第7話「彼女は怪物なのだ。…ジンは静かに思い出す」
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空には、薄く伸ばした綿飴のような雲が浮いている。
晩秋の晴れた空。
木枯らしが吹き、かさかさと落ち葉が音を立てる。
いつのまにか、窓を開けるのが億劫になった。
朝方では、吐く息がわずかに白くなった。
こうやって少しずつ、冬が訪れていく。
「…」
そんな冷たい風が吹いているリアルト橋の上で。
俺は一人、頭を悩ませていた。
銀色の鬣をぼりぼりと掻きながら、橋の上で店開きをしている露天商を見る。まぁ、正確に言えば、露天商が並べている商品の1つにだ。
「まぁ~た、狼男の兄ちゃんかい? いい加減、買ったらどうだい?」
はぁ、と露天商の男がため息をつく。
欠けた前歯が印象に残る風貌だった。
「…うるせぇな。こっちに都合があるんだよ」
そう呟きながら、俺こと、陣ノ内暁人は眉間にしわを寄せる。
もう一週間くらい前のことになるか。
俺はコトリと一緒に買い物に出かけていた。食材と生活必需品を買うのと、あとコトリの誕生日プレゼントを見繕うために。…いや、むしろ。そっちのほうがメインだったな。
デートといえば、そうなのかもしれない。
ただ1つ、誤解があるとすれば。
それは、俺たちが本当は恋人ではない、ということであった。
「…ったく、コトリのやつ。何を考えているんだよ」
俺はぶつぶつと呟きながら、同じ部屋で暮らしている少女のことを考える。
コトリは小柄な狐人だ。
可愛らしい狐耳と、狐の尻尾が生えている。それらは本人の感情によって動いたりするのだが、感情の起伏が薄い彼女にはあまり動くことはなかった。いつもつけている青いストールが、最近になって青いマフラーに変わった。空色の瞳を持つ彼女には、文句のつけようもないほど似合っていた。
そのことをコトリに告げると、彼女は恥じらいながら、ありがとうと答えた。その姿を見て、俺は穏やかな気持ちになると共に、何か違和感を感じずにはいられなかった。
…もう、1年になるだろうか。
コトリが駅のホームからクラスメイトを突き落とそうとして、それを止めたことがある。無理やり喫茶店に連れ込んで話を聞くと、驚いたことに彼女に罪悪感というものがなかった。
感情や感性が、極めて薄いのだ。
どんなに楽しいことがあっても笑えず、どんなに辛いことがあっても平然としていられる。『壊す』ことと、『殺す』ことの境界も曖昧だった。小学校の頃、お気に入りのキーホルダーをバラバラにされたので、そんなことをした本人も同じようにバラバラにしようと考えたそうだ。
…異常だった。
…常軌を逸していた。
見た目は、小柄で可憐な少女なのに。心には、ぽっかりと穴が開いていて、その場所に不気味な怪物を飼っていたのだ。そんな彼女に提案したのは、普通を演じる方法。誰かを好きな『フリ』をするという馬鹿げたものだが、意外にも彼女は乗ってきた。
そして、その日から。
コトリは俺の傍から離れない。
「おい、兄ちゃん。買わないなら帰ってくれ。商売の邪魔だ」
露天商の男は、不機嫌そうな表情を浮かべる。
欠けた前歯にどうしても目がいく。どうせ客なんていないだろう、と思いつつ、俺は少しだけ身を引いた。
男が扱っているのは、女性が好みそうなアクセサリーの類だった。
薄汚れた布切れの上に、宝石のあしらったネックレスや、細かな装飾を施されたブレスレットが陳列されている。どこで手に入れたか分かったものではない。その中に、シンプルな形をした指輪があった。
銀の指輪に、一粒の輝く宝石が載っている。…ダイヤモンドだった。
「これじゃあ、まるで婚約指輪じゃねぇか」
俺はぼやいた。
コトリが誕生日に欲しいといってきたのは、この露店で並べられている指輪だった。料理や家事ができず、風呂にも入るのも苦手な彼女が、こんな女の子らしいものを欲しがるとは意外だった。
俺は茶化しながら、まるで婚約指輪だな、と彼女に言った。
すると、コトリは無表情のまま頷いたのだ。
『…ジンから、この指輪がもらいたいの。…だって、ダイヤモンドは壊れないから』
そんなことを言われて、俺は返答に困った。
彼女の本心がどこにあるのか、さっぱりわからなかった。結局、その日に買うことができなかった。他のものなら何でもいいと言ったのだが、彼女は頑として譲る気配がなかった。
それからというもの、コトリの接し方が冷たくなったのだ。
まるで、プレゼントを買ってくれない恋人に不満をぶつけるように、ぷいっと顔を背けては、小さな体をぽんぽんと押してくるようになった。
「…」
俺は静かに思考を巡らせる。
…コトリは何を考えているのだろう?
彼女が自分のことを好いているはずはない。
ただの演技なのだ。
だが、最近のコトリの行動は、とても演技だと思えないものがいくつもあった。押しかけ女房と言って、俺の部屋に引っ越してきたこともそうだ。他の誰も見ていないような場所でも、できない料理をしようとしたり、甘えるような仕草をしたり。褒めれば顔を赤らめて、怒れば反省したようにしょんぼりとする。そこには、まるで恋心があるようだった。
…しかし、騙されてはいけない。
彼女は怪物なのだ。
心の中に、得体の知れないものを飼っている―




