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第29話「宴会。…ボクの姉と、天羽会長の涙」


――◇――◇――◇――◇――◇――◇―― 


「朝のナパームの匂いは良い。…勝利の匂いだ」


「…いや、とっくに夜なんですけど」


 暗闇の中で腕を組んでいる天羽会長を見て、ボクは思わずため息をつく。

 時刻は夜の8時過ぎ。

 昼間の戦争が嘘のように、ヴィクトリアの街は静まり返って―、いなかった。


「よぉーし! この国の勇気ある者たちよ! 今日は飲むぞーっ!」


「「おおーっ!!」」


 会長の掛け声に、まるで地響きのような返事が返ってくる。

 夜のサンマルコ広場。

 このサッカー場より少し大きい広場の中央に、鋼鉄の塊が鎮座していた。

 黒光りする主砲に、鋼鉄の無限機動キャタピラ。暗褐色に塗られた装甲は、魔物の牙どころか銃弾すら通すことはない。


 …戦車である。

 その装甲戦闘車両の砲塔に陣取った天羽会長が、酒瓶を片手に大声で叫ぶ。これほど重火器と酒が似合おう女性も珍しい。


 広場に燈る小さな街灯。

 そのか細い灯りを補うように、無数の松明がそこかしこに設置されている。それらが照らすのは、歓喜の声をあげる大勢の人々。魔王ナポレオンの脅威に震えていた人たちが、今は酒瓶片手に大騒ぎをしている。国中が宴会場にでもなっているようで、民家の扉を叩けば飲み仲間が増えて、飲食店の扉を叩けばいくらでも軽食が出てくるありさまだ。互いに顔も知らなかった間柄だったのに、酒瓶1つで今生の親友のように肩を組んで、そして笑い合う。


「へ、へ、へーくしょん! くそー、会長のやつ。後で覚えていろよ」


「涼太、寒くないですか? …も、もしよかったら、…は、は、肌で暖め合うのは」


「…」


 大きな篝火の傍には、毛布に包まったミクたちの姿。

 会長の爆撃で船を失ったミクは、自力でヴィクトリアまで泳いで帰ってきた。まったく泳げない碓氷君と、泣きじゃくる有栖をつれて。


「…源次郎」


「…なんだ、誠士郎」


「…僕たちは、何を間違えたのでしょうか?」


「…さぁな」


 広場の片隅では、慎ましく正座をしている男が2人。

 黒こげになった体に許された衣類はパンツのみ。石畳の上に茣蓙ござを敷いて、首からは木の板をぶら下げている。そこには『私達は女の子の下着を盗みました。ごめんなさい』と書かれてあった。


「やーねー、下着泥棒ですって」


「怖いわー。でも、あんな焦げたような黒い肌で、チリチリのパンチパーマの人なんていたかしら?」


 人たちはその前を通るたびに、ひそひそと遠巻きに言葉を交わす。


「ぱぱー、あれはなに?」


「いいか、息子よ。よく見ておくんだ。悪いことをしたら、あんな目に合うんだぞ」


「うん、わかったー。ぼく、わるいことしない」


 子供が指をさすと、その父親は優しく諭す。

 広場には、とても平和な光景が広がっていた。


「あーはっはっは! 実に愉快だ! おい、優紀! お前も飲んでいるか!?」


「…ボクは未成年ですよ」


 一度、冷静になったボクは、改めてサンマルコ広場の光景を見渡す。

 天羽会長の一声で、国中がお祭騒ぎた。夏ごろにあったカーニバルとは違い、予定されていなかったイベントなのにこの有様なのだ。これは会長が盛り上げ上手なのか、それともこの国の人がお祭好きなのか。…たぶん前者だと、ボクは思う。


 天羽会長は、不思議な魅力を持っている人だ。


 やっていることは常軌を逸した行動なのに、自然と多くの人たちが彼女についてくるのだ。そして全てが終わったときには、いつも皆が笑顔になっていく。

 正しいことを行うのではなく、正しくあろうとする生き様を見せる。

 似ているようでまったく異なる姿勢。

 そんな会長の生き方が、無意識に人々を惹きつけるのだろう。


 …これが人の上に立つ者。

 …ギルドマスターとしての資質。


「はぁ。…敵わないな」


「お? どうした優紀? 酒か? 酒が足りないのか!?」


「何でもかんでも酒に絡めるのはやめてください。アルコールハラスメントで訴えますよ?」


「あーはっは! 残念だが、この国は16歳で成人として認められている。だから、私が無理やり酒を押し付けても、何の問題もないんだ!」


 …なにか勘違いしているよ、この人。


「まったく。そんなことを言っているから、会長は2年も留年することになるんですよ。高校生で20歳って、聞いたことありません」


「ぐっ! 痛いところを」


 わざとらしい嗚咽を漏らしながら、戦車の履帯に膝をつく。

 ポロッ、と空になった瓶が転がっていく。


「…だが、これも可愛い妹からの小言と思えば。心地よいというもの―」


「会長の妹になった覚えはありませんよ。…ただでさえ、勝手に妹になっちゃった人がいるのに」


「ふふっ、甘いな。優奈の妹ともなれば、私の妹みたいなものだ」


 実の姉の名前を唐突に出せれて、ボクは小さく肩を震わせる。


「…それに、な。…留年だって自分の意思でしたことさ。私には、お前たち姉弟にしてやれることなんて、それくらいしかなかったからな」


「え? それって、どういう―」


 会長の意味深な独り言に、ボクは真意を問いかける。

 だが、それを遮るように天羽会長は口を開いた。


「あー、すまん。今のは聞かなかったことにしてくれ。酒で口が滑ってしまった。優奈に聞かれたら、私は生きていけない」


「ははっ、姉さんはそんな酷いことをしませんよ」


 軽く笑ってみせるが、天羽会長の顔色は優れない。

 少し顔を俯かせて、何かを思い出すように目を細める。


「…っ!」


 その時。

 天羽会長の目から涙が溢れた、…ように見えて。


「…あー、いかんな。どうも、酒が入ると涙脆くなって。…優奈を失った哀しみは、お前のほうがずっと強いのに」


 その言葉に、ボクは何も言えなくなる。

 2年前。

 ボクの姉は、交通事故で命を落としていた―


 大型のトラックが路肩に突っ込んできて、ボクを守ろうと姉が身を挺した結果だった。

 その場に居合わせていたのが、姉の親友であった天羽会長である。一緒に3人で下校している最中の悲劇で、会長は何もできずにいたボクの代わりに救急車を呼び、心臓マッサージを続けていた。冷たくなっていく姉の名前を叫びながら。


「…優奈に、言われたんだ。最後に、本当に小さな声で。…お前のことを頼む、と」


「…っ」


 初耳だった。

 天羽会長はそれだけ言うと、力強く立ち上がった。

 袖で目元を拭いながら、凛と夜空を見上げる。


「わ、忘れてくれ!」


「…は?」


「今のは全部、忘れてくれ! お前の姿に、優奈の面影を探してしまった! だから、忘れてくれ!」


 天羽会長は返事を待つことなく、広場へと向き直す。

 そして、騒ぎ合っている大勢の人たちに向かって大声で叫んだ。


「うおぉぉ! お前たち、飲んでるかーっ!」


「「おおぅぅぅっ!!」」


「今日は私のおごりだ! 国中に酒がなくなるまで飲みつくすぞっ!」


「「さーっ! いえっさーっ!!」」


 勢いに乗った酔っ払いたちが、見よう見まねの敬礼を送る。

 そんな彼らに向かって、天羽会長は飛び込んでいった。


「ひゃっほーっ! 飲むぞ! 飲んで飲んで、飲みつくしてやるぞ!」


 近くの男が持っていた酒瓶をひったくると、天羽会長は一気に飲み干していく。


「おぉっ! 姉ちゃん、いい飲みっぷりだな!」


「あーっはっは! 誰か、私と勝負する気はないか! 私に勝つことができたら、裸足で優しく踏みつけてやるぞ!」


「「うおぉぉっ! 裸足で踏まれてぇぇ!」」


「その代わり負けたら、この軍靴で踏みつけるからな!」


「「そ、そっちも魅力的ぃぃ!」」


 天羽会長を中心に輪を作っていく人たち。

 会長が酒瓶を掲げると、全員が笑いながら同じように酒を手に取る。

 大勢の笑顔に囲まれている、その姿を見て。

 少しだけ寂寥を募らせる。


 …それは、会長の―

 …天羽凛という人の、弱いところを見てしまったからだろう。


「姉ちゃん! こっちも踏んでくれ!」


「俺だ! 俺が先に負けたんだ!」


「喧しい野郎共だ! 残念だが、タマなしの豚野郎に踏んでやる足はない! 飲めなくなった奴から腕立て伏せだ!」


「「さーっ! いえっさーっ!!」」


「あーっはっは! いいぞ、その調子だ!」


 天羽凛の笑い声が、どこまでも暗い夜空に響き渡っていく。

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