表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
222/358

第43話「それは、とても綺麗な蜂蜜色だった」

「あれは、…なんだ?」


 ジンが呟く。

 本棚に叩きつけられて、わずかに形を崩している黒い影。

 碓氷の最大魔法が直撃しても、凍りつくことすらない。不撓不屈の狂戦士。あのゲンジさえ氷像にした魔法を浴びて無傷であった。


「…モンスター、…ではありませんわね」


「というか、生き物かどうかすら怪しいッスよ!」


 快司は叫ぶと、瞬時に臨戦態勢に入る。

 先ほどまで持っていた小型のナイフを左手に、背中に隠していたダガーを取り出して右手に。軽く腰を落としていつでも飛び出せるように構える。


「ちっ!」


 ジンも遅れて、戦闘の姿勢になる。

 バチンッ、と白い雷が迸り、銀色の鬣が刃物のように鋭くなる。銀郎族の最高スキル『銀狼モード』の準備へと入った。


「涼太!」


「…」


 有栖はすぐさま碓氷の影に隠れる。魔法の使用を制限されている彼女は戦闘要員になりえない。そして、最後に十人委員会のギルドマスター。天羽凛だが…


「…ひっ!」


 体を竦ませて動けずにいた。

 突然の襲撃に頭が追いつけず、短い呼吸を何度も繰り返している。


「…はっ、はっ!」


 胸元を握り締めて、苦しそうな表情を浮かべる。


「おい、会長!」


「大丈夫ですの!?」


 仲間達の声は、…凛に届かない。

 正体不明の『それ』に目を見開かせて、どんどん過呼吸へと陥っていく。


 …パニック障害。

 急激な変化に心がついていけず、自律神経が息を吸えないと誤認してしまう。突然の襲撃を前にして、彼女の体は彼女自身の命令に背いていた。


 …わかっているのに。

 …膝をついている時ではないと、わかっているのに。

 …体が、言うことを聞いてくれない。


 天羽凛の心の弱さが、浮き彫りになっていた。


「おい、かいちょー」


 ジンが手を差し出すが、その声は届かない。


「…はっ、はっ、はっ!」


 凛の表情が更に険しくなる。

 呼吸を頻回にしすぎたせいで、指先がピクピクと痙攣を始める。

 脂汗を額に滲ませながら、胸元を掻き毟る。

 視界の端にいる影が、焦りに拍車をかける。


「…はっ、はっ。…ゆうな、…たすけて」


 凛が諦めたように目を閉じようとする。

 …その時だった。


「凛っ! オレ達を見ろ! お前の傍には誰がいる!」


 鋭い男の声が、この部屋に響いた。


「…え」


「…いま、誰が」


 ジンと有栖が困惑する。

 そして、声のしたほうへと視線を向けた。

 メンバーの先頭に立つ、お調子者のトリックスターの背中を。…岩崎快司が、凛に向かって叱咤していた。


「…凛。ゆっくり呼吸をしろ。焦らなくていい。今は自分のことだけを考えろ。いつもの紙袋は持っているな。動悸や耳鳴りがするなら紙袋で呼吸をしろ、…ッスよ」


 快司が背中で語る。

 言葉遣いだけはいつものように戻ってたが、その話し方は普段みられないものだった。


「…はぁ、はぁ」


「そうッス、その調子。落ち着いたら、よく周りを見るッスよ。ここにはジン先輩や碓氷君みたいに、とても頼りになる人がいる。…だから無理して頑張る必要はないッスよ」


 快司はそれだけ言うと、ナイフを持った左手で器用に頭をかく。

 出すぎた真似をした、と言っているようだった。


「…さて、ここで皆さんに提案があるッス」


 くるり、と振り返って、いつもの人懐っこい笑みを浮かべる。


「会長さんもこんな感じですし、ここは戦闘を避けません?」


「…は?」


「戦略的撤退ッスよ。それに、この部屋は世界の支配者ゲームマスターのテリトリー。ここで戦っても、あれに勝ち目はないッス」


「…って、おいおい! あの黒い影は世界の支配者ゲームマスターの差し金なのか!?」

 

 なんで、そんなことを知っている!?

 ジンは驚いたように、快司へと問いただす。


「おっと、ちょっと喋りすぎたッスね」


 てへ、と言いながら舌を出す。

 そのわざとらしい行動に、ジンはもう何も言わなかった。


「はぁ~、わかったよ。…碓氷、殿しんがりを頼めるか?」


「…」


 碓氷は黙ったまま頷き、詠唱の準備に入る。


「それじゃ、碓氷先輩の詠唱が終わり次第、行動開始ってことで。…ほら、会長さんも立って」


「…はぁ、はぁ。…でも私は―」


 凛が弱々しく言葉を紡ぐ。

 だが、快司がその先を言うことを許さない。


「御影優奈はもういない。会長さんだって、わかっているッスよね」


「っ!」


 びくっ、と肩を震わせる。


「さぁ、立つッス。今、自分ができることを精一杯やる。反省するのは、その後からでいいッスよ」


 そう言って、快司が凛の手を引く。

 一瞬、どちらが年上なのかわからなくなってしまう。


「…」


「…準備できましたわ」


 碓氷の代わりに、有栖がメンバーに声をかける。

 彼の足元には、青白い魔法陣が展開している。


「じゃ、お願いするッス」


「…」


 碓氷涼太はわずかに頷いて、手にした大型の魔導杖を前に突き出す。

 まだ凍りついた本棚のそばにいる『それ』に向かって、攻撃魔法を発動させた。


「…」


 足元に輝く青白い魔法陣。

 だが、それ1つだけではない。いくつもの魔方陣が空中に描かれて、その全てに氷の塊が形成されている。その数、20や30では足りない。まさしく数え切れないほどの魔方陣が、宙を埋め尽くしていた。【多重詠唱】と【並列詠唱】の複合スキル【無限詠唱】。多種多様の魔法を同時に、複数使用する固有スキルを前面に押し出す。


「…」


 だが、こちらが攻撃を仕掛けよとする瞬間。『それ』もまた、動き始める。部分的に体を平面に変えて、滑るように迫ってくる。


「よし、皆さん。走るッス!」


 碓氷が黒い影に氷魔法を浴びせかけると同時に、快司が踵を返した。ナイフとダガーと背中に戻しながら、右手には凛の手を。左手には世界の支配者ゲームマスターの日記を持って、走り出す。


「ちっ、仕方ねぇ!」


 その後を、ジンが追いかける。

 背後では、碓氷涼太の氷魔法による苛烈な迎撃が行われていた。氷の槍や剣、斧といったものが次々に『それ』に突き刺さる。効果的なダメージは見られないものの、氷の飛礫が貫くたびに、わずかに後ろへと仰け反っている。


「…っ」


 一撃の威力に頼らず、手数の多さで押し切る。

 最後の魔法を撃ち終わった碓氷は、有栖のことを抱きかかえて走り出す。

 氷塵と氷の破片が舞う書庫を。

 5人のメンバーが全力で逃げていた。


 …敗走。

 そんな考えは、メンバーの誰も持っていない。

 ただひたすら安全な場所を目指して、走り続ける。


 本棚の部屋を出て、白い病室を通り過ぎる。

 その先の白い廊下を我先と駆けながら、そのままの勢いでヴィクトリア宮殿の廊下へと飛び出した。


「うおぉぉぉぉッ!」


「ぬあぁぁッス!」


「ひぃぃぃッ!」


 奇妙としか呼べない叫び声を上げて、それでもなお走り続けていく。




「…」


 どれほど時間が経過しただろうか。

 凍りついた本棚と漫画の残骸が散らばる部屋に、とある人物が立っていた。

 荒れ果ててしまった書庫を見ても感情を沸かせることなく、静かにその部屋の隅にある机を目指す。そのすぐ傍には、先ほどジンたちと交戦した『それ』が、主を守るように侍っていた。


「…」


 その人物は目を細めながら、机の引き出しを開ける。

 そして、そこに入っているはずの日記がないことに気がついた。


「…かえして」


 ぽつり、と呟く。

 今にも泣き出してしまいそうな声で呟きながら、卓上のキーボードに両手を押し付ける。

 風もないのに、その髪がふわりと揺れた。


 それは、とても綺麗な。

 …蜂蜜色の髪であった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 黒幕の差し金との接敵、敗走
[一言] 中の人が顔をだしたか?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ