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第13話「この世界の住人たち、ちち、ちちちちち―」

「とりあえず、今日のところは解散だ。明日の朝、仲間たちで話し合おう」


「…ユキにも、話すのか?」


「…それは、…悩ましいな」


 天羽会長が苦渋の表情を浮かべる。

 彼女はそれ以上は何も言わず、背もたれにしていた戦車へと振り返る。その無骨な履帯に足を駆けると、勢いよく車体に上った。


 俺も、何も言わなかった。静かに頭上の星空を眺めながら、深いため息をつく。息がわずかに白く濁る。体中が冷え込んでいた。指先がかじかむのを感じながら、ポケットへと手を突っ込んだ。


「…今日は、…渡せそうにないな」


 ポケットに入れた手には、小さな箱が握られている。あの子の誕生日に買った、ささやかなプレゼントだった。


「じゃあな、会長。また明日」


「うむ」


 天羽会長は仰々しく頷いて、戦車の砲塔に手を添える。それと同時に、重厚なエンジン音が響きだし、履帯からキュラキュラと小さな音がした。


 まさに、そんな時だった。

 一本の木と、涸れ井戸しかないこの公園に、よろよろと歩いてくる男がいた。露天商のような格好に、大きな風呂敷を抱えている。男の顔は髭だらけで、よく見ると前歯が欠けていた。


「…あれは、昼間の」


 俺はその男のことを思い出す。

 リアルト橋の上で露店を開いていた男で、プレゼントを送るために指輪を買っていた。


「…」


 男はよろよろと歩きながら、俺たちのほうへ向かってくる。

 そして、にこやかに笑いながら、こう言った。


「まぁ~た、狼男の兄ちゃんかい? いい加減、買ったらどうだい?」


「…は?」


 意味がわからず、俺は首を傾げた。

 天羽会長も、不思議そうな目で露天商の男を見ている。


「おっさん、何をいって―」


「おい、兄ちゃん。買わないなら帰ってくれ。商売の邪魔だ」


 俺の言葉を遮って、男は喋りだだす。

 むっ、と少しだけ不機嫌になりながら、男のことを睨む。


「おいおい、何を言っているんだ。指輪なら、もう買ったじゃないかよ」


 ポケットの中にある指輪ケースを確認しながら言う。

 だが、露天商の男の表情は変わらない。にこやかな笑みを浮かべたまま、こう言った。


「まぁ~た、狼男の兄ちゃんかい? いい加減、買ったらどうだい?」


「…おっさん。酔っぱらってるんじゃ―」


「おい、兄ちゃん。買わないなら帰ってくれ。商売の邪魔だ」


「…だから、さっきから―」


「まぁ~た、狼男の兄ちゃんかい? いい加減、買ったらどうだい?」


「…」


 何か、薄気味悪くなってきた。

 どうしてこの男は、さっきから同じことを何回も言っているのか。


「おい、兄ちゃん。買わないなら帰ってくれ。商売の邪魔だ、だだだ」


 露天商の男は、特に何もするわけでもなく。にこやかな笑みを浮かべているだけだった。

 俺は天羽会長のほうを見る。

 すると、彼女も気味が悪いのか、少しだけ顔色を青くさせていた。


「ま、まぁ~た、お、おお、狼男の、に、ににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににににに―」


 突然。男の様子がおかしくなった。

 まるで壊れたオーディオのように、声が雑音まじりのものになったのだ。にこやかな笑みも、奇妙に震えていて、体全体が痙攣を起こしているようだった。


 …ぞくり、と背筋が凍った。


「おい、陣ノ内。見てみろ!」


 俺は露天商の男から目をそらすと、天羽会長が指さしているほうを見た。


「…っ。…なんだ、これは?」


「わからん。一体、どこからこんな人数が―」


 そう言っている会長の声も震えていた。

 会長が指さしていたのは、広場の入り口だった。

 ほんの数秒前まで、誰もいなかったその場所に。

 …夥しい数の人間が立っていた。


「いやー、いい朝ですなぁー」

「明日はカーニバル。ちゃんとお洒落をしないとね」

「今日も忙しかったぜ。まさに夏が来たって感じだ」

「おかーさん、おなかすいたー」

「見て、雪が降っているよ。明日はきっと寒くなるね」


 ざわざわと、街の住人たちが楽しそうに笑いながら近づいてくる。若い男から、年老いた女性。季節感が狂っているとしか思えない夏服の人もいれば、子供たちは誰もいない場所に楽しそうに声をかけている。その話し声が聞こえてくるが、まったく会話が成立していなかった。


「…なんだよ、こいつら」


 足が震えそうになる。

 俺はじわじわと歩いてくる住人たちを見て、いいようのない恐怖に駆られた。


「気が狂いそうだ」


 会長が吐き捨てるように呟く。


「陣ノ内、戦車に乗れ! こいつらはちょっとヤバいぞ!」


「っう!」


 俺は間髪入れず、迷彩色の戦車に上った。

 ギュラギュラとキャタピラの履帯が唸りを上げて、進行方向を整える。

 そうしている間も、街の住人たちは楽しそうに談笑しながら近づいてくる。その異様な光景に心の底から恐怖した。


「早く! 出せって!」


「今やっている! だが、住人たちが入り口を塞いでいて出られないんだ!」


「だったら、垣根でも強引に突っ切れ!」


「くそ、仕方ない。…操縦席! 進路方向を2時の垣根にとれ!」


 キュラキュラと、戦車が再び向きを変える。エンジン音が一段と大きくなり、車体がわずかに進みだす。

 その時だった。


「っ! 奴らが襲ってきたぞ!」


 俺は目の前の光景に思わず叫んだ。

 それまで、ゆっくりと歩いていた住民たちが、こちらに向かって一斉に走り出したのだ。その数は数十人を超えている。


「あ、ああ、明日は、か、かかかかか、かーにば、るるるるるるるー」

「きょ、きょきょきょ、うも、いそがし、かった、たた、たたたたたたたたたた―」

「お、おかーさ、さささん、おなかす、すす、すいたよ、よよよ、よよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよよ―」


 さっきまで話していた会話をリピート再生しているように、同じことを繰り返し喋ている。全員が笑顔を浮かべたまま、信じられない速度で迫ってくる。人間の動きではなかった。


「早くしろ! 戦車で逃げるぞ!」


「くそ! 全速前進! 垣根でも涸れ井戸でも、強引に突き進め! この際、奴らにぶつかっても構わない!」


 天羽会長の号令と同時に、重厚な戦車が急発進を始めた。

 甲板に乗っている俺たちは、振り落とされないように砲塔に取っ手にしがみつく。

 ギュラララ、と石畳を砕きながら、俺たちを乗せた戦車が猛発進した。住人たちを轢かないように右へ進路をとりながら、超重量の車体が爆進する。


 …が、そのときだった。


「お、おおお、いいい、兄ちゃ、ちゃちゃちゃちゃちゃ、買わ、わわわわ、ないなら、ららららららら、かか、帰ってくれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれれ」


 突然、露天商の男が飛び出してきた。

 にこやかな笑みを浮かべているが、全身がカクカクと不気味に震えている。


「っ! ぶつかるぞ!」


「構うな! このまま進めっ!」


 天羽会長が叫ぶ。

 そのまま超重量の戦車は加速していき、露天商の男の横を通り過ぎようとする。だが、男は異常な身体能力をみせて、戦車の履帯へと自ら突っ込んできた。


 ガクンッ、と戦車が大きく揺らいだ。


「おい、会長! 大丈夫なのか!?」


「問題ない! この重戦車ティーガーの進行を、この程度で止められるものかっ!」


 天羽会長の言う通り、戦車の速度が落ちたのは一瞬だけだった。すぐさま体勢を立て直すと、再び加速を始める。そのまま公園の垣根を越えて、俺たちを乗せた戦車は市街地へと進んでいく。


 公園のほうを振り返ってみると、露天商の男が何事もなかったように立ち上がるのが見えた―

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