
「ううん、気にしないで。有栖の本音が聞けて良かったと思っているよ」
ボクは慌てて両手を振りながら、これまでの会議での彼女を思い出していた。元の世界に帰るのに積極的だったのは、ボクたちのことを想ってのことだったのか。
「あ、でも」
有栖が思い出したように口を開いた。
そして、くすくすと小さな声で笑い出した。
「……元の世界に戻って、両親とケンカをするのも面白いかもしれません」
「ケンカ? 親と?」
「えぇ。私はずっと良い子を演じてきましたから。この際、言いたいことをいって、家を飛び出すのを悪くないかなー、って」
「家を出て、どうするの?」
「その時は涼太に拾ってもらいます」
にっこりと満面の笑みを浮かべる。
そんな有栖を前にして、ボクはなんともいえない気分になってきた。そんな軽い動機でもいいのか?
「まぁ、とにかく。私が姉さまへの助力を惜しむなんて、絶対にありません。……この『黒薔薇の契り』に誓って」
そう言って、有栖はコートの隙間から自分の首を見せた。
真っ白な肌に走る、黒い茨のような模様。
有栖が自分自身にかけた隷属魔法『黒薔薇の契り』。それは自分の姿を幼女にするだけじゃなくて、有栖の能力も封じる枷になっている。
そして、この魔法はボクにしか解けない。
「うん、わかったよ。この先、有栖の力が必要になったら、その魔法を解いてあげるからね」
「うふふ、承知しております。その時は、幻術士としての力を思う存分に使わせていただきますわ」
有栖の表情が一瞬にして影のあるものに変わる。
幼女が残忍な笑みを浮かべている姿は、ぞっとするほど不気味だった。
「……お願いだから、前みたいな問題は起こさないでよ」
「えぇ、わかっていますわ。……ふふっ」
本当にわかっているのだろうか。
ボクの心配をよそに、有栖は楽しそうに笑うのだった。
人には好き嫌いがある。
一緒にいるだけで楽しいと思える人もいれば、同じ部屋にいるだけで息が詰まりそうな人だっている。
ボクは人付き合いが得意なほうではないけれど、友達には恵まれていた。十人委員会のメンバーも、距離感の違いはありはすれど、皆と仲良くやってこれた。
ただ、一人。
この碓氷涼太君の除いては。
「……や、やぁ。……碓氷君」
「……」
「……えーと、その。……今日はちょっと話がしたくて来たんだけど」
「……」
「……あ、あの。……きょ、今日はいい天気だね!」
「……」
ダメだ!
全然、会話にならないよ!
『十人委員会』の『No.8』
氷の魔導砲台の異名を持つ、高等魔術師の碓氷涼太君。氷の魔法を得意としていて、多重詠唱と並列詠唱を掛け合わせた固有スキル、無限詠唱を使う稀有な魔法使い。そんな彼との会話は困難を極める。いや、困難というか、もはや不可能のレベルだ。
もしかしたら失語症なんじゃないのか、と思うほど碓氷君は喋らない。ただ、面倒だから口を開かない。こうやって彼の家にボクが尋ねても、碓氷君は海の見えるカウンター席で小説を読んでいる。視線すら合わせてくれない。うぅ~、やっぱりこの人は苦手だよ。
……ってか、人が来ているのに無視して小説を読むなんて、ちょっと失礼なんじゃないかい!?
基本的に温厚な性格をしているボクだけど、こんな扱いをされたら気分も悪くなるよ。ぷんぷん、と頬を膨らませながら、彼のことを睨みつける。
……が、その時だ。
急に碓氷君が、ギロッとこちらを向いた。
「ひぃ!」
情けない悲鳴を上げてしまう。
「ど、どうしましたか?」
そして、なぜか敬語。
同級生のはずなのに、碓氷君とはどうしても距離を縮められない。何を考えているのか、さっぱりわからない。あの顔は怒っているのか、それとも無関心なのか。元々が小心者のため、表情を崩さないその顔が怖くてたまらない。
……ボクとしては、もうちょっと仲良くなりたいのに。
「……」
ぱたん、と本が閉じる音がした。
碓氷君はボクのことを見ながら、視線を外そうとしない。こちらも目を逸らすタイミングをなくして、彼のことを見返した。
「え、えーと」
なんとか声をかけてみようと思うけど、いい言葉が見つからない。元の世界に戻りたいか、と訊きたいだけなのに。彼のことだから、訊いたところで返答がないことはわかりきっていた。
……はぁ、帰りたいよ。
ボクの気分が沈み込み、声をかける気力もなくなっていく。開けっ放しの窓からは、夕日でオレンジ色に染まっている海が見えた。水平線までがキラキラと輝いている。わずかばかりの時間を、その美しい景色を見ながら心を和ませる。
そんな時だ。
ボクの予想もしていなかったことが起こった。それまで何の興味も示さなかった彼が、小説から手を放して口を開いたのだ。……碓氷君が、ボクに向けて話かけていた。
「自分は、元の世界に帰ることしか考えていない」
「え?」
「こんな偽りの世界に興味はない。早く元の世界に戻って本屋に行きたい。尊敬している作家の新作や、連載小説の続編を読みたい。それができるのなら、最大限の援助を君に送ろう」
最初は誰が喋っているのかわかならかった。
まるで作業をするように淡々と言葉を並べられて、その意味を理解するのに数秒を必要とした。
「それに自分は、君のことを嫌っているわけではない」
碓氷君が続ける。
「君の頑張りは称賛に値する。自分を含めて、このメンバー全員をまとめることは、決して簡単なことではない。辛抱強くメンバーの話を聞いて、さりげなくブレーキをかけつつ、時には大胆に行動をしなくてはいけない。これは、大変なことだ」
「……え?」
「君がこのギルドを率いている限り、自分は黙ってついていく。……ユキ、君を信頼している」
そう言うと碓氷君は、立ち上がって本棚へと歩き出した。読んでいた小説を本棚に戻すと、別の本を取り出した。
そのまま話は終わりといわんばかりに、カウンター席に座って読み始めた。夕陽が差し込むこの部屋は、眩しいくらいに明るかった。
「……碓氷君」
「……」
ボクの問いかけに、彼は答えない。ボクのことに興味がなくなったのか、小説のなかに没頭しているのか。どちらにせよ、先ほどの彼の言葉は逃げ腰だったボクに勇気をくれた。自分の頑張りを理解してくれる人が、ちゃんといるのだ。
「……ありがとう」
ボクは碓氷君に頭を下げる。
どうせ返答はないだろうと思っていると、彼は小説に視線を落としながら、こちらに手をあげた。
……別にいいよ、と言っているようだった。
視線も言葉も交わしていないけど、なぜかその行動を見て、彼のことを理解できたような気がした。
これでいいのかもしれない。
慣れ親しむ必要もない。こういった関係を望む人もいるんだ。あっさりとした繋がりに見えるかもしれないけど、彼は確かにボクたちを一緒に行動している。
人には好き嫌いがある。
ボクにも苦手なものがあるけど、向こうが嫌っているとは限らない。
それを知ることのできた、午後5時の夕刻だったー




