第29話「優奈と凛」
「…え」
凛が驚いたように呟いた。
他の仲間たちも、何が起きているのか分からないというように、後ろに立っていた凛を見つめる。
「…ちょ、ちょっと待ってくれ。優紀、これは何の冗談だ?」
凛が焦りながら早口で言う。
だが、そんな彼女とは対照的に、黒髪の少女はゆっくりと話し出す。
「…そうだね。ちゃんと説明しないといけないかな。…でも、凛ちゃんなら、すぐにわかると思ったんだけど」
「そ、その呼び方は。…いや、そんなこと、…あるはずかない」
「そうかな? この世界なら、どんなことが起きても不思議じゃないよ。…例えば、2年前に事故死した親友が、もう一度会いに来ても」
「っ!!」
凛は驚愕の表情を浮かべた。
そして、ふらふらと少女の前まで歩いてく。
「ま、まさか。…お前は―」
「…そうだよ、凛ちゃん」
黒髪の少女が優しく微笑んだ。
「…ウチの名前は、御影優奈。本当に久しぶりだよね、凛ちゃん」
「ゆ、…ゆうな」
凛が少女の名前を呟く。
それと同時に、膝の力が抜けた。両手をベッドの枠に触れながら、ゆっくりと彼女へと向かい合う。
「ほ、本当に、優奈なのか?」
「…うん」
「本当に、本当に! 優奈なんだな!」
「だから、そう言っているじゃない。もう、ウチの言っていることが信じられないのかな?」
「だ、だって、…だって!」
凛の目から、大粒の涙があふれ出す。
黒髪の少女の、…優奈の両手を握りながら、他のメンバーが見ているなかで、みっともなく泣きだした。
「…ひっく、ひっく。…もう、会えないと思ってた! 優奈がいなくなって、一人になっちゃって! すごく、すごく、…大変だったんだからっ!」
「うんうん」
「…でも! 優奈に笑われると思って、ずっと頑張ってきたんだよ! 優奈がいなくなったあとも、…がんばっで、…ひっく、…ぎだんだがらっ!」
「うん、知っているよ」
優奈が優しい手つきで、凛の頭を撫でる。
「…ウチも知ってるから。凛ちゃんが頑張ってきたことを。…本当に、立派になったね」
「ゆ、優奈っ!」
凛が泣きはらした顔で、優奈に抱き着いた。
他のメンバーたちも、思わず涙を流してしまいそうになっていた。
…が、そんな時だった。
…優奈の瞳が、きらりと光ったのだ。
その輝きは、どんなことでも楽しんでしまいそうな悪戯心がむき出しになっていた。
「…なんて言うと思ったのかい?」
優奈が告げる。
「…へ?」
凛が涙をこぼしながら呆けた表情になる。
だが、次の瞬間。
その顔が、ひどく醜いものに変わっていた。
「いだだだだだだだだっ!」
突然、凛が悲鳴を上げた。
「いだだっ! は、鼻が、鼻がっ!」
「え? 鼻がどうしたんだい、凛ちゃん?」
優奈が楽しそうに問いかける。
その優奈の右手は、凛の鼻を力いっぱいに摘まんでいた。
「…ねぇ、凛ちゃん。ウチは怒っているんだよ? どうして凛ちゃんのお口は、こんなにも酒臭いのかな?」
悲鳴を上げている親友のことを、黒髪の少女は嬉しそうに見つめる。
「まだ、お昼だよね? それなのに、もう宴会気分かい? 優紀が眠ったままだというのに、随分とお気楽じゃないか? 凛ちゃんは悪い子になっちゃったんだね?」
「ぞ、ぞればっ!」
「え? よく聞こえないよ。凛ちゃん、ちゃんと喋ってくれないと、ウチもわからないよぉ~」
そう言いながら、優奈の右手に力が込められていく。
凛は全身をばたばたさせながら、彼女の問いに答えようとする。
…だが、優奈自身がそれを許さない。
「凛ちゃん、ウチは知っているんだよ。優紀のために、2年も留年しているんだって? すごいねぇ~、本当にすごいよぉ~。…どうしたら、ウチがそんなことを望んでいると勘違いできるのか、ぜひとも教えてもらいたいねぇ」
「ぶっ、ぶうっ!」
「おやおや? 凛ちゃんは豚さんになっちゃったのかな? じゃあ、ちゃんと豚さんの言葉を使わないとね。はい、せーの、『ぶひぶひ』」
「…ぶっ、ぶぶっ!」
「おやぁ? おかしいね。凛ちゃん豚さんなんだがら、ちゃんとぶひぶひ言わないと。はい、もう一度。『ぶひぶひ』」
「…ぶ、ぶひぶひ」
「はい、よくできました」
優奈がにっこりと笑う。
だが、その部屋にいた皆がわかっていた。この少女は顔は笑っていても、心はひとつも笑っていないことに。満面の笑みを浮かべながら、その心は鬼神のように怒り狂っている。…外面如菩薩、内心如夜叉。
そんな光景を見ていて、他のメンバーたちの背筋が凍りつく。ちょっと前まで泣きそうになっていたことなど、嘘のようであった。
「…ねぇ、凛ちゃん。ウチは本当に怒っている。生きていて一番といっていいほど怒っているんだ。…なんで、そんな人生を棒に振るようなことをしているんだい?」
優奈は独特の中性的な言葉遣いで問いかける。
「ウチはね、それだけは本当に許せない。だから凛ちゃんにお仕置きをしようと思うんだ」
「ぶひ!?」
優奈の言葉に、凛の顔が真っ青になる。
だが、そんなことはお構いなしに、黒髪の少女は朗らかな笑みで言い放った。
「はーい、後輩君たち。発表しまーす。実は凛ちゃんには、中学時代から好きな人がいるんです!」
「ぶぶぶひ!?」
突然、凛が暴れだした。
優奈の口を塞ごうと両手を伸ばすも、彼女が止まる気配はない。凛の鼻をつまんだまま、楽しそうににっこりと笑った。
「凛ちゃんの好きな人は―」
「ぶひっ! ぶひぶひっ!」
優奈の瞳が嬉しそうに光った。
「はい、従兄弟のお兄さんでした! 実は凛ちゃんは、近親の年上好きだったりするんだよねー」
「ぶひーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!」
凛が絶叫した。
涙目になりながら、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染めている。
やがて、糸の切れた人形のように、その場に倒れこんだ。うー、うー、という唸り声を上げて、もじもじと体をくねらせる。
そんな凛を見て、他のメンバーたちは静かに恐怖していた。傍若無人の会長を、こうも手玉にとるなんて。
…エライ人が来たもんだ、と思った。




