第4話「最後の戦いの前に①(郷田源次郎)」
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朝はあんまり得意じゃない。
女の子になってからは起きるのも辛いし、最近は寒いから余計に苦手だ。でも、今日は早起きをしなくてはといけない。彼はこの時間にはもう、警備隊へと出勤しているはずだ。
結局、ボクは結論を出せずにいた。
元の世界に戻りたいのか。それとも、この世界に留まりたいのか。こんな歪な世界でも、最後まで彼女の傍にいたいと?
わからない。
まだ、迷っている。
でも、それでいいと思った。迷いながらも、苦しみながらも、それでも選んだ道はきっと間違いではないから。他人から見たら愚かな選択であっても、大事なのは自分の心だ。
だから、今日は。
一日かけて、皆と会ってくる。会って、話をする。これからの事。これまでの事。彼らが選ぶ道を、ちゃんと聞いておきたかった。いつか手遅れになる前に。
「……うぅ、起きるか」
ボクは呟きながら、ささっと身支度を整える。
今日の起床時間は、昨日よりもっと早い。東の空にはまだ太陽が昇っていないし、窓の外から聞こえてくるのは小鳥の囀りだけだ。時計を見ると、ちょうど5時になったところだ。いつも彼はこんな時間に起きているのか。
厚手のズボンに、ふかふかのセーター。マフラーは昨日よりしっかりと巻いて、両手にも手袋を忘れない。あと、昨日のうちに買っておいた使い捨てカイロも、ポケットのなかに忍ばせておく。火の魔法石を砕いたものが入っているらしく、擦ってから2時間くらいは温かい。
「これでよし」
最後に、黒いダッフルコートに袖を通して前を閉じる。ボタン代わりの留め木にしっかりと紐をくくっていると、長い黒髪をコートのなかにしまい忘れたことに気がつく。可愛らしさを抑えた、中性的な服装。最近は、なるべく女の子っぽくならないように、自分の髪はコートに隠すことが多くなっていた。
「あぁ、失敗したなぁ」
ボクはもう一度、時計を見る。
もう時間がないので、今日はこのまま出かけることにする。最後のひと口の紅茶を飲んで、カップを流しに置く。そして、紅茶の温かみが残っているうちに、寒い外へと出ていった。
「はぁ~、息が白い」
玄関を開けて、深く息をはく。
薄暗い早朝の街には、とても静かだった。しんと冷えた空気に、どこまでも続く静寂。まるで、この街にはボクしかいないような気分になってくる。
「さて、と。行こうか」
ボクは誰もいない石畳の道を、もう迷うこともなく歩いていく。
足音が細い路地に反響して、自分の耳を打つ。たまに小鳥が飛んでいく以外は、生き物の気配がなかった。
そういえば、あれだけいた猫がさっぱりと見なくなった。
彼らも温かい寝床を見つけて、ぬくぬくと過ごしているのだろうか。
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ボクは足早に目的地を目指す。
雪が薄く積もった道を抜けて、大きなサンマルコ広場を通っていく。海が近くなってきたせいか、海鳥たちがいっぱいいた。
やがて見えてきたヴィクトリア宮殿の前を通り過ぎて、隣の建物へと向かう。そこはこの国の警備隊の詰め所があった。今日、こんなにも朝早くに出てきたのは、仕事前の彼に会うためだ。
十人委員会の『No.3』。
『不撓不屈のバーサーカー』と呼ばれる、ゲンジ先輩だ。彼はこの国の警備隊長を歴任していて、この時間には出勤しているという話だった。
「そういえば、この建物に入るのは初めてだっけ」
ボクは正面玄関から入って、当直をしていた守衛さんへ話しかけた。
「すみません。警備隊のゲンジ先輩に会いにきたのですが、もう来ていますか?」
「は、はい! た、隊長なら少し前に来て、今は訓練所のほうにいると思います!」
若い男だった。
ボクの姿を見た途端、焦った口調で説明した。何をそんなに慌てているのだろう?
「訓練所は、真っ直ぐいった先の、右のほうにあるであります!」
「わかりました、ありがとうございます」
ボクはその警備隊の人に頭を下げて、建物の奥へと進んでいく。
訓練所の場所はすぐにわかった。奥に進むにつれて、掛け声のようなものと、何かを叩きつける音が聞こえてきたからだ。きっと、訓練中なのだろう。ボクは邪魔にならないように、そっと訓練所の扉を開けた。
「……失礼します。……ぬわっ!?」
中を伺いながら、顔を覗かせる。
それと同時に、ばたんっ、という大きな衝撃音が襲ってきた。
驚いて、その場から飛びずさってします。
そんなボクを見て、声をかけてくる人がいた。
「む? ユキではないか? こんなところで何をしているのだ?」
ゲンジ先輩だった
訓練所の真ん中で、息を荒くさせている。額にはうっすらと汗をかいていて、冬だというのに凄まじい熱気を放っている。その先輩の周りに、同じく訓練をしていたであろう人だちが、順番に列を作っていた。
「え、えっと、ちょっと顔を見に来たんだけど」
「そうか。……ふむ」
ゲンジ先輩はちょっと考えるように手を顎に当てる。
そして、他の警備隊の人達に声をかけた。
「よし、今日はもう終わりだ。各自、これから自主鍛錬とする。出勤時間には遅れるなよ」
「「押忍ッ! ありがとうございました!」」
ざあっ、と男たちはゲンジ先輩へと頭を下げた。よく見ると、彼らはゲンジ先輩と同じ服装をしていた。白い薄手のズボンに、白い前羽織の上着。そして、それを留めるための帯。それはまるで柔道着のようだった。
「よかったの? まだ、訓練中だったんじゃないですか?」
「問題ない。ちょうど頃合いだったしな」
そういって、ゲンジ先輩は額の汗を拭く。
「ちなみに何の訓練をしていたんですか?」
「なぁに、百人組手を真似事みたいなものさ。我ひとりと、警備隊の猛者共と順番に組手をしていてな。辞め時を失っていたから、お前が来てちょうど良かったぞ」
そういって、ゲンジ先輩は訓練所を見渡した。
そこには、まだ多くの警備隊たちが訓練を行っていた。自主訓練だというのに、互いに真剣に技を競っている。
「皆、真面目なんですね」
ボクがそう言うと、ゲンジ先輩が珍しく声を出して笑った。
「ははっ、どうかな? 真面目ではあるが、その本心は不真面目であろうな」
「どういうことです?」
ボクが聞き返すと、彼は呆れたような笑みを浮かべる。
「お前がいるから、張り切っているんだろう。外見だけで言えば、お前は美しい少女だからな。女に飢えている奴らには、ちょっとばかり刺激が強すぎるというものだ」
「……あぁ、なるほど」
ボクはがっくりと肩を落とす。
当直の守衛さんが慌てていたのも、それが理由か。
「……で、どうしたのだ? わざわざ、こんなところまで出向いてくるとは、何か大切な話があるのだろう」
ゲンジ先輩はいきなり確信をつく。
先輩の人となりを知っているので、ボクは別に驚かない。
「そうですね。ちょっとだけ、お話を良いですか?」
「ふむ、別に構わんぞ。どういった内容だ?」
ボクは少しだけ間をあけて、ゲンジ先輩へと問いかけた。
「先輩は、元の世界に帰りたいと、本当に思っていますか?」
そんな質問に、ゲンジ先輩は片眉を上げた。
ボクがこんなことを訊くことが、意外に感じたのかもしれない。
「……ふむ。つまり、この世界に未練があるか、と」
神妙の顔をして、片手を顎にのせる。突然の無遠慮な問いにも、ゲンジ先輩は真面目に考えていた。
「はい。すみません、いきなりこんな事を訊いて」
「構わん。お前のことだから何か意味があるのだろう?」
そう言って、腕を組みなおしながら遠くを見つめる。まるで、今までのことを振り返っているようだった。
そして、しばらく考えたあと、先輩は静かに口を開いた。
「少し、昔話をしてもいいか?」
「え?」
「なぁに。長い話にはならんさ」
そう言って、ゲンジ先輩は少しだけ笑みを浮かべる。ボクも急いでいるわけではないので、いいですよ、と答えた。
「ユキは、我の実家が柔道場を開いていることは知っているな」
「はい」
「我が父親は、そこそこ有名な柔道の選手だったらしくてな。若いころには強化選手に選ばれたり、海外へ遠征に行ったりもしたそうだ。まぁ、根っからの柔道家というやつだ」
遠くを見ていた目を、さらに細めた。
「そんな柔道一家の長男として、我は生まれた。柔道を始めることは生まれる前から決まっていて、そのことに何の疑問も持っていなかった。だからこそ、我はこの歳になって、道に迷ってしまった。本当は好きでもない柔道を、このまま続けていっても良いのか、とな」
ゲンジ先輩の言葉に、ボクは静かに頷く。
この世界に来て、ボクが最初に衝突したのがゲンジ先輩だった。自分が何者なのかわからなくなった先輩は、周りから言われるがまま警備隊の隊長になり、その職務を全うしようとしていた。
他人にレールを敷いてもらわないと、自分が何をするべきなのか、分からなかったのだ。
「話を戻そうか。ユキは、本当に元の世界に戻りたいかと訊いたな。ならば、我は胸を張って答えよう」
ゲンジ先輩が迷いのない視線でこちらを見た。
「我は、元の世界に戻りたい。向こうに戻って、自分の生き方を、自分の意思で決めたいのだ。他人に言われるのではなくてな」
先輩は柔道着のような服の裾を直す。
そんな先輩を見て、ボクは心配になった。
「……膝は大丈夫なんですか?」
ゲンジ先輩は心の病を持っている。
何の問題もないのに、柔道をしているときだけ膝を痛むのだという。それは、この世界に来ても変わらなかった。
「ここの訓練所って、柔道場でもありますよね。床にはマットがしいてあるし、先輩や警備隊の着ている服は、柔道着にしか見えません。先輩はあんなに辛そうだったのに」
ボクの問いに、先輩は朗らかに答えた。
「あぁ、そうだな。正直に話すと、まだ膝が痛むことがある。古傷が疼くようにな。……だが最近では、その痛みは自分の人生と戦っている証だと思うようになった」
「どういうことです?」
よくわからなくて、先輩へと問い直す。
「今まで我は、親が敷いたレールの上を走っていただけだったからな。大学への進学だってそうだ。親に言われた通りに、柔道で大学に入って。そのまま柔道の選手として生きて、親の後を継ぐ。その親の敷いてくれたレールを、自分から外れようとしているのだ。それならば痛みくらいあるというものだ」
「え? ゲンジ先輩は親の後を継がないんですか?」
「うむ。我はやりたいことができた」
そういって、ゲンジ先輩は腕を組みながら胸を張る。
「我は選手ではなく、選手を支えるトレーナーになりたいのだ。我と同じように悩む者の手助けをしたいと考えている。そのためには、もう一度勉強をしなおして、自分が受けるべき大学を探さなくてはいけない」
ボクは驚いて言葉も出なかった。
この人は、元の世界に帰るだけでなく、それからの人生のことも考えていたんだ。それなのに、本当に元の世界に帰りたいのか、なんて質問をしてしまった。自分が恥ずかしくなる。
「……ゲンジ先輩はすごいですね」
「む? 何がだ?」
「ボクは、元の世界に帰ることしか頭になかったのに。先輩は、その先まで考えているなんて。あんな質問をした自分がバカみたいです」
落ち込むように肩を落とす。
だが、そんなボクを見て、ゲンジ先輩は楽しそうに言った。
「ははっ、何を言っている。お前が元の世界に帰してくれるんだろう?」
「……え?」
「ユキ。お前がいるから、我は安心して自分のことを考えられるのだ。この世界のことも、アーニャ殿のことも、我にはどうすることもできん。だが、お前がいるから安心していられる」
ゲンジ先輩は力づけるように、ボクの背中を叩いた。その遠慮のない叩き方は、ボクを床に倒してしまいそうなほどだった。
「……痛いですよ」
「おぉ、すまんな」
「……でも、ありがとうございます」
ボクは小さな声で言った。
ゲンジ先輩も、なんのことかな、といわんばかりな顔をしていた。
「それで、これからどうするのだ?」
「実は、皆のところに回っていこうと思っています。皆が何を思っているのか、ひとりずつ話し合っていこうかなと」
「ふむ、なるほど。我がその1人目だということだな」
「そうですね」
「次は誰のところへ行くつもりだ?」
「誠士郎先輩のところへ行こうと思います」
「そうか。この時間なら、奴は宮殿の執務室に籠っているだろう。何か差し入れを持っていくといい」
「そうですか。ありがとうございます」
ボクはそう答えながら、訓練所の時計を見た。
そろそろゲンジ先輩の出勤時間だった。
「それじゃ、ボクは行きます」
「うむ」
ゲンジ先輩は力強く頷いて、ボクのことを見送った。
ボクは訓練所を出ながら、この時間から開いている軽食屋はあったかな、と考えていた。




